時には聖女のように




 その日からもう数カ月は経っているはずなのに、かつて私が暮らした家は入った瞬間からどこもかしこも抹香臭かった。仏壇のある粗末な和室が当然一番匂いがきつい。
 母だったモノは、その部屋の小さな骨壷の中に収められていた。私は物故者に対する一通りの所作を既に済ませていた。それなのに立ち上がる気になれなかった。足は蟻の大群が這っているように痺れている。でも痺れの所為で立てないのはない。私はその場に置かれているのが当然の何かのようにずっと座っていた。
 そしてじっと母の遺影を見ていた。遺影の母は穏やかに笑っていた。幾分疲れた顔もしていた。記憶の中の母は基本的に鬼のような形相で留められていたので、それを見た時には少し驚いたものだ。でも本当はもっと可憐に、あどけなく笑っているものだとも思っていた。それが彼女の理想だったではないか。
 母の趣味であった少女趣味でごてごてと飾られていた部屋はすっかり片付けられていた。そしてこんなちっぽけな部屋に押し込められた。私はその部屋と母の末路を見るのが楽しみだったのに、何故かそんなに気が晴れなかった。
 喪服が用意出来なかったから、適当に黒づくめの服を着てきた。つやつやした黒のジャケットに黒のスカート。けれど髪は金髪に近い茶髪だし、赤のマニキュアまでしている。ピアスだって、まるでいくつも錠がかけられているように耳朶に何個も突き刺さっていた。化粧だって薄いとは言えないし、雰囲気は刺々しいと自分でも思う。道を歩いていたら避けられる。こんな自分に、白いフリルが沢山ついたドレスを毎日のように着せられていた過去があるなんてことは、誰も思わないだろう。


 そう。レースやリボン、フリルがふんだんに付けられたふりふりの服を着て、どこもかしこも真っ白で、あるいはピンク色だった。白はどんな色にも染まる。あどけない少女時代の頃、私は母の色に思いっきり染まっていたのだ。母はロリータファッションに象徴されるような少女趣味にとにかく憧れていた。貧乏だった自分が出来なかったことを、娘に代わりにやってもらった。そういうことになる。
 小中はミッション系の学校に行く予定だったけれど、受験は落ちてしまった。だけど母の趣味の押し付けは止まらなかった。しかし成長の過程で私もどこかおかしいということに気付いた。
 どうして私は周りの子とは少し違う服を着せられているんだろう。どうして私はバレエとかピアノとか、やりたくもない習い事をさせられているのだろう。どうして私の部屋はこんなにぬいぐるみが沢山あったり、お姫様みたいなものなんだろう。
 何かしてお母さんに褒められても、ちっとも嬉しくない。どうしてなんだろう。そんな想いが小さな体にぐるぐると巡って、苦しくて何も食べられず、眠れない日々を過ごしたこともあった。
 そして初経を迎えた頃から私は彼女に段々反発をし始めていった。彼女の好きな服を着ることを止め、部屋を普通の部屋と呼べるものまで片付け、習い事は行かなくなった。勉強することも同時にしなくなった。中学に上がった頃、好きになったロックバンドの真似をしたいと思って、小遣いを貯めて真っ赤なギターを買った。ライブハウスに通って不良達とつるむようになった。化粧を覚え、煙草もその頃から吸い始め、処女だってその頃に捨てた。
 何かあるたび、母は少女趣味とは程遠いヒステリーを起こして私を叱り、詰り、私はロック精神にふさわしい反発を繰り返した。時には暴力を振るうこともあった。父は私達に介入することは最初から諦めていた。だから私は、男を信じることが出来なくなってしまったし、女だって、母みたいなものがいることに絶望を覚えていた。
 高校に入った頃から母は自分を着飾るようになっていった。年に合わないその幻想的なファッションは目を背けるどころの騒ぎではなかった。痛々しい。その一言を百も二百も重ねたくなったけど、その頃からもう母とは口を聞かなくなった。喧嘩もしなくなった。食事だって自分で作って食べたし、生活するため私は学業よりもアルバイトを優先した。お互い、いないものとして扱ったのだ。
 短大にも行かず、私は卒業するなりこの家から飛び出した。そして都会に出た。窮屈だったのもあるけれど、狂っていく痛い母と同居などしていられなかったのだ。一人になってみて、特に夢があったわけじゃないけれど、音楽でやっていくことは出来ないかと思っていた。でもそれは今考えてみると、母が私に自分の願望を押しつけたくらいに無理があるものだったと思う。


 線香に灯された火がじりじりと緑を蝕んでいく。数か月前、母は階段から落ちて頭を打ち、あっけなく死んでしまった。愛した趣味からかけ離れた、あまりにも無様な死に様だった。それを聞いた時ざまあみろ、と私は笑った。だけど、それは一瞬だった。
 母を死なせたのは私かもしれない。そんな考えが突然浮かんでは消え、また浮かぶ。そして消える。点滅するようにそれはこの部屋に入ってから繰り返し起こっていた。もう何回浮かんだかわからない。

 そして同時にこんなことも考えていた。母は幸せだっただろうかと。

 考えてみて私は笑う。幸せだったはずがない。最初は可愛かったはずの娘がこんなあばずれに育った。うまくいかないことだらけだったはずだ。趣味を極めようと、自分に陶酔していた分には幸せだったかもしれないけれど、それは本当の幸せと言えるのだろうか。
 だから、私は考えるのだ。今の私が母の言うように生きていたら――もしかしたら、母は死ぬことはなかったかもしれない。そんなのは仮定の話だ。考えたって意味もないことくらい十分わかっていた。だけど私はそれがまるで義務のように何度も何度も意識にのせ、考えるのだ。だけど答えが出ることはない。答えてくれる人は誰一人いない。いたとしてももうその人は骨になっている。彼女が好きだった白色をして、もう何も語らない。
 もしそうしていたら、母は幸せだったかもしれないし、私も幸せだったかもしれない。何不自由なく暮らせただろうし、ピアノを続けていたら音楽だってもう少しまともな才能があっただろうし、あんなに反発しなくても冷静になって話しあえば、少しはマシな服を着せてもらえたかもしれない。でもそれらは全て終わってしまったことだ。契機はもう消滅している。それでも思わずにはいられない。かつての自分のままでいたら幸せだっただろうか。なら今の私は。今の私は幸せだろうか。


 その時、傍らの鞄に入っている携帯電話が震えて着信を伝えた。仕事の電話だった。安い出演料だ。けれど私の歌が、演奏が必要とされているらしい。スケジュールを確認し了解の旨を伝えたが、私は力無く電話を切っていた。
 私が必要とされている。それは嬉しいことだ。でも私はどうしてか以前より情熱を見出すことが出来なくなっていた。母の訃報を聞いた時からずっと。

 私は幸せではない?

 彼女の言うように生きていたらどうだっただろうか。信者ではなかったけれど、彼女の真似をしてクリスチャンを真似して十字架に祈りを捧げてみて、全てを神に任せていたらどうだっただろう。綺麗なものに囲まれていたらどうだっただろう。時には無垢な少女のように、時には敬虔な聖女のように彼女に向き合っていたら――そう、たった一度だけでも彼女にそんな風に応えられていたら、そうしていたら、母はどんなに喜んでくれただろう?
 けれど――私は立ち上がった。足の痺れがじわりと体を登ってくる。歩いていればその蟻の大群共はどうせ死んでしまうから気にしない。
 私はそれを選ぶ機会をもう失ってしまったのだ。そう、永遠に失われてしまった。私は自分で選んだ今の自分を肯定しながら生きるしかないのだ。
 それが間違っているとしても。それが母の願いを叶えないものだとしても。
 自分で決めたことなのに、自分を選ぶことは苦しい。まるで私が少女時代に抱いた苦しみのようにそれは私から生きる気力を奪っていく。何も知らない少女の頃のように全てを受け止めることはもう出来ないのに、それでも全てを受け止めなければいけない。差異に私は苦しむ。辛くなる。
 私は家を後にする。もう二度と戻ってくることはないかもしれないその場所に、かつての自分と母に別れを告げる。


 そして私は向かうのだ。毎日やっとのことで暮らしている明日も知れない場所へ。
 自分が選んでしまった場所へ。


(了)

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