日は沈み、宵の始まりである。浴室の窓は出始めた闇をでこぼこに歪ませていた。
 ケンはてきぱきと着替え、長いブロンドはくるくると頭にまとめてしまう。まだ七歳だから、菖蒲の手が必要かと亮には思われたが、見た目の割にしっかりしている。
 彼はアメリカの出身らしい。個人主義のその国では、子供は親と別々に寝る。それと髪のことは何も関係がないだろうけど、年のわりにしっかりしていることの要因ではありそうだ。
 洗面所を出て、向かいの扉の先には居間がある。幸せそうな明かりがもれている。男性の声と女性の声がする。
「はじめパパおかえりなーさい!」
 ケンは高い声で入るなり男性に抱きついた。風呂上りで体は温まっており、いつも赤い頬はさらに活気よく赤い。亮はただいまーとほがらかに笑う大人の彼を、あごを上げて眺めた。
 ケンの頬より黄色い頬にえくぼが浮かんでいて、丸い眼鏡におさまった細い目もその声も、みな嬉しさを表現するのに適していた。ケンの髪をぐしゃぐしゃにしながら水気をふき取って笑っている浅倉肇は父親そのものにみえた。
「こんばんは」
「あ、こんばんは」
 亮は妙にぎこちなく返した。ずうっと見つめていた亮はきまりわるくなり目線を菖蒲にむけると、菖蒲は食事の支度をしながらのほほんと笑っていた。
「亮君の分も作っちゃったんだけど」
「頂いて帰ります」
 まるで予定されていたかのようにスムーズに浅倉家の晩餐に参加させてもらうこととなる。ケンのようなどこからどうみても欧米人の子供を一人預かっているのだから、小麦な食事が多いと思われたが、実際は和洋折衷のよくある家庭料理だった。白米、味噌汁、そして主役といわんばかりにエビフライが目立っている。
「わーいわーいえーびふーらいーっ」
「海老は好物なので嬉しいです」
 ケンも亮も同じ目をして食卓の王者である海老を眺めていた。
「いただきまーす!」
「ケンちゃんお醤油かけるわね?」
 かけるわよねと菖蒲もうきうきしながら醤油をとりだした。
「亮君だね? お醤油かけるよね」
 かけるよなあと肇もうきうきしながら醤油をとりだした。
 何故一家に醤油が二本あるのだと亮は怪訝に思いながらだあっとエビフライに黒マントをかけられていく、亮にとっては哀れな海老達を眺めて二の句がつげなかった。いや初句すら彼は発していない。
「お醤油好きなんですか……?」
 大好き、と浅倉家は唱和する。
 エビフライには何もかけない、ぎりぎり許せるのはタルタルソースのみと日頃から主張している亮には痛い食卓である。そもそも亮は薄味が好みなのだ。
「目玉焼きには」
「醤油だね」
「……餃子はもちろん」
「醤油かしら」
「……ラーメンは」
「醤油らーめんだよ!」
 亮は元気な醤油フリーク家族に、頭がくらくらした。


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