困惑していた。
 目の前にいる、自分がご子息様と――いや、主人と慕う人物が、濡れ鼠のように雨に打たれ、そして、涙をぽたぽたと零している様子に。いつも真っ直ぐに煌めいている虹彩には直接霞がかったように焦点が定まらず、顔は土気色にやつれていた。
 こんな姿は、愛するあの人に似つかわしくない。
 だけど――発する声は、顔形は、あの人と言わずして何という。
「清」
 子供の頃から、誰に似たのか向こうみずで無鉄砲な性格が、彼には似合っていた。
 学校の二階窓から飛び下り腰を抜かせば、今度は抜かさずに飛んで見せますと豪語した。
貰ったナイフを偽物でないと証明するため、無謀にも親指の付け根から切ろうとして、一生消えない痕をつけた。相撲を取って人参畑を荒らしたり他人の家の畑に水をまき散らしたり悪戯ばかりしていると思えば、栗泥棒を捕まえようと奮闘したこともあった。
今でも瞼を閉じれば思い出せた。可愛らしい少年時代を。
そうすることで、悟る。
彼は既に。
「俺はもう、どこにも行かない」
 少年ではなくなっていることを。
 非情な現実に堕ちた大人であるということを、知る。
 そうして嫌という程痛めつけられ、傷をさらけ出して、決して流さなかった涙を流して、ここにいる。
「ここで清とうちを持つんだ」
 そう言って自分を抱きしめる彼を、果たして待っていただろうか。
 自分の息子のように想ってきた。離れるのは寂しかった。何通も手紙を出した。
しかし、彼が傷ついてまで、自分のもとに戻ってくればとは、願わなかった。
ただ彼の幸せを、一途に、願っていた。
 だが、自分の求めたものではないとしても、こうして彼が自分の胸を借りて抱く以上、抱き返さねばならなかった。
 彼は哭いた。
ただただ、降りしきる雨の中、その音を冷たく纏いながら、嗚咽を繰り返していた。

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