そこで、目が覚めた。
「……嘘でしょ」
 今まで勝負がつかずに夢が終わったことはなかったのに。起き上がらなくちゃいけないのに、とても起きられる気分じゃなかった。ずん、と鉛でも載せられたように、体が重かった。
 百戦中、四十九勝五十敗、一引き分け?
 引き分けなんて、考えてなかった。勝つか負けるかしかなくて、今回ばかりは勝つことしか考えてなかった。勝って、言おうと思ったのだ。

 好き、だって。
 追いかけたくなるくらい、つい意地を張ってしまうくらい、好きだって。

 あいにく平日で学校に行かなくてはいけない。死んだような心地で制服に着替える。食欲がなくて、野菜ジュースを飲んだだけでとぼとぼと家を出た。
 いつもより早くに出たから、時間がある。普段は通らない公園を突っ切っていくことにする。遠回りしたかった。学校に行ったら、あいつの顔を見ることになる。あいつはまた何か言ってくるだろう。私の今の表情、見なくても分かる。ものすごく、沈んでいるから。ひでえ顔だな、とかなんとか。
「まるで死人だな」
 そう、例えばそんな風に。
 驚きで鞄を落とすところだった。
「な、何でいんのよ!」
「それはこっちの台詞だ」
 ベンチで膝に肘突いて、滝沢真琴はつまらなさそうに私を見ていたのだ。待ち伏せ、なんかじゃないだろう。ここが奴の通学路なのだ。全然知らなかった。
 鞄を拾いながら、ベンチから腰を上げる彼を見る。かさかさ、と乾いた音を立てて、秋の間にすっかり落ちてしまった枯葉が飛ばされていく。でも、冬が来たら春は目前だ。となると、もうすぐクラス替えもやってくる。そうそう同じクラスになれるわけじゃないから、もうあいつと争うこともなくなるだろう。
 夢でだって、もう、会うことはない。
 そもそもあの夢は私の作りだしたもので、今の仏頂面の滝沢と会っていたわけじゃない。結局は虚しい一人遊び。
「俺は」
 でもそれだったら、もう少し私に都合のいい滝沢でいてくれればよかったのに。
「お前が勝ったと思うよ」
 こんな風に、夢の話にちゃんと付き合ってくれるような。
「……え?」

 俺はお前が勝ったと思う?
 勝ったって、何に?

「え? 何?」
 こないだの英語の単語テスト? 数Tのプリント? それとも何だろう?
「だって最後さ」
 自分の鞄を担ぐようにすると振り返りながら滝沢は言う。
 憎らしく見える、勝ち誇ったような、微笑を浮かべて。
「並んだ時、ちょっとだけ、俺、お前に見惚れてたから」
 相手も同じ夢を見ているなんて、そんなのそれこそ、夢のような話。
 でもここは夢じゃない。肌を切る乾いた冷たい風が吹く。手の甲をつねれば、痛さが湧く。
「え」

 してやられた?
 私だけの夢だと、思い込んでいた?

「え、え?」
「よし、百一戦目だな」
 びしっと指差すのは、私達の昼の戦場。学校があるところ。
 百一戦目。今までの夢も、ちゃんと見てた?
「どっちが先に学校に着くか」
 あいつの方はもうこっちを見ない。ゴールだけを睨んでいる。
「戦績はどっちも五十勝五十敗だし、これで勝ったらリード出来るな。負けた方が一つ何でも言うこと聞くってのはどうよ」
「ちょっ、えっ、何、どういうこと!」
「勝ったら、教えてやんよ!」
「て言うか、負けるわけないでしょ!」
「五十回も負けてたじゃねえか。行くぞ!」
 ちょっと待ってよ! と言う私のそんな絶叫がスタートの合図になって、私達は駆けだした。
 公園を出る時にすれ違った、赤いランドセルを背負った女の子は、私達を見てふふっと笑っていたようだった。その女の子は、あの巨大な少女に似ているなと思ったけど、それは学校に着いたら話すことにして、今は、滝沢とのかけっこに専念しよう。

 だって今、私も滝沢も、夢の中のように笑い合っているんだから。
 そうして冬の憂鬱な空の下、私達は百一番目の勝負に繰り出した。きっと、百二番目も、百三番目も、これから続いていくと信じて。

(そうだ)
 突然の展開が続いて、うっかり忘れていた。
(このレースに勝ったら、夢では言えなかったこと、言おう)
 好きだって、付き合ってって言うんだ。
 だって、言うことを聞いてくれるって言ったのは、あっちの方なんだから。

(うん、決めた!)

 頷くと同時に私とあいつは、最後の直線へと走り込んでいった。

(了)

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