「自分探しの旅」
「バレバレの嘘つくなよ」
 冗談だ、と曹は一呼吸置いた。
「墓参りだよ」
「……盆は終わったぜ?」
「おふくろの。日本にある方」
「本当に筋金入りのマザコンだな」
 少年の頃、病弱な母をよく気遣っていた曹を惇公は思い出す。何でもない話を嬉々として彼女に伝えていた曹の傍には、今と変わらない無邪気な笑みを支えとして生きている病弱な女性がいた――いや、曹の為に生きていてくれた、もう失われた時間。
 しょーがねーじゃんよ、と珍しく彼は気難しい顔で呟いた。
「それくらい……俺自身、かなり動揺してるんだ」
「見りゃわかるよ。まるでウブだもんよ」
「あー、海でついカッとなってキスなんかするんじゃなかったぜ本当。
 ちゃんと順番ってもんがあると思うんだよなー、ああ、俺様の馬鹿。……でももう、抱いちまったし」
「おお、珍しく悩んでら」
「だってあんな状況で迫られたら断れねえし! ああもうちょっとばかし優しくしてやりゃあよかったかなあ、やっぱ痛かっただろうなあ。だけど俺だって我慢できなくって……それにしてもいい香りだった。イチゴのにおいがした。好きなのかな」
「既に俺と会話してること忘れてるだろ」
 眉を曲げたり泣きそうな顔になったりかと思うと変ににやけたり、傍から見ると面白いほかない。笑ったり怒ったりはしょっちゅうだが、これらの――まるで恋する乙女に似た表情を、惇公は久しく見ていなかった。右目を細める。やはり自分は、こいつの兄のようなものだと実感した。彼の亡き母も、天できっと喜んでいるに違いない。

 だって、曹は――。

「惇」
「ん?」
「俺、さっさと操んところに行く。あいつ待ってるだろうし」
 さっきの百面相はどこへやら、すたすたと曹は玄関先まで歩いていく。じゃらりとバイクの鍵が鳴る。惇公も付いていって、靴を履いているときに訊いてみる。
「大事なこと忘れてた。

 お前、操ちゃんのこと、好きか?」

 あれだけの自分語りを聴いていては、今更だ。いや、そうでなくても、長い間曹を見守ってきた敦公にはつまらない愚問にしか過ぎなかった。
 とんとん、とつま先を鳴らし、曹は振り返る。
 隻眼の惇公は彼を見つめる。曹の目の闇は、全ての光を失ったような悪夢に似ている。
 全てを搾取しようとする闇だ。自分を取り巻く全てのものを欲し全て自分のために生かそうとする貪欲な闇だ。彼が彼として生まれ、そして生きていくためにその飽くなき欲望が必要だったことを示している。その欲は今でも果てしないはずで、きっと彼が死ぬまで尽きることはないだろう。一体、いつ頃から深くなり始めただろう、その闇は。彼の母が亡くなった頃からだっただろうか――。
 しかしその眼球には今、一つの光が浮かんでいる。
 真っ暗闇の中で一つ光る、星のように。

「好きだ。大好きだ」

 曹は言い放つ。惇公が思っていたより、低い声だ。そして、驚くほど冷静な顔をしていた。
「操といるのが好きだ。もちろん他の友達が大好きなのには変わりないし、お前らといるのも好きで、楽しいけど、操に関してはちょっと違う。すごく微妙で、繊細だから、注意してないとすぐぼろぼろ崩れてしまうような。
 多分――恋だろうなあ。
 おふくろ以外の女を、心の底から好きになるつもりは、実際本気で無かったんだけどな」
 花が咲くように曹の顔は段々明るくなってゆき、笑った。
 その特別な笑いを見たのは――いつか二人がまだほんの子供だった日のことだ。
「お前、子供だなあ」
「どうしてだ? 俺は単純ではないぞ」
 惇公は肩をすくめ、微笑した。
 曹の周りに人々が集まる。彼は人々全てを欲しがる。そしてその人も、曹のことを自然と好きになる。少々強引だが彼の人徳のおかげか、魅力のせいか。彼の恋する操は、どうだっただろう。
 惇公は曹に早く逢いすぎた。だから、本当のところはわからない。しかし彼と友達でいることに不満はない。そんな風に捉えている自分を笑う。自嘲ではなく、ただ可笑しく思う。

 友達の恋の、円満な成就を願うのは、当たり前のことだった。

「早く行ってやんな」
「うん。行ってくる」
 そう言って曹は扉を開いた。



 2
続く
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