天が泣く



 ここのところ、よく天気雨が降る。

 単に天候の神の気まぐれか、それとも地球環境の悪化が原因か、一週間で三度ほど見たような気がする。秋だからといって降るものでもないだろう。そもそも、天気雨は夏の季語だったような記憶がある。そんな曖昧な知識を悩むわけでもなく頭に浮かべながら私は何となく傍らの存在に語りかけた。

「きつねの嫁入り、まただね」
 だな、と彼はそっけなく返事をする。大学付属の図書館を出たばかりだ。もう少し音量を上げて喋ってくれてもいいのにと、そうは思いながら素知らぬ顔をした。

「どっかできつねが嫁入りしてんのかなあ」
「この季節、ジューンブライドみたいなものなのか」

 からかうようなその相槌がどこか心地よい。最近あまり聞いていなかったからだろうか。白無垢やウェディングドレスを着たきつねと、それを見送り泣いている父きつねや母きつねの姿を思い浮かべて私は笑ったけれど、彼の返事が嬉しいのもあったはずだ。
「もしかしたら出てるかもな」
「何が? きつねが? 白無垢の?」
 彼は怪訝な顔をしたので、そういう想像をしていたと素直に話す。あほかとぶっきらぼうに返されてむうと眉根を寄せたが、軽くあしらわれた怒りよりも少し遅れて悲しさがやってくる。冷たい風が吹く。雨の降った後だからだろう、天気雨だったのに。
「おお、出てる。見つけてみるもんだな」
 彼は私を置いて小走りにどこかへ向かった。私が立ち止まっていると、早くと手招きした。それを見る私の顔はどんなものだっただろう。お互い距離が離れているし、彼も目が良い方じゃないからわからない。だけど、せっかくなら嬉しそうな顔が出来ていたらいい。彼も、嬉しいと思ってくれていたらいい。そう思いながら彼に駆け寄った。

「ほら、虹」

 彼に指さされて初めて私は、彼が見つけたものを目の当たりにした。小さな虹がキャンパス内に架かっている。背景は、秋色を増してきた遠くの山々。
「わあ……虹久しぶりに見たよ」
 簡単なスケッチが出来そうなくらいはっきりとしていて、そして雨が降った後だからか、何だか瑞々しい。虹も天気雨と同じで夏の季語だけど、秋に見る虹もいいものだ。だけど虹なんてそう滅多に見れないから、いつの季節でもいいものだ。多分。なのに私は矛盾するようなことをついつい口から零してしまう。
「虹ってさ、昔は不吉なものだったみたい。どっかで読んだ」
「へえ」
「確か龍の名前なんだよ。それとええと、確かね、双頭の蛇。空に架かる蛇」
 たまに漏れ出す私の、根拠のない蘊蓄を彼は黙って聞いている。よくよく思い出したら、彼とはいつもこうやって、何だかわけのわからない無駄な知識を喋って、適当に喋って、あとは適当に授業を受けたりゼミの発表を手伝ったりなんかしていた。

 きっと私は彼のことが好きなんだろうなあと思う。
 もうそう思った瞬間から、恋は始まっているのに、私は何を愚図愚図しているのだろう。
 甘い名前のついた、そのくせ壊れやすくて不格好で、持ち手も痛い籠の中に入り込むのが嫌なのか。目が粗いから、入れた瞬間から大事なものばかりが零れていく。零れたものはところどころ欠けていく。そんなのだったら、最初からお断りだ。
 そう割り切ればいいのに、惜しいのはどうしてだろう。空しいのはどうしてだろう。

「んじゃそろそろ授業行くか」
 続かなくなった私の話を待つのをやめて、彼は講義棟へと方向転換した。その動きで私のまとまりのつかない思考もぱったり止まって、やけに頭ははっきりした。まるでこの天気雨上がりの、宙まで突き抜ける様な青空のように。だけど、そう時間は置かず雲は現れる。
 彼の方では私をどう思っているのかなんて毛頭わからない。からかったり、無関心だったりする。それなりに仲はいいと思っているけど、どこに住んでるかさえ知らない。そしてその認識は私のもので彼のものではない。
 私は彼を追う。次の授業を私は取っていない。だけど別にどこかに行く予定も無かった。

「しっかし変な話ばっかりするよね」
「私のこと?」
「そう」
「何で急にそんなこと言うかな」
「何となく」

 もし私がこの状況を俯瞰することが出来たなら、どう読み解くだろう。苦笑交じりの私と、少しだけ楽しそうに見えた彼。彼から私の好意は、読み取れるだろうか。残念ながらここにいる私には、そういう風に読めない。読みたくても、風景が情けなく、弱弱しいほど霞んでしまって、何もわからなくなる。
 私は歩を緩めて空を眺めた。秋らしい、高くて澄んだ青空が、雨の記憶を忘れさせた。すると雲も無いのに、ぽたり、と雨粒が頬に落ちる。本当に何もなかったのだ。周りに雨どいがあるとか、屋根があったとか、雫の滴っている樹木だとか、それらしいものは全然見当たらない。勿論、私の涙でもない。

 いや、と私はそれを指先ですくってもう一度空を見た。

「天気雨って、天が泣くって言うこともあるんだよ」

 何か言った? と彼は振り返る。私は笑って何でもないと首を振った。だけどどうだろう。笑っていただろうか。天にいる私は、この私の顔が見えているだろうか。
 彼がそれじゃと手を振って、右に曲がるとすぐに視界から消え去った。あとは秋の空と少し汚れた講義棟や道が見えるばかりだった。虹はここには見えない。もうあそこの虹も消え去っただろう。


 私は雨粒を舐めた。どこか、涙のような味がした。


(了)




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