「俺はやる、やってやるぜ!」
と、小池田は豪語した。右手には学校を抜けてコンビニで買ってきたコーラがむんずと握られていて、少しばかりスチールがへこんでいた。


「何を?」
「何をって、ナルヒコそりゃおめぇ、大学受験に決まってんだろうがよ!」


 啖呵を切るような調子で小池田の舌は捻り、コーラを煽る。補習前に酔ってもいいのかと以前訊いたが、酔わねえとやってらんねえぜ! と自信満々に返されたことがある。
 文化祭が終わってすぐ怒涛の受験勉強カリキュラムがスタートした。清山の大学を希望する生徒でも足切り試験がどんと行われるため、どの生徒もひいひいと声を上げている。その他に予備校や塾に通っている奴はもはや声を上げることもなく、まるで勉強だけを目的に作られたサイボーグのようになっている。どこの高校もこんなもんなのだろうか。だとしたら何という夢のない疲弊しきった高校三年生が多いことか。そうでないことを祈る。
 小池田は大阪の高名な私大を受けるようだった。他に東京の方も考えていると言う。
「小池田様の名とラブファントムという異名を轟かせてやるのさ!」
「とっても恥ずかしいからやめておけ」
「ちえ。これだから彼女持ちはよ。男の浪漫がわかってねえ」
 彼女って、と顔を赤くして慌てた――言うまでもないが、音宮さんのことだ。認めるのが恥ずかしいがそれ以上に嬉しい。嬉しいのだ。誰か知らない人にでも、俺達は上手くいってるんですと豪語したいくらいに。
 あの日の告白。想いを打ち明けられたのは、志摩子さんのお陰だろうと思う。ミツと共に死にたいと決意を捧げた彼女にただ俺は感動して、俺の想いも外へ出たいと暴れたから。
「お、お前も彼女いるんじゃないのかよ」
「ラブファントム小池田は、常に理想の女性を求め、花から花へ気紛れに舞う蝶のように、女性とお付き合いするのを心がけているのさよ」
 光源氏みたいだろ? としなを作って言う小池田。まったく、と肩を落としたのは言うまでもない。ところが、びょこんと肩を立たせてしまうことになる。


「鳴滝君」


 音宮さんが教室に入って来た。ベージュのカーディガンの所為で短く見えるスカートと音宮さんの笑顔のクロスオーバーが何と眩しいことか。大切そうにノートと参考書を抱え、こちらへ向かってくる。その後ろに、南堂もいた。何故だ。いや、南堂もこの補習を取っているのだけど。
 俺と音宮さんの志望校は――奇跡がちょっとした偶然でもおまけとして引き寄せたのか、それとも全く関係ないのか、一緒だった。松尾総合大学という、清山とちょっと張り合っている感のあるそこそこレベルの高い私立大学だ。学部は違うけれど、合格したら一緒に通える。
 それを聞いてそうか、よかったなと以前、南堂は言った。そこの演劇サークルは新進気鋭な勢いのあるところで、やはり清山の演劇サークルと張り合っているらしい。「そこなら音宮の台本も大いに活躍するだろう。……頑張れよ」と音宮さんに優しく言っていたのを忘れない。――妹に対する兄、に近いのかも知れないが、やはり俺は南堂も彼女のことが好きだったのではないかと、たびたび思う。


「南堂はん、隣ええ?」


 ちなみに、その南堂に急接近しているのが原霞さんだという。どうもお茶会をスルーされたのを根に持っているらしい。その割にはねちねちしていないし、好意的な所作を見せているから、彼女は南堂のことが好きなんじゃないか、と考えてしまう。
(しかし南堂は堅物だからなあ。いや、逆に原霞さんのふよふよした感じが合うのかも)
 と余裕を持ってしまうのは、やっぱり音宮さんと日々を過ごせるようになったからだろう。勉強の方の余裕は、そうも言っていられないのだが。


「おー美佐ちゃんちひちゃん遅れちゃったーごめんごめん。こいつ捕まえててさ」
「くそう何をするんだ関根。俺は美の追求をしていたというのに」
「どう考えても盗撮です。つか本気でしたらマジで警察連れていくからね」


 コントのようなノリで入ってきたのは関根さんと尾西。この二人も実はいいカップルなんじゃないか。――そういえば、尾西が撮りまくっていた志摩子さんの写真だが、それがなかなか美人に撮れていて、なんと後夜祭で開かれた美人コンテストの特別賞を受賞していた。勿論本人は消えていたので、代理でやってきたのがこの二人だった。へらへら笑っていた尾西に関根さんは頬を膨らませていたのは記憶に新しい。ミツと志摩子さんが映った写真は、二枚に焼き増しして今は俺と音宮さんが持っている。二人は、確かにこの世界に存在していた。その証だ。
 二人の後ろから笹興もやってきた。総務の活動をサボったり、仕事も中途半端だったり見た目もちゃらちゃらしているが、案外真面目に補習を受けに来ているのだ。並ぶ音宮さんと俺を見てにやりと笑った。
 様々な人が教室を埋めていく。清山の生徒数の多さを改めて実感しながら隣の彼女を見た。
 彼女は大学に入って、南堂のような脚本の道も目指したい、と言っていた。しかし幻想を捨てたわけじゃない。


「私、やりたいことが出来ました」


 彼女の言葉を思い出す。後夜祭の帰り道、ぎこちなく手を繋ぎながら暗い夜道を二人で辿っていた時だ。


「志摩子さんとミツ君の物語を、紡ぐことです。
 彼と彼女が、たとえ空想上だとしても、幻だったとしても。
 確かにいたということを、表現してみたいんです」


 その為には彼と彼女の気持ちを、うんと考え、感じなければならない。日本史も勉強する必要がある。完璧に二人を再現するのは無理だが、音宮さんが新たに創り出した彼と彼女を俺はいつか舞台で、見てみたいと思った。出来ることなら、彼女の隣で。


 さしあたってまずは受験だ。


「どうしたんですか?」
「ん、頑張ろうと思って!」
 ふふ、と彼女は微笑みながらペンケースを開いた。ペンケースには志摩子さんの形見となったタヌキのマスコットと、もう一つマスコットがついている。よく出来た話だが、キツネのマスコット。これは、俺が射的で取ったものだった。本当は、髪飾りとかを取りたかったんだけど――。



 音宮さんは、着飾らなくても十分可愛いし。



 と、なんとも恥ずかしい惚気た言い訳を考えたところで先生が来てしまう。俺もそそくさとペンを取り出し、ノートと参考書を開いた。




 こうして、秋が段々と終わりに近づき、冬がその姿を見せ始める。
 俺と音宮さんの日々はあの日で終わらずに、続いていく。




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