三国駅に着く。電車に乗っている間に幹飛は少し落ち着き、しかし不機嫌そうに右手のひらに顔を乗せていた。
 駅の周りはあまり目立つ建物がなく、少々古い看板の所為もあって誰もが忘却の彼方に流しこんだかのように見えた。でも確かに、この寂びた駅に毎日多くの生徒が通い、喜備もまたそうだった。そんな風に見えるのは美羽が、幹飛が、この辺りにあまり足を運ばせないからだろう。
「一人で寂しかったかな」
 え? と美羽が訊き返した。
「喜備。別のクラスに、同じ中学の友達いるの、知ってるけど……」
 幹飛は地面を爪先でつついた。たとえ友達になったのが遅くても、喜備への友情は厚く、それは熱く、揺るぎないものだった。幹飛の中では、誰に対しても友情がそうであることは何をおいても当然で、そして三年、三人で過ごしたこともあって、美羽と喜備は特別だった。この、幹飛があまり気にかけなかった駅は――忘却の色に霞む駅だった。そこに喜備が「独り」でいることを仮定する。寂しがっている。その小さな体は寒さに縮み、暑さに竦んだだろう。
 ここに来て初めてそれを考えた。幹飛は――そんな自分が許せなかった。
「行こう!」
 思いやれなかったから、そんなだから――喜備にとって頼りになれない存在なんだ。幹飛は強く、地面を蹴って走り出す。
 美羽の制止も聞かず闇雲に走って、たまに立ち止まり、また走る。喜備を見つけ出すために走っていたはずが、次第に自分を叱咤するために走っている気がしてきた。だから幹飛は立ち止まった。
 はあっと重苦しく息を排出し顔を上げると、学校から程近い商店街にいることが景色からわかる。少し曇っていたが、日差しがまた隙間から洩れて来た。目を閉じて、まだ冬の弱くてむしろ冷たい光を瞼越しに感じた。
「幹飛……がむしゃらに走り過ぎ」
「ごめん……。ん?」
 身を回転させて適当な場所で止まって目を開くと――幹飛は喜備を見つけた。
 視力がいい幹飛だからこそ、十数メートル先の喫茶店の窓越しにいる彼女を捉えることが出来たのだ。更に幹飛は、喜備と向かい合う誰かも明確に見えた。
「喜備が!」
 美羽に縋りつく。しっ、と大声を窘められるがどうせ聞こえてはいやしない。美羽にはあまりよく見えないらしい。幹飛はもう一度視界に二人を捉えるが、違和感を抱かざるを得ない。
 喜備と向かい合っているのは、どうやら小学校中学年くらいの――少年だったからだ。
「なんであんな子供が?」
「子供……?」
 二人が思い描いていた犯人像は――脅迫が本当だとすると――集団でたむろする不良か、ヤクザの一味から落ちぶれた中年男か、引きこもって生活している陰険な青年か、いずれにしろ少年では無かった。無かったにしろ――幹飛には見えていた。喜備が閉口し、どうすればいいか解らないでいるその様子が。
 喜備と少年が立ちあがった。店を出るのだろう。急いで店へと駆けこもうとするが、美羽が腕を掴んで離さない。
「美羽っ! 何すんのよ!」
「様子を見ましょう」
 本当は振り払ってあの少年にビンタ一発かましてやりたかった。しかし、幹飛は堪え冷静になる。その結果――予想を裏切る「少年」であることが、幹飛に強制ブレーキをかけることになった。幹飛は小学校の教諭になるのが夢だ。だから子供に対し、慎重になる。物事の状況を見極めねばならない。
 店を出た少年は喜備を引っ張ってどこかへ行こうと言っているようだった。見ているこちらが爽快な気分になりそうな――いい笑顔だった。かすかに喜備の横顔が二人の目を奪う。困惑の色は勿論見える。しかし――冬の弱い日差しに負けるとも劣らない、何か煌びやかなものが息づいていた。そして生成されているのは――笑顔だった。
「笑ってる……」
「笑ってるよ……」
 苦笑いと言いきれなかった。二人は呆然とし、幹飛は――急にその少年に対し激しい憤りが沸いてきた。喜備を困窮させているのは奴だ。それは確かにそうだったが――そうしておいてなお、喜備に素晴らしい笑顔を咲かせるなんて、とんでもない奴だ。
 そう、それは――単純に言えば嫉妬だった。
「きーっ! むかつく!」
 美羽も面白くないようだった。顔が恐ろしく固まっている。
「明日」
 そのまま身を翻して美羽は去ろうとした。追うことはなかった。美羽は――少年に脅迫のおそれはないと踏んだのだろうが、きっと、楽しそうに笑うあの二人を邪魔するのは野暮だと解っているのだ。美羽程の良識人なら当然だ。それほど分別のある判断をしてはいるが、やはり彼女の顔は何の変化もなく、ただ怖い。
「明日、問い詰めよう」
 幹飛は強く頷いた。
 振り返るともう二人は見えなくなっていた。幹飛は確かに面白くなかった。面白くないと思っている自分のこともまた――面白くなかった。
 もう誰もいなくなった虚空を見つめる。
「何よ……仲良くしちゃってさ」
 そう毒づく自分を、子供みたいだ、と心の中で揶揄することでようやく、幹飛は自分を保っていた。


 2
続く
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