ダービーダービー



 突然だけど、私には常日頃から戦うライバルがいる。
 女の子じゃなくて男子。とてつもなく、いけすかない奴。思い出すだけでも無性に腹が立つ。入学して席が隣同士、最初は単にそれだけのクラスメイト、ほんの少し、格好良いかな、と思った程度で、特に何にも起こらず、ずうっとそれで終わるはず……と思ったのに、何故かことあるごとに対立して、つまらないことで、もう高校生だって言うのにあれこれ喧嘩してしまう。かっとなりやすくて誰に対しても遠慮しない私の性格にも問題があるのかもしれないけど、乗ってくるあいつもあいつだ。成績も一位と二位をいつも奪い合う。勝ったと思えば負かされ、負けたと思えば勝つ、かと思えば負ける。追いつけ追い越せひっこ抜けが延々繰り返される。
 そしてそれは、ついに夢の中にまで浸食してきた。
「七曲琴音おねえちゃんと滝沢真琴おにいちゃん」
 最初の夢。私――七曲琴音とあいつ――滝沢真琴(琴、と言う字が共通してるところが、何だか悔しいと言うか、気持ち悪いと言うか)が並んで立っていて、一人の少女に見下ろされている。そう。見下ろされている。その少女はとにかく大きかったのだ。座っていたけど、立ったらスカートの中がばっちり覗けてしまうくらいには。いわゆる、巨人だ。
「今夜からおねえちゃんとおにいちゃんには、いーっぱい戦ってもらうからね」
 私もあいつも、異議を挟む暇がない。少女は大好きなお菓子を頬張ってでもいるような、蕩けそうな笑顔を浮かべたままだった。これは、文句を言おうとするものならば、もしかすると……いやもしかしなくとも、食われる。多分私達は同じことを思っていた。この時ばかりは、意志が通じ合っていた。
 そうして有無を言わさず、私とあいつの、夢の中における百番勝負が始まった。戸惑うことはなかった。むしろ毎日争っているから、それがちょっと延長したみたいなものだ。
「こてんぱんにしてやるわよ」
「はっ、言ってな」
 そう、お互いに鼻を鳴らし合った。少女は満足そうに、にんまり笑っていた。
 その勝負。様々なものによる勝負だった。じゃんけん、けんだま、オセロ、ドンジャラ、ババ抜きや神経衰弱、ポーカーに七並べと言ったトランプゲームの各種、花札、人生ゲーム、すごろく、福笑い、百人一首、かるた、ベーゴマにメンコに早押しクイズ、ゴルフに卓球、釣り、ゴーカートレース、書き取りテストに縄跳び、ボーリング、カラオケ、ゲーセンにある音楽ゲーム……並べてみれば、ほとんどが俗に「遊び」と言われるものだった。
 でも私達は真剣に争った。夢と言うフィールドだからか、演出が勝手に入ってやたらと漫画や映画めいた効果があったりなかったり、現実ではあり得ないことが起きたり起きなかったりして、私もあいつも、それを眺める巨大な少女も、結構楽しんでいた。
 そう。私は、少なくとも楽しかった。
 それが、私一人だけが見ている夢でしかなくても。
 夢を見ているのは、私だけのようだった。あの巨大な少女、サイズも勿論だけど現実に彼女と似た知り合いはいないし、近所の子供にも似た顔はいない。滝沢も夢の話なんか一度もしなかった。それとなくかまを掛けてみても、反応は無かった。そもそもあいつから夢の話を振ってこないんだ。

 当たり前だ。私の夢は、私だけのもの。
 誰かと同じ夢を見ているなんて、それこそ、夢のような話。
 夢を見ているのは、私一人。
 滝沢との勝負に執着しているのは、私一人。

 勝負は、九十九回目を終えて、百回目を迎えようとしていた。戦績は私が四十九勝五十敗、滝沢が五十勝四十九敗。悔しいことに滝沢の方が一歩リードしている。
 たとえこれが私の虚しい一人遊びでしかなくても、滝沢にはやっぱり負けられなかった。次こそ私が勝って、同点に持ち込まないと。
 けれども。
「あのね、わたしもう飽きちゃったんだあ」
 唐突に、終わりはやってきた。
 少女は並んで立つ私と滝沢――幻でしかないあいつを至極残念そうな瞳で見下ろしながら言った。飽きたって、と零れる私の弱々しい声は、巨大な少女の巨大な声に虚しく、いともたやすく遮られる。
「ちょうど百回目だし、次で終わりにしようね」
 これ最善とばかりににぱっと笑う。神様と言うのは、ちょうどこの少女のようなものなのかもしれない。
「最後の勝負はこれっ」
 ぱん、と両手を叩くと同時に、わああっと言う歓声に包まれる。一瞬で変わった周りは青い芝生が広がっていて、何かのレース場のよう。スタンドには大勢のお客さんが手拍子したり拍手したりコールしたり、とにかく私達の勝負の始まりを待ち侘びているようだった。
 何の勝負? と思った時だ。
「ひゃっ!」
 ぬうっと、何やら細長い動物の顔のドアップ。私は一歩飛びのいた。
「だっせえ」
「う、うるっさいわねえ!」
 滝沢の方はその細長い何かを既に愛おしそうに撫でていた。私のは黒かったけど滝沢のそれは白い。
 何かと思えばそれは、馬だった。
「琴音おねえちゃんと真琴おにいちゃんの最後の勝負は、乗馬でーす!」
「乗馬って言うか」
 少女のアナウンスと共に流れるファンファーレに私は歪んだ苦笑を浮かべた。
「これは、競馬じゃない?」
「何でもいいじゃねえか」
 切り替わるのが早いのが夢と言うもの。気付けば私も滝沢も騎手が着る服を身に纏っていた。手袋に包まれた右手と左手をぎゅっぎゅと握っては開き、開いては握る。馬を叩く鞭もすぐそこにあった。
「さっさと終わらせようぜ」
 よっと、と滝沢は馬に乗る。その姿は、何故かひどく、彼に似つかわしく見えた。
「何だよ」
 じいっと見ていたのがばれて別に! とそっぽを向いた。顔は変に赤くなっていないだろうか。ごしごしと頬を擦った。
 頬を赤くした理由を、乗馬しながら考える。ううん、考えるまでもなかった。白い馬に男の子が乗れば、一応形式的には白馬の王子様になる。
(うわー、気障。何が白馬の王子様よ)
 よりにもよって滝沢にそう思うなんて、自分に唾を吐きたいくらいだ。見れば滝沢はお客さんに手を振っている。女子が一団となって黄色い声で応援していた。やかましい、なんてものじゃなかった。
 あいつを包む女の子の声は、いつも、うるさい。勝負とかそう言うの関係なく、何か話しかけようと思っても、取り巻きの女子に邪魔される。あいつと席が隣同士だから、いつも争っているから、ある意味特別な存在である私に嫌がらせしてくる女子もいた。
 女子のいじめは陰険だ。だから、つまらないことでいじめに繋がりそうな騒ぎを起こすのもどうかと思ったし、あいつとは違ってその子達と喧嘩しないように努めてきたけれど、その行く先を失った鬱憤が結局、あいつに当てられてしまったのかもしれない。変な悪循環を、いつも生み出していた。
 現実の私は、だから、全然楽しくなんかなかった。滝沢もいつも、しかめっつらだった。
 この夢の世界の勝負は、女の子達はいない。見つめているのは神様の少女だけ。のびのび競えて、とても楽しかった。面白かった。
 私も滝沢も、いつも笑っていた。
(でも)
 レースが始まる。スターティングゲートに入って、合図を待つ。
(でも、この夢は)
 手綱を握る。馬は思っていたよりも落ち着いている。私ばかり、鼓動が速くなる。
(私だけが見てるもの)
 虚しい幻だけど、私には本物だった。
 現実でも、滝沢と笑い合いたい。夢から覚めると、いつも思っていた。教室でいがみ合う度、夢だったらもう少し優しく言えるのにと落ち込んだ。少女があれこれ茶化して二人して微笑み合うことだってあるのにと、明るいだけで無慈悲な昼の世界を恨んだ。
 この夢も、もう終わる。
 ぱあんとピストルが鳴ってゲートが開く。一瞬の動きがひどくゆっくりと見えた。でも馬は走り出す。立ち止まろうとする私を引っ張るように信じられない速さで走っていく。鞭で打つ所じゃない。しがみついていなくちゃ、落ちてしまう!
 前方を行くのは滝沢。悠々と馬を走らせていく。このままだと、ぶっちぎり一位だ。
(負けられない)
 萎えかけていた闘争心は、めきめき甦っていく。走りたい、追いつきたいと思えば体が馬と一体化したようにすんなり体勢は立て直せて、更なるスピードが出ていく。
 目盛がちょっとずつ上がっていくみたいに、滝沢と私の距離はちょっとずつ詰まっていく。もう少し、あと少しで並ぶ。その怒涛の巻き返しに驚いて上がる歓声がますます馬を後押ししていく。
(そうだ、今はもう、競い合うのが当たり前になっちゃって、忘れていたけど)
 追いつかれようともあくまで優雅に走っていく白馬を、滝沢の背中を、私は見つめた。睨むのではなく、まっすぐに。
(私、あいつに追い付きたいと思ってたんだ)
 きっかけは何だっただろう? 小テスト? 入学時の実力テスト? もはやそれさえも忘却の彼方で、今の想いを取り戻せただけでも奇跡らしい。
(追いかけたいなって、そう思ったんだ)
 その根本にある想いは、陳腐過ぎて、言葉にしない。
(私は、最初から。ちょっと格好良いな、って、思った時から、ずっと)
 でも、声に出してあいつに伝えるとするなら、それは。
(この勝負に、勝ってから!)

 たとえ幻の、嘘の滝沢真琴でしかなくても、私はちゃんと伝える。
 私の気持ちに、正直になる!

 痛いかな? と思いながらも私は精一杯、鞭を振るった。あともう少しだから、私と一緒に頑張って!
 馬は待ってましたとばかりに更にスピードを上げていく。もう、詰めるべき間が無いくらい迫った。場内の実況はきっと盛り上がっているなんてものじゃないだろう。
 黒い馬と白い馬が並ぶ。私と滝沢が並ぶ。お互い、よそ見もしなかった。罵り合うこともしなかった。真剣な中で、刹那の中で、けれども。
 戦意に火照った体は、互いに微笑を浮かべられずには、いられなかった。
 最後のコーナーを超える。一直線。よくテレビなんかで見かけるあの最後の区間。走るのはたった二頭の馬。あいつはどうだか知らない。でも私は決意を抱えて、走りきる。あいつを追い抜いて、ただ必死に!

 私は、私は、最後の鞭を振るって――。

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