それは猿の遊び



 今から書くことは、こう言ってしまっては何だが本当にあったことなのかどうかわからない。何せ、もう見ることは出来ないし、聞くことも出来ない。何より、このことについて話すことが出来ない。僕は幻を見せられただけで、それがまだ抜けていないだけなのかも知れない。けれど書き残すことは辛うじて出来る。よく考えたらあの姉妹は三人で、記録係のような子はいなかったからかも知れない。けれどその内書くことも出来なくなったら、この記憶はそれこそ夢より儚いものになるだろう。だから僕は筆を執ることにした。誰が読むものでないとしても、自分の記憶に正しくある為に。


 雪の少ない暖冬も半ばの頃だった。大学の演習が縁で知り合い、少し仲良くなった猿丸言結(ゆう)と瓜二つの女性を街中で見つけた時、これが噂に聞くドッペルゲンガーと言う奴かと僕は本気で思った。ただ瓜二つなのは顔だけで、髪型は肩までのボブの言結とは違い肩甲骨辺りまで伸ばしたストレート、色は薄く茶に染めている言結とは違い背中に夜を纏ったような黒だ。言結はどちらかと言えばフェミニンで甘い格好が多いけれど、その女性はタイトなスカート、黒いコートに尖ったブーツと、幾分辛めのファッションスタイルだった。背丈だって言結より少し高い。寡黙で、厳しい印象があった。
 それでも僕は気になってつい尾行するような形になってしまった。そしてあっさり気付かれる。彼女はイヤホンをしていたにも関わらず、ものの三十分程で背後を振り返り、気まずく立ち止まった僕を睨むようにした。
「私達、三つ子なのよ」
 おどおどと事情を説明すると、何だと言わんばかりにつまらなさそうに返した。三つ子? と目を丸くする。そう、と彼女は鬱陶しそう。すいません、と反射的に頭が下がる。
 彼女は猿丸聞結(きこゆ)と名乗った。得られたのはそれだけで、急いでいるのと彼女はさっさとどこかへ行ってしまった。少し興味深そうに爪先からつむじの天辺までじろじろ見られたくらいだけど、それ以上何もなかった。


「そっか、きこちゃんに会ったんだ」
 話してもいいかどうか迷ったけど、何も言わずにいるのも居心地が悪い。勇気を出してそれとなく話の中に混ぜると、何てこともなく言結はそう言って笑った。彼女は幼い頃の三人の写真を持っていた。正直、聞結さんに会った時より驚いた。本当に同じ顔の、小学校に上がる前くらいの、少女と言うより幼女と言った方がいくらか正しい三人が同じフレームに収まっていた。子供時代だからか体の大きさに大した差は無く、服装も同じ、髪型も同じでますます見分けがつかない。唯一違う点は、真ん中の子の肩に子猿が乗っていることだろう。ペット? と訊くとそんなものかな、と曖昧に笑う。
「おかしいよね。子供の頃の写真、持ち歩いてるとか」
 言結は笑っていたけれど、それはどこか不思議と寂しげに見えた。本当にそっくりだったでしょう? と写真を収めた手帳を見つめた。
「でも……」
 弱々しく口を閉じる。促すべきか迷ったけど、でも? と結局訊いてしまった。
「ある日ね、決定的な違いが生まれたの」
 それは、と口籠る。それは? とまた復唱して続きを聞こうとした時に始業のベルが鳴った。いけない、行かなきゃと言結はばたばた準備をし出す。
「この際だから、一番上のお姉ちゃんにも会うといいよ」
 講義がない日は家でごろごろしてる暇人だから、と何事も無かったかのように笑い彼女は授業へ向かった。確かに、三つ子の内二人に会っておいて三人目に会わないのも何となく据わりが悪い。その場に残された僕は、自然と彼女の実家までの道のりを調べていた。


 彼女の実家は神社だ。猿園神社と言い、バス停の名前にもなっていたはずだ。三つ子全員に会ってみたいからと言う理由で訪れるのはさすがにどうなんだと思い始めていたけれど、鳥居をくぐった今となってはもう遅い。神社らしく緑の多いところで意外と落ち着ける。一通りお参りもして、何となく散策をしていて見つけたのは、大きな杉の木の切り株らしきものだった。注連縄が巻かれているから、かつてはご神木だったのだろうか。よく見れば近くの案内書きには老齢化により伐採、とあった。
「お参りですか?」
 振り返ったら、体はやや小柄ながらそこには言結と聞結さんと同じ顔の女性がいた。てっきり巫女さんかと思いきや、服装は神職には程遠い。パーカーとジーンズの短パンにスニーカーと言う、神社と言う環境のドレスコードに引っ掛かりかねないラフな格好。それにサングラスに近い色眼鏡まで掛けている。髪は明るい茶髪で二つお下げに結んでいる。ざっくり言うとだらしないのだが、それほどひどくないと思うのは彼女に似合っているからだろうか。
 肩には、あの写真に写っていた子猿がいた。あの写真の真ん中の子らしい。ここに来た経緯を話すとふうん、と色眼鏡を少しずらされてた。
「さては言結の彼氏?」
「い、いや、違いますよ」
「アタシは三つ子の一番上の猿丸見結(みゆ)。よろしくね」
 ききっ、と猿も笑う。犬近です、と頭を下げた。犬近? 猿丸とは犬猿の仲だね、と見結さんは歯を見せて笑った。
「この杉の木のこと、知ってる?」
 初めて来たばかりだから伐採されている以外は何も知らない。首を振るとそうなんだ、と頷いて再び切り株を見た。
「この神社ってさ、何で有名か知ってる? って、杉の木のこと知らないなら知らないね」
「え? 何かあるんですか」
「ここ、丑の刻参りで有名なの」
 うしのこくまいり。白装束に蝋燭を頭に立てて、藁人形に五寸釘を打ちつける呪いの儀式だっただろうか。現代でもやっている人がいるとは、さすがに思えないけれど。私も詳しくは知らないけど百年以上は歴史あるらしいよ、と見結さんはどこか呆れて言う。
「切り株の大きさからもわかるだろうけど、大きな杉の木がここにはあってさ。その杉の木に、何百もの藁人形が打ちつけられたの」
 ドン引きだよねえ、と溜息を空に向かって放つ。
「でさ、杉の木を伐採した時に、杉の木に溜まっていたその、丑の刻参りで出た怨念と言う怨念が、世の中に解き放たれたの。それはもう、うじゃうじゃと」
 はあ、と返したが、何だか返答にやや困る話になってきた。僕は幽霊や超常現象や何やらをわりと信じてはいる方だが、こうもさらりと話されると戸惑う。
「その数年後に生まれたのがアタシ達なのね」
 そう言えば、言結は三つ子に決定的な違いが生まれたと言っていた。見結が話すのは、そのことなのかも知れない。そしてそれは、正しかった。
「生まれてから数年後、アタシ達三人はそれぞれ、その怨念から生じた化け物を「見る」こと、「聞く」こと、そしてそれらを始末する呪文を「言う」ことが出来るようになったの」
 アタシは「見る」ことが出来んのよ。言いながらくい、と色眼鏡を持ち上げる。
「見るって……その、バケモノとやらを」
「そう。それからアタシ達は、怨念を野放しにして罪悪感一杯だったおじいちゃんの言いつけもあって、その化け物を退治するようになったの。三人一緒に行動してね」
「へ……え」
「アタシが見つけて、あるいは聞結が聞いて、で、トドメは言結が言う。まあ、マンガみたいなバトルなんてのは無かったけどね。化け物は化け物なだけで特に攻撃も何もしないの。空白の丸を見つけて塗り潰していく。そういう感じかな」
 化け物は処分しなくても別に問題は無いらしい。そこですぐさま何かが起こるわけでもない。けれどそのまま放置しておけば、いつか化け物から染み出る怨念や瘴気で事故や事件を起こす可能性が極めて高いのだと言う。本当に怖いのはそんなの生み出す人間なんだよねえ、と見結さんは肩を竦めた。
「三人一緒になって化け物退治するの、アタシは、結構楽しかったよ。でも思春期が来たら、段々アタシ達三人はばらばらになり始めた。当然だよね。三つ子だからって言って、いつまでも姉妹でつるむのもおかしいでしょ」
 高校も別、大学も別。それでもその化け物とやらを倒す日々はまだ続いているらしい。どんなものか想像するしかないが、言結が呪文を放って見えない敵を始末している、と言うことは、普段臆病で弱々しく見える彼女とは思えないほど勇敢だった。
「その怨念やら化け物やらで人が死んだりするのって、やっぱ嫌だもんね」
 へへ、と見結さんは微笑んだ。
「人知れず活躍するアタシ達三つ子のこと、そこそこ誇りに思ってるんだよね。アタシはさ」
 ややあって、お姉ちゃんはさ、と言い直して空を仰ぐ。そうか、彼女は同い年でも三つ子である以上姉妹で、その長女なんだと改めて思う。下手したら一番下に見えかねないやんちゃなスタイルの彼女は、空に向かって軽く息をついた。
「でも言結に彼氏が出来たんなら、この三つ子の使命ももう終わりかな」
「え、いや、その」
 彼氏って、としどろもどろになる。確かに言結は悪くない女子だし、そう見られて気分を害するわけじゃないけれど、戸惑いってものはある。
「アタシも、もう」
 そんな僕には取り合わず、見結さんは色眼鏡を何故か外した。
「見たく、ないしね」
 もしこの近くにその化け物がいるなら、彼女の目には僅かでもその気配すら見えるのだろうか。
「まあ」
 見たくなくても、と苦笑する。
「見えちゃうんだけど、さ」
 彼女は色眼鏡を結局掛け直す。運命からは逃れられない。そう言っているような気がした。
 こつこつ、と足音がして振り返ってみると、そこには見結さんと同じ顔をした女性がいた。黒いコートに尖ったブーツ。ストレートの黒髪。聞結さんだ。あれ? と見結さんも振り返ってにかっと笑った。
「聞結、どうしたのさ黙って」
 お客さんだよ、言結の彼氏ー、とにこにこして傍へ寄っていく。そのままぎゅっと抱きつくのかな、と思った。どっちが姉で妹だかわからない。身長も聞結さんの方が高かった。仲のいい姉妹だな、と微笑むんだろうと思った、その瞬間だった。
 バン、と大きな音がした。刹那、僕の真横を見結さんの小さな体が横切った。それはまるで吹き飛ばされたかのようで、実際そうらしい。どすんと受け身も取れず、見結さんは地面に叩きつけられるような形になった。土煙がもうもうと舞っている。爆薬? でも硝煙の匂いはしない。
 仕掛けるとしたら、見結さんが近付いて行った人。
 固い表情を見せている、聞結さん。
 魔物の声を聞くと言う人。
「……な、に……よ?」
 よろよろと、腕を押さえながら見結さんが立ち上がる。小猿も吹き飛ばされて僕の足元に逃げてきた。飼い主の見結さんの所にいかないのだろうか。動物的感性が危機を察知したのだろうか。
 危機。
 それは、姉妹喧嘩の?
「いきなり、何……」
「その筋の人に頼んで」
 右手を緩く上げる聞結さん。掌が、ぼんやり青く光っていた。目を疑う。手品か何か? そう信じたければ信じればいいのかも知れない。何度も目を擦ったり瞬きしたけれど、不思議な青い光は消えない。
「力を貸してもらったの」
「何、よそれ。力って、そんなの」
 アタシ達には必要ない。きっとそう言いたいんだろう。化け物は攻撃してこない。そうさっき聞いた。身を守る力は必要ないはずだ。
「あんたをぼこぼこにする為に、決まってるじゃない」
 一瞬言葉を失ったらしい見結さんは、ややあって、けれどもはあ? と失笑する。僕もそうだ。何で? どうして。そう思っていると急に見結さんは胸を押さえた。ぐ、あ、と苦しそうに呻く。それもまた、聞結さんが借りた力とやらによるものだろうか。大丈夫ですか、と駆け寄ろうとしたけれど足が、何故かどうやっても動かない。第三者の立ち入りを禁じているのだ。きい、と小猿も心配そうに鳴いた。
「殺しはしない」
 呼吸も荒々しくなっている姉をつまらさそうに眺めて、一歩二歩と聞結さんは近付く。
「苦しめるのは、いいけど、さ」
 立っていられなくなって、見結さんはすとんと腰を落としてしまう。まずさあ、と近付く妹を見上げた肌には汗が浮かんでいるように見える。
「筋道を、さ……はっきりさせなよ。それに、こんなことして……ただで済むと」
「思ってない」
 ぴしゃり、と一閃。妹はあまりに冷ややかな目を姉に向けていた。
「今日限りで、私、ここを出ていくから」
 え、と見結さんは目を丸くする。取り合わず妹は、私ね、と背中を向けた。
「ずっと辛かったのよ」
 ひゅう、と冷たい風が吹く。冬の風。春など来ないのではと不安にさせる、よそよそしい寒さ。
「見結には聞こえないでしょ。怨念達の哀しい声」
「……それは、でも」
 そう。聞こえない。彼女には見えるだけだ。
「倒すたびの、断末魔が」
 表情は固く冷たいままだけれど、声には秘めてきたであろう彼女の禍々しさが滲んでいた。
「何にも聞こえないから、平気で殺せとか言えるんでしょ」
「だって……でもそれが、アタシ達の」
「それが」
 ぎり、と何かを噛み砕くように一瞬、口を閉じる。
「もうずっと、十年くらい耐えられなかったのよ」
 握りしめた拳は震えていた。今すぐにでも、鉄槌の代わりとして振り下ろされそうな。
「私だけが、罪を背負っているようで」
「だって……あれは悪しきモノで」
「呪いはね、怨念はね、悪いモノだけれど」
 声は次第に大きくなる。第一印象の寡黙さから大きく離れた声は、怒りの色に満ちていた。きっと、十数年秘密にしていた怒り。
「誰かの切実な想いなの、祈りなの。果たされなかった、報われなかった、救われなかった想いなのに、それを、私達は、いいえ」
 あんたは! と震える右手を大きく振り上げた。勢いよく下ろせば、見結さんの脳天に叩きつけられるそれを、けれど。
「やめて!」
 力づくでその腕を止めたのは、彼女と同じ顔をしたもう一人の存在だった。
「やめてよ!」
 猿丸言結。三つ子の末っ子。彼女は普段引っ込み思案で口数も少なく、声を張り上げることもあまり無い大人しい子だった。そんな彼女の大きな声に、僕も猿も共に驚いたようで思わず目を見合わせた。

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