ある八月十五日

※この掌編は平成24年8月30日北國新聞に掲載された新聞記事をもとに書かれました。
 記事内容はこちらのページで参照できます。
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 八月の折り返しの日だった。暑い暑い一日で、空は抜けるように青く、今でも目を閉じるとあの日の陽射しが甦って目蓋を突き刺してくるような気がする。いつも傍を通る犀川だってこの調子だと干上がってしまいそう。そんな風に思っていたのを思い出す。

 お昼頃にラジオで重大な放送があると聞いた。先週、広島と長崎におっかない爆弾が落ちて沢山の人が亡くなったと新聞で読んで知っていたので、それに関することかしら、いよいよ本土決戦かなあ、なんて内心怯えながら軍需工場でいつもの作業をこなしていた。そして私は日本の歴史に残るその放送を工場の食堂の片隅で聴く。陛下のお声だと思うと神妙な気分になったけれど、言葉は十四の私には難し過ぎて、ついぼんやりしてしまった。

「ねえ……何仰ってたかわかるけ?」
「ううん……」

 友達もこんな調子でただ私達は顔を見合わせるばかりだった。それ以前にところどころから啜り泣く声が上がっていて、それが聞くからに悲痛なものだと知れたから、私達の静かな狼狽や疎外感はますます増していく。

「負けたがや」先生がぼそりと言った。「日本が戦争に負けたがや」

 ――私は、きっともっとひどい爆弾を落とされたのかと思っていたけど、負けた、だなんて。全くの予想外だった。それどころかもっと頑張れという激励の言葉かとも思っていた。

 日本が負けた? 戦争が終わった?

 もう負けて何もすることないんやし、と先生は帰宅するように言った。友達と私、三人並んでとぼとぼと帰った。皆信じられないと目を丸くして黙って歩いた。
 白旗を上げた家、泣き声の聞こえる家、何も知らずに暑さを盛りたてるように鳴く蝉の声、朦朧と上がる陽炎。
 戦争が終わった。信じられないことを、胸の中で何度も何度も繰り返す。
 出征した親戚のおじさんやお兄さんたちは帰ってくるかしら。ああ、でも、戦死の知らせが届いた人もいた。死。負けた。負けた人達には何が待っているの。負けた国はどうなるの。私達はどうなるの。

 明日からどうすればいいの。何をすれば。
 でも、そんなこともわからないくらいに、私達は一様に、どこか一気に、疲れていた。
 何だか全てが、いつもより遠く見えた。

 川にかかる橋も小立野に続く坂も、ただ黙々と歩く。私達を通り過ぎていく、表情が翳った人達。皆まるで何かに吸い寄せられるように同じところへ向かっているようだった。ああ、護国神社だ。友達二人もそれに気付いたのか、私達はいつの間にか歩くのを止めていた。そしてその人達に誘われるように、神社へと足を向け始めた。神社もまた、坂の上にあった。一歩一歩踏みしめて登った。それは何かを悔しがるようにも、悲しんでいるようにも思えた。
「ねえ」
 私にある提案が浮かんだ。
 これから何をすればいいのかわからないのに、今することだけがふっと、ぱっと。

「お礼、言いに行かんけ」
「お礼?」
「兵隊さんに……」

 提案、と言ってしまっていいものかどうか、わからない。少なくとも私の中では、その想いはどこか神聖な儀式めいていた。しなければいけないことだと、何かが告げていた。

「戦争に負けたんは悔しい、嫌なことやけど……ちゃんと知らせんなんといけんがじゃないけ」

 神社では泣き崩れている人が大勢いた。頭を下げている人も、涙を流しながら何かに堪えるように黙っている人もいた。誰一人として立っている人はおらず、私達三人はひどく場違いであるように思えた。
 でも、私は、私達は玉砂利を踏みしめ進んだ。
 きちんと立って、手を合わせた。

 終わりました。全てが。
 これからどうしたらいいのかわかりませんが、もう、終わったんです。

 ありがとうございます。戦ってくださって。
 ありがとうございます。見守っていてくださって。




 ――こうすることが本当によかったことなのかわからない。でも私は伝えたかった。きっとどんなに重ねても足りなくて、正しいかどうかも分からないありがとうの言葉を、この神社に、金沢に、日本に満ちている英霊の御魂達全てに伝えたかった。

 ちっぽけな私達があの時に出来たことは、それだけだったのだ。

(了)

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