亮は自分の部屋を暗くして、ごろごろと巨大なベッドに寝転んでいた。
 別に何も感じてはおらず、何も考えてはいなかった。ただ、何かを思っている気はしたのだ。家に帰ると、調査結果が届いていた。それを読み進めるたび、不安という名の予感は当たった、と苦々しく思った。
 結論から言うと、ケンの両親と兄は、亡くなっていた。しかし、ただ病気が悪化したとか、事故に遭ったとかではなかった。いや広く捉えれば、事故で亡くなったと言えるのだろう。そのまま無為に眠りに堕ちてしまいそうなのが嫌で、亮は上体を起こし、すぐ傍の資料にもう一度目を通した。


 いつだったか、北米の方で大規模なビル空爆事件が起きた。それはまだ、あくまでも亮にとっては新しい方の記憶である。昼食を済ませた後の、長閑で少し気怠い午後が何の問題もなく続くと思われた、何気ない無数にある日常。それが思いもよらなかったことで一変した。
 ケンの両親・ケントとソニア、そして兄のハリーは空爆の被害を一番受けたビルにいたという。巨大モニタに映っていたあのビルを、亮も見ていた。亮は歴史が動いたその時に立ち会っていたのだ。だけど、未来の友達の家族がいるとは、考えもしなかった。そもそも、友達という存在自体、何かの幻想やまやかしだと思っていた。いや、今はそれはいいだろう。
 亮は気絶するように、再びベッドに身を沈めた。

 ――ケンが両親を亡くしていることくらい、なんとなく亮には解っていた。それが交通事故だとか病死とかならお気の毒様でしたの一言で済む。本当はそれだけでは済まないが、一応のピリオドはつく。でもまさか、世界を一変したあの事件が出てくるとは思わなかった。溜息が、虚空に色も無く放たれた。
 ケンはその時、生意気にも保育園を抜け出して、両親と兄に会いに行く途中だったという。両親の仕事場に行く兄が羨ましかったのだろうか、理由はわからない。そして事件のその時を目撃してしまった。
 辺りの建物が崩れたり、あちこちで起こる爆発を目の当たりにしたという。爆炎が上がり、煙幕で視界が不鮮明な中、人々が逃げ惑う。その喧噪の中でケンは気絶した、という。ついでとして書かれていたが、彼は脳の言語中枢が異常な程発達していて、幼くして会話が成人並みに出来ていたという。来日する前に、近所に住んでいたハリーの友人・公鐘幽々志や浅倉夫妻から、日本語を自分で学び得たらしい。何だか、自分のようだなと亮は少し思ったが、とても笑えるような心境では無かった。
 家族を失ったケンは、祖父祖母の家に引き取られる話もあったが、留学生時のホストファミリーとして縁があった菖蒲の元に自分から行ったという。菖蒲は後天的な原因で、妊娠できない体だと書かれていた。だからだろうか。

 事件後のメディアは――もう元の姿を留めないような騒ぎで報道を繰り返した。伝える側も受け取る側も、何が何だかわからない状況で、混沌を絵に描いたようだった。あの事件が、今後の歴史の流れを決めた。あの日ずっとモニタを見つめていた亮はそう思う。
 だがケンは、自分よりも間近にその瞬間を捉えた。幾千万の思想、思惑、確執を超えたリアルなその場で、ケンは見てしまったのだ。
 亮に母がいないとケンが勘違いしたときに見せた、あの静かなる壮絶な顔が亮の頭に浮かんだ。同情し悲しんでいた。同様に、世界の抗えない流れにより無残に奪われた母親のことを考えていたのだろう。
 だけどケンはそのあと笑った。これ以上ないというような笑顔を見せた。
 それはケンが生き残ったから笑っている、というような残酷さからというわけじゃない。ケンは生きる流れに乗ってしまった。自ら終わることは許されない、世界の流れに匹敵するほどの流れだ。

 運命の流れ。そして生の流れ。

 ケンが残酷なのではない。ケンが笑うのにそんな名詞はいらない。むしろ、ケンを捕まえた、逆らえない、逆らったものは嘲笑される運命の流れが残酷なのだ。
 亮はそして、こうして知ってしまった自分に悪魔にも勝る何かを感じた。喜備の時と全く同じ質量だが、それ以上に精神的に重い。何もやる気がおこらないほどの苦い想いは、亮を水に沈めてそのまま殺すようだった。


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