八犬士にはさせないで サンプル
「静ちゃん……静ちゃん!」
目覚めた時、耳慣れない声が私を呼んでいた。ううん、聞き覚えはある。でもこんな声だったっけ、と言う声だった。私のことを静ちゃんと呼ぶ人は多いけど、まるで犬が飼い主に応えるように嬉しさが溢れるように呼ぶのは、まあまず一人しかいない。瀧川琴路。向かいの家に住む二つ年下の、私の幼馴染。その声に少し似ているような。と言うか、琴路に違いない。
「聞こえてるわよ」
うるさいっての。欠伸まじりにそう言う私。がっつくように私を呼んでいる琴路は誰かに体を抑えられていた。本当に犬みたいだ。中学生にもなってみっともない。いつまでも私についてこないでよね。
欠伸の所為で視界は輪をかけてぼやけている。ところで、琴路を抑えてる人は白衣の人だった。白衣の人。お医者さん。看護師さん。全体的に白っぽい周り。と言うことはここは病院なわけだ。
「何で私ここにいるの」
視界が鮮明になって、ようやくはっきり琴路を捉えることが出来たのだけど、私はぎょっとした。すみませんと医師に頭を下げる、やや背の高い男。琴路の声の人。
背が高い?
「あんた誰よ」
琴路は私より小さかった。一五〇センチ以上ではあるけど、成長期が遅れてきてるんだなあ、と見る人は思う程。おまけに童顔で、小学生に間違えられることなんてしょっちゅうだった。なのに琴路らしきその彼は、一七〇は越えていそう。
「やだなあ静ちゃん、もしかして記憶喪失?」
「そんな漫画みたいなことあるわけないでしょ」
ふざけるような語調のくせにやけにシリアスな顔するもんだから、ばしっと言ってやる。
「静ちゃん静ちゃんて、聞くからにうざったらしいの、琴路以外の誰がいるって言うのよ。そうじゃなくて何でそんなでかくなってんのよ」
「ああ良かった、静ちゃんだ静ちゃんだ」
だからうざいっての。そんな風にうんざりして吐く溜息の重さとか、頬に感じる痒さ、指先の感覚、シーツの質感、何もかも現実だった。夢じゃない。なら何で? 何で琴路はこんなに大きくなってるんだろう。私が縮んだのかな。ううん、琴路は顔つきも随分大人びていた。もう間違っても小学生なんかに見られない。中学生にも。下手すると大学生に見られちゃうんじゃないかな。
琴路の高い背の向こう側に見える私のお母さん、お父さん、それに兄さん、琴路のお母さんとお父さん、二人のお姉さんまでいる。そして皆一様に泣いたり、感極まった顔をしているのだけど、ちょっと待って欲しい。
何? 私の目が覚めることってそんなに一大イベントなわけ? まあ病院だし何かあったんだろうなとは思うけど、それにしたってちょっと大袈裟過ぎじゃない? 何? それともドッキリとか?
目を白黒させて、次第に眉間を歪ませていく私に、お医者さんから了解を得たらしい琴路が一歩前に出て、静ちゃん、と身を屈ませる。高身長の人だけに許される動きじゃないの、それ。琴路のくせに生意気な。
「落ち着いて聞いて欲しいんだけど」
私の記憶にはない琴路の顔。でも、琴路の面影はちゃんとある顔。童顔じゃなくなってしまっているそれ。でも泣き虫なのは変わってなさそうだった。いつでもどこでもいじめられっ子の琴路。私が助けてやって当然の泣き虫で、弱虫な琴路。
でかくなっても変わんない。今でもそう。大人びた微笑で誤魔化そうったって、私がどれだけ長い間あんたと一緒にいるかわかってんのかしら。ばればれなんだから、全く。
「何よ。勿体ぶんないでよ」
だって。
「静ちゃんは、二年間昏睡していたんだ」
ちょっとつっついたら、この病室で一番泣きそうな顔してるんだから。