雨音と優しい季節



 雨音は自分の生まれた季節が嫌いだった。
 雨音は六月の中旬に生まれた。六月は多くの地域が梅雨入りする月であり、雨音の住む土地も六月に梅雨入り宣言を聞かないことは無かった。六月はそれ故に、梅雨と言う、限定的な場所にのみ存在する特殊な季節のイメージが先行しがちな月となる。制服も夏服に変わる、いわゆる衣替えの頃であるのだから、四季、春夏秋冬で言うならば夏に当たるのだが、「梅雨」の所為で一年十二月を四季に振り分ける際、おそらく最後まで残されてしまう運命にある可能性は十分にあると言えよう。むしろ「例外」に置かれてしまうかもわからない。梅雨は、六月は孤独な季節だった。そんな宙ぶらりんな季節を内包する自分の誕生月を、雨音は嫌った。
 雨音は雨の音と書いてアマネと呼ぶ。ありがちだが、生まれた時に雨が長続きしていたからというわけでこんな名前になったと言う。しかし名は呪いである。出生時の天気がそうだったから、とは言わないもののいわゆる雨女で、出席する大抵のイベントや行事は天気がぐずつく羽目になるし、天の音と書いてアマネならまだしも、雨の音でアマネと言うのは、文章中で出てくれば普通はアマオトと呼ばれるものだろう。響き自体気に入っていないわけではないが、字面を、そこから連想されるもの全てを雨音は嫌った。天候の中で、とみに嫌われるものをつけられた人間の気持ちはなかなかわかるまい。これが雪に関連する名前だと、雪というモチーフ、並びに生まれた季節を端的に象徴して非常に情緒深く感じるが、雨音の雨にはそれが無いと思い込んだ。

 雨音は自分の名を嫌った。そしてそれは、雨音も何となく気付いてはいたが、自分自身を嫌うことと同義だった。雨音は自分が嫌いだった。



 生まれた季節も、生まれた月も、生まれた月に多く降る雨も、雨音は嫌いだった。雨音と言う人物における六月と言うのは大抵嫌なことが起こる月でもある故、思春期を迎える頃にはその嫌悪が年数と言う輪をかけて更に悲惨なものになっていた。
 その頃、通っていた中学校ではいじめが横行しており、狭い教室内ではいじめの主犯グループが幅をきかせていた。雨音は勿論、クラスの、一般的にいじめの標的にされやすい大人しい子達は皆びくびくしながら教室を、廊下を歩いていた。雨音は内向的な性格であり地味な印象であり、一般的に見れば「暗い」子であった。そういう人物は、暗いはずなのに、地味であるはずなのに何が一体どうなったのかいじめの対象として目をつけられやすい。それは、闇の中に何があるのか暴きたい、という単純にして高尚な動機には括り切れないだろうし、あるいはそれは間違いであろう。ただ単にそこにいじめたい対象がいる故に無慈悲な非暴力的暴力が振るわれることになる。何かを壊したい、汚したい、犯したいと言う、思春期に隠された獣的な衝動の疼き、その発露とも言えるのかもしれない。
 雨音は、まるでやってきた六月がその役目を引き寄せたと言わんばかりにあっという間にいじめの標的になった。給食をめちゃくちゃにされたり、教科書を破かれたり、机をごみだらけにされたり、体操着を汚水で汚されたりした。それは確かに、見るに堪えない幼稚なものばかりだったが、まだ成熟しきっていない小さな心に刻まれた傷は途方もない大きさだった。その傷口から雨音の全てが零れ落ちてしまうかもしれなかった。けれども、大人でもどうだろう。大人だからやらないと言うだけであって、いざ雨音と同じような状況に陥れば、雨音が負った傷と同等のものを負わされるかもしれない。つまり人の心とはやはり基本は弱いものなのだ。それが強固なものになるかそれよりなお弱くなるかは、個人に依るものとしか言えないだろう。
 雨音は学校のトイレで一人さめざめと泣いた。個室内に籠っていて、誰もいない所でなお且つ場所が二階だったにも関わらず、雨音には確かに外界を濡らす雨の音が細々と聞こえていた。雨と共に肌と肌、髪の毛が張り付くようなべたついた重い空気に梅雨を感じた。ただ存在を感じていただけの無垢な想いは次第に憤りに変わる。
 梅雨なんて嫌い。何で嫌なことばかり起こるの。嫌なことばかり、嫌なことばかり。そう、雨音が慕っていた祖母が亡くなったのも、大叔父が亡くなったのも思い返せば梅雨のことだった。小学校の頃仲良くしていた友達が引っ越していったのも確か梅雨ではなかったか。雨音は今まで出逢ってきた大切な人達を思い浮かべると、どれも梅雨か梅雨前後に雨音の元から去っている。雨音は余計に泣いた。ただただ、声を殺して泣いていた。自分を傷つけ窮地に追い込み、大切な人を奪っていく梅雨と言う季節を腹の底から嫌悪した。その腹の底は、地獄の底へも繋がっているのではないかと言う程の密度の濃い怨嗟。そんなものを、雨音は生まれて初めて抱いたのであった。

 しかし雨音はやがていじめの対象を外された。そしてまた別の暗い、地味な子が対象になるのを見てほっと胸を撫で下ろしたのだが、そうやって他人を知らない振りをして犠牲にし続ける自分を、雨の音を名に負う自分を、やはり雨音は嫌悪し続けた。
 かと言って自分がずっといじめられ続ければ、いよいよおかしくなってしまうかもしれない。死を選ぶかもしれない。だが、弱いものを助けるという正義の為に自分を犠牲にするだけの胆力は雨音には無かった。自分のいじめの時だって、周りは皆見て見ぬふりを決めていたのだ。簡単だ。自分もそうすればいい。だがそれは雨音にとっては、一方で自分を救いはするが、一方でどうしようもなく自分を堕落させる麻薬のような思い込みであった。雨音だけではない。人間誰しもそうであろう。ただただ、雨音はその小さな心に漠然とした黒い澱を貯めていくより他なかった。
 その澱がすっかり雨音と同じ形に成る。自己嫌悪という名の自分自身が雨音を抱き締める時、戒めるように縛る時、雨音は発作的に駆け出していた。
 梅雨の空気の廊下を走って出た先は、雨がそぼ降る中庭だった。放課後に降る雨の音は学校に残る生徒達を帰宅へ促す、か細くも鳴りやまない追い出し太鼓のようにも聞こえるだろう。けれども部活動の歓声がその場を圧倒的に支配していた。雨の音は殆ど聞こえない。雨音のように一人、傘もささずベンチに座りでもしなければ、雨の語る声に耳を澄ますことは全く無いだろう。
 何もすることもなく、ただ雨音は自分を痛めつける為に一人雨に打たれた。
 雨。自分を不幸へと追いやる悪。それはどこまでも無慈悲に無表情に叩きつけ、雨音の制服を濡らしていく。冷たくべたつき、ベンチに響くその音は自分を嘲笑うように聞こえる。頬を這う雫もぬるい風も湿気を含んだ空気も大変に不愉快だった。だが雨音は走った所為もあるのか、あらゆることを考え過ぎていたのか、それとも単純に授業に疲れたのか、深い疲労感と眠気にもまた抱き締められていた。そのまま目を閉じればここがどこであるのかさえ忘れて深い眠りに堕ちてゆきそうだった。しかしそれは安らぎとは程遠い、出口の見つからない酸素の薄い狭い部屋のような苦悶に溺れることと同義であるに違いない。第一そんなところへ行って、自分は何がしたいと言うのか。いじめを見たくないのか。いじめられたくないのか。そもそも端的に生きていたくないのだろうか?

 どうして自分は、こんなところで生きているのだろうか? こんな、何もかもがわからない世界で。

 雨音の視界が歪む。雨とは違う熱い何かが世界をどんどん滲ませていく。それが涙であると知っている。何で泣くのだ。泣いたって、何も変わりはしないのに。

 その時だ。周りを埋めていた雨の音がそっと収まった。

 雨音の沈黙の色が少し変わる。視界も少し翳った。何よりも天より落ちる雫が頭を、頬を、肩を濡らさない。驚きは大して続きはしないものだ。上目遣いで見ればすぐにわかった。
 傘だ。誰かが雨音に傘を指している。しかもそれはただの傘ではなく、昨今テレビの時代劇でもなければなかなか目に出来ない傘、すなわち和傘であった。
 後ろを振り向く。傘の所為で視界が隠れ、指している人物が誰かは分からない。けれど着ている服が学ランであることから男なのだろうとはわかる。問題はその学ランが雨音の学校の制服ではないということだ。あちこちボロボロになってボタンも取れていれば穴だって空いている。大正時代。そう雨音は思った。昔読んだ漫画で、大正時代が舞台のものがあったのだ。男のキャラクターがこんな学ランを着ていた覚えがあった。
 雨音はベンチから降り、傘から離れ、しっかりとその人、傘の君を見る。
 短くさっぱりとした髪の頭に、時代がかった学帽を被っている。学ランの制服もどこかレトロであり、靴ではなく下駄を履いていた。彼は雨音が傘から抜け出したにも関わらず、その姿のまま動かなかった。しばし見つめていると、顔だけ雨音の方に向けた。
 聡明さを感じる眼差し。何も言わずともわかる、そんな優しさが浮かぶ穏やかな微笑。

 一つ、笑みを深める。

 ああ、笑った。雨音がそう思った途端、その学ランの青年、傘の君は消え失せた。瞬きもしていないのに、何も声に出していないのに、映像が突然切れてしまう程不自然に消えた。そのことに対する恐怖も、未だ降る雨の冷たさと共にまざまざと感じながらも、傘を指してくれたことに対してお礼も何も言えなかったということが、不可解な現象よりもよっぽど雨音の心にのしかかってしまう。
 誰なんだろうか。幽霊なんだろうか。
 それからどのくらい呼吸を繰り返しただろう。傘の君は現れない。そうこうしている内に、雨は上がってしまった。雨雲は舞台を終えた役者のように流れ去っていく。西の空はいやに茜が燃えて見えた。
 抱えていたどうにもならない問いに答えを得られないままではあったが、雨音はとりあえず下校することにした。雨が上がったからか、それともあの傘の君に傘を差し出されたからか、妙にさっぱりとした気分だったのだ。雨上がりの道は、足音さえもいつもと違って聞こえた。自分から雨に濡れていた所為かも知れない。

next
novel top

inserted by FC2 system