途方に暮れてもいられない。それからすぐ、半壊した坊っちゃんの家から必要最低限のものを探し出して、坊っちゃんの車に載せて俺の家へ向かった。車は近くの駐車場に停めてあったからぎりぎり難を逃れていた。
 凄まじい破壊ぶり、かと思ったけど想像よりは酷くなかった。でもここで一夜を過ごせと言われたら誰だって嫌だろう。もとからぼろい家だったのも痛い。屋根は大きく欠け、壁もずたずただ。辺りには瓦礫と埃でいっぱいで、布団だって敷けない。眠るどころの話じゃなかった。こりゃあ近所の人にはどう説明するべきか。局所的な竜巻が起こったとか、隕石が堕ちたとか。なんて考えながらえっさほいさと瓦礫をどかして物を運んだので、見た目は火事場泥棒に近かったかも知れない。ここまでした美禰子の力は火事場の馬鹿力、なんて言ったけど。
(いや、火事場泥棒じゃないって)
 災害に遭ったのは坊っちゃんと清さんの方だ。
(なんて、そう思う俺達の方が加害者、原因なんだけど)
 美禰子は魔力の消耗に引きずられる形で体力の消耗も激しかった。車の中で、短い眠りについている。楽天的でお調子者な性格とは言え、一つの家屋を崩壊させたのだ。さすがに美禰子だってあはははと笑っていられない。表情を消してこんこんと眠っていた。
 そう。
(笑って誤魔化せられる話じゃ、ないってこと)
 なんだよなあ、と車中で軽く溜息をついたのを、坊っちゃんはどう聞いていただろう。怒ってるよな、と伺いの目を向けた俺を暗い車中でどう見ていただろう。俺の方は、何にもわからなかったけれど。
 帰宅してワガハイに一部始終と事情をかくかくしかじかと話したところ案の定苦虫を噛み潰したような顔をされた。無理もない。さすがに喋る猫と言う現象には本気でびっくりしていたようで、清さんは言葉もなくあらまあと言いたげに頬を包んでいた。清さんの驚く基準が今一つわからない。
 美禰子は疲れですぐ布団に入った。坊っちゃん達もとりあえず今日はここに一泊することになる。風呂も早速沸かした。
「さて、どうするかねえ」
 清さんのお風呂上りを待っている坊っちゃんは、うんと伸びをした。既に寛ぐ気満々に見えるけれど、ああなった後だ。軽く体を動かしながら何やら一人でぶつぶつ呟いて当面のことを考えていたようだったけれど、当てつけのようには聞こえない。恨みがましく見てくることだってない。
「何だ?」
 俺の視線に気付いたのか、ふと笑いかける。
「そんな目で見るなよ」
 俺の方がずっと何か言いたげな目をしていたようだ。
「子供は、心配しなくていいんだって」
 普段だったら子供扱いするなと怒るところだ。でも俺はされるがまま、坊っちゃんが髪量の多い頭をぽふぽふ叩いてくることに文句は言わなかった。
「これでも良いところのボンボンだからな」
「自分で言う?」
「住むところなんて、すぐ見つかる」
 だから気にするなと言った風に微笑んだ。無理はしていない。そうとわかる微笑はどこか遠い。遠慮の二文字がすぐ浮かんだ。弁償しろ責任取れだの、調子に乗って言ってきてもいいくらいなのに。
(例えばここに)
 坊っちゃん用にバスタオルを用意しようと居間を出て、ふと天井や廊下、階段を見渡す。与次郎と掃除している時も何となく思っていたけど、この家屋は年季が入っているわりに丈夫な造りをしていたし、広々としている。
 そう、広い。少なくとも、急に人を二人泊めることなんてお安い御用なくらいには。
(ここに、住ませろとか、さ)
 俺の記憶にはないけれど、もしかしたらうんと昔には、この家にもっと大勢人がいたのかも知れない。
 何かを感じたわけでもないのに、その考えはすとんと胸の中に落ちてやすやすと着地した。まるで何か、今までずっと信じてきたことのように、違和感も何も無かった。




 俺も疲れていたから、美禰子同様その日はすぐ眠ってしまった。
 翌朝目覚めて一階に行くと、台所からトントンと包丁のリズミカルな音が聞こえてきた。鍋を火に掛ける音や、テレビのニュースの音も。
「まあ三四郎さん、おはようございます」
 清さんが、まるでずっと昔からここの家政婦だったかのように朝食の支度をてきぱきこなしていたのだ。清さん、と俺から残っていた眠気が吹き飛んだ。
「もう少しで出来上がりますから、顔を洗ってお着替えしてきてくださいな」
「お、俺がやりますよ。清さんはゆっくりしててください」
 客人にこんなことさせられない。しかもこっちは詫びる立場だ。けれど清さんはいいんですよう、と全く取り合わない。昔からずっとやっているものですからと微笑みながら働く。
「それより勝手にお台所使って申し訳ございませんわ」
「いや、それはいいですけど……」
「清さん、ご飯炊けたよっ」
 振り返ると美禰子がいた。三四郎おはよお、と無邪気に笑う。
「もう大丈夫なのか」
「うん、寝たらすっきり」
 お若いのは良いことです、と味噌汁の味見をしつつ清さん。にひひと笑う美禰子にじと目を送る。反省してるよう、と苦笑に変えて美禰子は頬を掻いた。
 程なくして坊っちゃんも起きてきて、どこにいたのかワガハイも食卓にやってきた。俺も顔を洗って制服に着替えて食卓に来れば、坊っちゃんの方も出勤準備が出来ていた。坊っちゃんの今日の衣装はスーツである。
「いっただっきまーす」
 清さんが用意してくれたのはごく普通の一般的な和朝食だった。ご飯、お味噌汁、焼き鮭、ほうれん草のお浸し、卵焼き。欲しい人には納豆もある。冷蔵庫の食材は近々買い出しに出ないといけなかったくらいに微妙なものだったのに、ここまできちんとした朝食を作ってくれる清さんには頭が上がらない。その上味も超一流だ。
「うまい」
「おいっしーい!」
 と一口ごとに言う俺達に褒め過ぎですようと清さんは頬を染めた。ワガハイも猫缶ではなく清さんがオリジナルで作った猫まんまらしい。文句も無しにがつがつ食べているところを見ると美味いようだ。
(でも)
 口内に味が染み渡る度にずきんと痛みも走る。虫歯じゃない。
(坊っちゃんちの冷蔵庫も駄目になったんだろうな)
 きっとあれこれ献立を考えていたに違いない。清さんにため息交じりにそう言うとそんなこと、と微笑む。
「気にしなくてもいいんですよ」
 そうそう、と坊っちゃんは納豆をかき混ぜながら相槌を打った。
「それより今日も美味しくご飯が食べられることに感謝しましょう」
 ね、と優しく微笑む。清さん、と俺はじんわり涙さえ滲んだ。もう慈母以外の何者でもない。与次郎達が女性教師に感じていたオアシスって清さんのような人のことなのかも。
「でもほんっと美味しいっ、ありがとう、清さんっ」
「うふふふ。簡単な朝ご飯で、誰でもすぐに作れますわよ。美禰子さん、あんまりお褒めにならないで」
「そんなことないですよ、清さんも魔法使いなのかなって思っちゃうくらいっ」
 料理は愛情、とはよく言うけど魔法とは美禰子らしい喩えだ。俺は微笑んで、坊っちゃんも嬉しそうに納豆を練っていた。まだ混ぜてんのかよと突っ込もうとした時だった。
「坊っちゃんも清さんも、次のお家が決まるまで、うちにいれば?」
 急に場がしん、とした。間を縫うようにニュース番組の楽しそうな音声が流れる。
「って、あ、あはは」
 居候の私が言えることじゃないよねーと頬を掻く。坊っちゃんも清さんも目を点にしてて、あらあらもうふふもニヒルな微笑もない。俺は何を言うべきなんだろう。
 いや。心中で頭を振る。
「美禰子」
「ごめんね三四郎、調子に乗っちゃったー」
 言葉はもう、見つけてる。
「そうじゃなくって、さ」
 美禰子は瞬く。
「次のお家じゃなくって、ここに」
 すう、と息を吸って俺は、ついに言った。
「ここに、住めば」
 多分昨日からずっと思ってたこと。半壊した家の中で、車の中で、廊下の真ん中でずっと無意識の中に浮かんでいた、他にない一つの答え。
「なっ! な、いいよな、ワガハイ!」
「ま、まだ何も言うとらんじゃろうが」
 いきなり大声出すなと老猫は唾を飛ばす。落ち着け、そう言ってぺろりと口の周りを器用に舐めた。
「反対とも言うとらんし」
「ならさ」
「吾輩が反対する理由もないしの」
 むしろ責任を取らねば、と今度は顔を洗う。猫の朝の日課だ。そうそれ、と俺も頷く。責任なんて子供の取るもんじゃないってきっと坊っちゃんは言うだろうけど、いつまでもそれに甘えてたら成長なんか出来やしない。
「美禰子が取るべきところじゃが、その美禰子の居候を許したのは吾輩の方じゃし」
「私あんまりお金も持ってないしね!」
「はきはきと言うとこじゃないだろ」
 突っ込みながら、今更なことにやっと気付いた。そうだ。そうだった。
(美禰子にここに来いって、言ったの)
 猫の言葉通り。
(ワガハイの方だった)
 予想もしてなくて夢にも見てなかったあの展開。猫らしい悪戯心にしてやられたと顔をしかめたのも、随分前だ。部屋も余ってるくらいじゃしの、と俺がちょっと呆然としているのに気付いているのかいないのか、のんびりワガハイは尾を揺らす。
「ねっ! 坊っちゃん、清さん!」
「ワガハイがこう言ってるんだから、住んじゃお住んじゃお?」
 我先にとばかりに俺と美禰子は身を乗り出した。
「って、お前が言えた立場かよ、居候の挙句、家宅破壊しておいて」
「このお家は三四郎のお家じゃなくてワガハイのお家でしょ? ここ長いんだし」
 そんなことはいいからさっと美禰子はうきうきな笑顔で返事を待った。すぐの返答はなくて、二人は顔を見合わせた。
「まあ」
 ややあって坊っちゃんが緩く口の端を上げた。
「秘密を持つ者は、固まってた方がいいだろうしな」
 納豆は柔らかいのがいいけどな、と至って普段通りのんびりした調子で続けてだばあ、と納豆をご飯に掛けた。一体どれだけ掻き混ぜたのか。
「それでは」
 私の返事は坊っちゃんの返事そのものですわ、と言わんばかりに清さんは微笑んだ。
「ご厄介になりますね」
「やったあ!」
 いえーい、と美禰子と軽くハイタッチ。気持ちのいい響きに清さんは嬉しそうに笑みを深めた。
「毎日美味しいご飯食べ放題っ!」
「ってそれかよー。お前まさかそれが狙いで家壊したんじゃねえだろうなあ」
「ひっどーい! 事故だよ事故ー!」
 えんざいえんざい! ぷりぷりした様子で美禰子は腕を振る。
「大体三四郎だってどうなのさー、しめしめって思ったんじゃなーい? 私のご飯、もう食べられないかもなのにさー」
「清さんにまかせっきりにするつもりかよ」
 うりうり、どうなのさーと肩で小突いてくる美禰子の言葉にちょっとどきっとしたのは秘密だ。そうか、清さんの毎日の料理は楽しみだけど、美禰子の手料理を食べる機会が減っちゃうのか。一緒に作りましょうねと笑顔で話し合っているところを見ると全くなくなるわけじゃなさそうだけど、何となく寂しい気もした。
「でもさ」
 なんて考えていることなんかちっともわからないだろう美禰子は、朝食を食べ進める俺にこそっと耳打ちした。
「よかったよね」
「うん? それはさっきから散々」
 違うよう、と更に声を潜め軽くウィンクする。
「三四郎、坊っちゃんと一緒に暮らせるなんてさっ」
「え?」
 目を瞬かせる。軽く頭を振るように傾げても何も浮かばない。
「何でそこ喜ばないとなんだよ」
「まったまた、照れちゃってさー」
 そう。本当は浮かばないでもない。気付いていないわけでもない。ただ意識するのを避けていただけだ。
「そのうちお兄ちゃんとか呼んじゃったりとかして? 学校とかでも!」
「ねーからっ! ぜってー!」
「何だ? 俺のことをお兄様と呼びたいのか? うん?」
「わはっ、聞こえてたねっ」
 案の定、坊っちゃんときたらにやにやといけ好かない笑みを浮かべていやがるのである。
「お兄ちゃんもお兄様も嫌なら兄さんでも兄上でもおにいちゃまでもいいぞ?」
「どれも願い下げっ!」
 隙を突いて鮭もらいっ! と箸で突撃する。ちくしょう何しやがると坊っちゃんが応戦、わあ私も私もと何故か美禰子まで加わって朝から意地汚い箸バトルが始まったり、清さんにみっともないと怒られたり、それで心底笑ったりする。ワガハイはやれやれと朝の散歩に繰り出していく。ちょっとすれば俺も登校の時間。坊っちゃんは職員朝礼があるから俺より少し早く出る。
 ほんの数日前は坊っちゃんの醜聞のことでひどく憂鬱な朝だったのに、百八十度違った朝になった。毎日これくらい楽しい朝が続くんだろう。まったく現実ってのは、魔法より魔法めいてる気がする。

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