野守は見ずや
九月に入ったものの未だに暑さは夏の気配を帯びていて、けれども午後を三時も過ぎると陽射しは和らぎ、肌を滑る風もどこか優しい繊細な印象を抱かせる。その懐かしい寂れた無人駅に着いた時には蝉時雨も微かなものになっていた。足元に落ちる陽だまりはただ暖かな光。夏に見ていた燃え立つ陽炎とは違う。
優しく吹く風に秋と夏の僅かな邂逅を感じながら時刻表を確認した。一時間に二本程の、存在を忘れられたような在来線。次に電車が来るまで三十分以上もある。ホームには誰もいない。古いベンチはどこかの企業の広告が背もたれに書いてあったのだろうけれど、すっかり錆ついたり剥がれたりして読めたものではない。私が子供の頃からあったかもしれない。そう微笑しながらそのお爺さんベンチに腰掛けた。子供の頃、なんて思った所為だろう。追憶の扉が開け放たれる。
いいえ、いいえ。最初からその扉は開かれていた。私がここに赴いたのは、その扉から流れいづる追憶に一応の別れを告げる為だ。
子供の頃の思い出。沢山の誰かと過ごした煌めいた日々。たった一人の特別な人とも過ごした長い、けれども人生全体からすれば僅かな時間。
つまりは幼き彼の記憶と決別する為でもあったのだから。
再婚の話は、悪い話ではなかった。
「君がいつまでも独りでいるのが、僕には我慢ならない」
あの人は真剣な表情で私を見つめ、指先に触れた。
「僕は君を、その」
言葉を一つ一つ考え、息を詰め、何度も言い淀んだ。それは決して演技ではなく真に迫るもので、私が飲み込んだ息だってきっと決意のそれだった。私は指先に触れる彼の手をそっと包んだ。
そんな感情的なもの以外にだって再婚を決めた理由はある。即物的だけど一番大きいものとしては経済的な面でもそうだし、社会的な面もある。どの道私は独りで生きていけるほど強くもない。
ただ再婚、と言うからには、私には既に心を決めた夫がいた。当然過去形の話で、その人はこの美空の下にはもうおらず、その心は空の上にある。地上の私は二つの瞳では捉えきれない程膨大な蒼穹に膝を折る。此岸の私は決して届かない彼岸を呆然と見つめるだけだった。
それがもう何年、続いたことだろう。
亡き人を想い続けることに疲れたとか、そういうことでは決してない。ただ抗えない時期が来た。受け入れることもまた生きること。そう思い至る。そうして、もう若いとは言えなくなったくらいに年を重ねた私は、重い首をようやく是の形に傾けることが出来たのだった。
そんなことを言えば時代遅れとか古臭いとかもしや言われるかもわからないけれど、再婚するにあたってかつての夫の想い出が過るのは、あまり褒められたことではないように思えた。それが今回の小旅行のきっかけだ。全てを忘れる、と言うわけではない。ただ私なりにきちんと整理をつけたかった。
何年振りかに訪れた故郷は特に変わった様子も見せず、かと言って朽ち果てそうな予感も見せず、どこか時代の流れから独立した特異点のような印象を与えた。この駅もきっとどこも変わっていないんだろう。座っているベンチだってさっき思ったように子供の頃から存在していて、もしかすると今現在のように広告が禿げていたりところどころ錆びていたりぼろぼろだったかもしれない。
ふ、と笑って立ち上がり、背を撫でた。持ってきた短編集を開く気にもなれず、眠ってしまえば貴重な電車を逃してしまうかもしれない。どうせ無人駅。私はのんびりと散策する態で歩き始めた。
小学校、近所の神社、そこと隣り合った児童公園。特別強い思い出があったわけではないけれど、巡りに巡った。さすがに小学校の中は入れず校門をただ眺めるだけで通学路を通ったりしたものの、大したものではないと高をくくっていた数時間前の私を笑いたい。微々たるものではあったけれど、懐かしさは確実に私から言葉を奪っていった。時折思い出は私を切なく締め付け、動くことを忘れて立ち尽くしていたこともしばしば。あまり里帰りをしない私だ。近所からは不審者と見られていたかもわからない。
私と夫はいわゆる幼馴染と言うもので、始終べったりと言う程でもなかったけれど、それでも小学校時分はどの思い出にも姿を見せている。だからそんな風に呆然自失としてしまうのも無理のない話だった。とついさっきまでの自分に苦笑しながら一旦駅を出、適当に歩を進ませていた。
そして見つけたものは、階段だった。
奇妙な石造りの階段。駅の壁に向かってそれはあるものの、途中で切れていてたった四段程度。どこにも続かない。誰が何のために置いたものかさっぱりわからない。苔生していて、長い間風雪に曝されていたのが一目でわかる。
私は、二度三度瞬いた。
これに関する何かを、私は知っている。
そんなに強くはなくなった陽射し。なのに立ち眩みでも、起こしたようになる。急激に、開きっぱなしにしていた追憶の扉からまるで弾丸のようにある思い出が撃ち出される。あまりに些細な記憶過ぎて、忘却の錆に食い散らかされたちっぽけな弾丸。けれどもそれは痛々しいほどの鮮やかさを以て、私の脳裏に広がった。そう表現するならそれは弾丸ではなく、思い出の花火みたいなものだったのだろう。
――そこの階段を一段登って、二段登って、そのままバックするみたく階段を下る。
――それを三回繰り返したら、一気に登る。
――それから、とんとん、って、空気にノックする。
――そのまま一段一段ずつ降りていく。下ったら最後にお辞儀する。
――そうするとね、「あっち」の世界への扉が開くんだって。
それは何年生の頃かもわからなければ、季節がいつだったかも、誰が話してくれたかもわからない。でも教室で集まって、皆息を殺して聞き入っていた。一つの怪談。どきどきする私の隣に、彼がいた。いつも通り涼しい顔をしていたけれど、ごくり、と唾を飲んだのを私は覚えていて、ああ、こういう風に怖がることもあるんだなんて、ちょっと嬉しかったし、可愛いとも思った。
――でね、死んだ人が会いに来るの。お喋りは出来ないけどね、ちゃんと見えるの。
――でもねでもね、「あっち」と「こっち」を見張ってる門番みたいなのがいて、それに見つかったら……。
――わたしたち、みんな、「あっち」へ行っちゃうんだって。
――わたしたち、みんな、死んじゃうんだよ!
きゃあ! と何人の声が重なっただろう。楽器が共鳴し合うように女の子の声も男の子の声も混じり合ってきゃあきゃあと喚き立つ。それはそのまま、声の飛び火とも言えた。確かその後だっただろうか、担任の先生がうるさい、と言って教室に入ってきたのは。
でも、その怖がっているようでどこか楽しんでいた声からもわかる通り、子供だから怖いことは試したくなるもの。怖いと面白いとは、本当はあの頃に限らず今も限りなく隣同士にあるものだ。その後、何人かでグループを組んでその儀式を実践してみた。私も彼も、一緒に試した。
だけど、結果は。