神様だけが知っている



 これは葉月教授から聞いた話だ。
 今この文章を書いている季節と同じく、夏の盛りの頃だった。その当時、私はある論文の執筆に行き詰っていて、気分転換と納涼を兼ねて教授の研究室にお邪魔していた時、ふと思い出したかのように教授が話してくれたもので、きっと怪談か何かの一つとして話してくれたんだと思う。
 教授がその体験をしたのも夏の盛りのことらしいが、その話が本当の事なのか、教授が見た白昼夢なのか、それとも全くの作り話なのか、よくわからない。聞いたところで、葉月教授のことなのだから、適当に誤魔化されるのがオチだろうと思う。実際そうだった。だから、これを読んでいる方もそのつもりで、肩の力を入れずに読んでもらいたい。


 今から三十年か四十年前くらい昔の話だ。ある諸島の地質調査に、教授は夫人を伴って出掛けることとなった。教授と夫人、と言っても、その頃二人はまだ結婚していなかったし、教授も教授でなくまだ助教授だった。なのでこの話の上では、教授のことを下の名前である朱史氏と書くことにして、夫人のことは小夜子さんと書くことにする。
 世間は夏休み真っ只中で、小夜子さんも伴っていたということは、教授としてはもしかするとデートの意味もあったのかも知れない。私がそう勘ぐると、今の僕ならまだしも、その頃はまだそんな茶目っ気を出せる余裕はなかったよ、と朗らかな表情で笑った。
 諸島における調査は順調に進み、一つの島を残すこととなった。島の名前は教えてくれなかったけれど、かつては金の採れる島として古くから栄えていたと言う話だ。けれども朱史氏が訪れた時は既に金が枯渇して久しく、無人島になっていた。そうなってからも大分年月が経っていて、誰しもの記憶から失われていく、寂しい孤島だったと言う。
 朱史氏は、島へ送ってくれた漁師から、島に纏わるある話を聞いた。
 その島には、代々島を守護する、シャーマンのような一族がいた。島民から広く慕われ、敬われてもいたのだけれど、島から金が絶え始めた頃には、たった一人の少女を残すだけになってしまった。
 その少女は、異人の血が混じっているわけでもないのに、輝かしい金の瞳を持っていたと言う。その一族が金の瞳の血筋だったようでもないらしいので、これは突然変異と言うものだろう。白い肌と黒い髪、そして金の瞳はさぞかしミステリアスに見えたに違いない。実際ミステリアスだったよ、と教授は言った。何故そう言えるのかはおいおいわかる話なので、筆を進めよう。
 少女の父母や親戚が存命の頃は、少女を始めとする一族は、やはりシャーマンとして信頼され、信仰の対象にまでなっていたらしい。ところが、度重なる流行病や老衰で父母親戚を立て続けに亡くし、頼る縁も先細りしていく少女は、その島でどんどん孤立していった。いつしか信仰より憐みが勝るようになり、孤独な状況も相まって、かえって少女はその存在の神秘性を高めていくことになった。誰かがこの少女を護らなければいけない。神秘と言うのは、神の秘密と言う文字の通り、隠されるものでもあって然るべきだからね。そんな風に教授は言った。そうでなくても、身寄りのない孤独な少女である。たとえ人とは違う力や性質を持っていようが、誰かが保護し、世話をしなくてはいけないだろう。
 それなのに、金が採れないことを少女の所為にする根も葉もない、悪意だけの噂が流れだした。そのうち、金を独り占めする為に両親も親戚も殺したんだ、と、とんでもないことまで囁かれるようになった。
 勿論、誰も殺されたりしていない。病気で亡くなったり、寿命で亡くなったりしたのだ。けれども彼女には一族の中でもとりわけ強い力があったようで、その力を以てすれば呪殺なども簡単に出来てしまう、などと、家族を亡くし悲しみに暮れる少女の気持ちをあまりにも侮辱する、とにかく、聞くだに恐ろしいことまで平気で言われるようになった。
 少女を追い詰めようと言う明確な悪意があるからこそ、そんな卑劣な噂が流される。からくりは簡単だ。島の信頼を集める少女の一族を古くから妬んでいた、その島の権力者の一族が仕組んだものであり、当然のことながら全くのデタラメであった。
 か弱い少女が、そんなことをするわけがない。常識的に考えればそうなのに、けれども、島の人々は徐々に掌を返すように、少女を遠ざけるようになった。人間だからこればっかりはしょうがないね、教授はため息交じりにそんな風に語っていた。
 そう、人々もまた、金が採れなくなっていくことに不安を隠せず、どこかに都合のいい原因を求めていたのだ。弱い人間の心理を責めるのも、あまりいいことではない。それに時代は、戦後とは言えまだまだ前時代的なオカルトが幅を利かせていた頃でもある。少女に呪術師的な側面が確かにあったとするなら、それは信仰の対象になると同時に、迫害の対象になる可能性も同じくらい確かに存在している。話を聞いていた時、私は中世における魔女狩りや、ジャンヌ・ダルクを彷彿としていた。
 最初は小さな忌避や遠慮だったものが、むくむくと悪辣に成長し、形のある迫害となる。それは人々を終いには呆れる程愚かに、簡単に狂わせてしまう。何が起こったかと言うと、金が再び採れるようにする為に、少女を神にする話が持ち上がったのだ。
 聞こえはいいが、それは生贄として――いや、別に何に捧げられるわけでもないから生贄ですらない、とにかく何の意味もなく死んでいくことを意味していた。
 普通ならそんな要求、頷けるわけがない。けれども、少女は権力者の家に隷属して何とか生きていたくらいに自由がなかった。少女にはその道を辿るしかなかった。島の歴史を紐解けば昔にも、何かに祈りを捧げる為に命を犠牲にしてきた、先祖の少女達がいる、との話だった。これがお前のやるべきことであり、同時に、お前にとって掛け替えのない名誉でもあるんだと、きっと少女はそう唆されたに違いない。
 尤も、味方も誰一人としていない状況だ。彼女だって、いっそ死んでしまいたかったかも知れない。そして、哀れにもその少女は、そうなってしまった。
 遠い遠い岬の果てで、彼女は天に召されたと言う。
 ――だが本当は、珍しい金の瞳で、見目も悪くない少女は適当に人買いに出され、慰みものにされた、だとか、殺された後にその目を売られ、臓器を売られただとか、何とも後味の悪い後日談も、まことしやかに囁かれたと言う。だがそれも昔の話であり、今はもう無人島になってしまっているので、少女の話を知っている人はごく僅かなのである。作り話かも知れない、と、朱史氏に話をした漁師も、暗い話をした後とは思えない程の気安さで付け加えたと言う。
 何とも言えない気持ちで朱史氏は青い海を眺めたそうだ。小夜子さんが潮風に目を細めながら、見えてきた島影に微笑み始めたところだった。漁師の話を聞いていたのは、朱史氏だけだった。

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