猫達は誰からともなくぽつぽつと抜け始め、自然に集会は解散となった。聞いてみると不定期開催、いやむしろわざわざ開くと言う気持ちはさらさらなく、毎日誰か数匹はいるみたいで、単純に溜まり場でしかないんだろう。行き当たりばったりなマイペース感は実に猫だ。そろそろ日も暮れる。もっと遅くなると美禰子から電話が入るだろう。だから俺達もその場を後にした。
 不案内な道を、ワガハイは今度は裏道ではなく車も通う往来を通ってくれた。そのお蔭でコンビニを見つけ、美禰子にいくつかお菓子を見繕って、ワガハイにはレトルトパックのキャットフードを買った。匂いでわかったのか心なしか上機嫌のようだった。尻尾がぴんと立っているからわかる。
 ようやく見覚えのある道に入ってほっと息をつく。けれど、俺が辿ろうとした道とは反対の方へあの猫は行ってしまう。
「ワガハイ? こっちの道からの方が近いぜ?」
 声を掛けるだけ無駄のようで、ワガハイはとことこ道を進む。行きと違って俺がついてくるのを待ってくれない。せっかくの散歩だったのだ。帰りだって、最後まで付き合わせて欲しい。
 ワガハイの後を追ってしばらくすると、あるお屋敷が見えてきた。さすがに二階建てではあるけど、伝統的な日本家屋の造りを思わせる品の良さが瓦や石壁から伝わってくる。生垣がぐるりと屋敷全体を取り囲んでいて、手入れも綺麗に行き届いていた。きっと中の庭も綺麗なんだろう。こんなお家があったんだな、と一人感心してしまう。
「あら、先生」
 りん、と鈴の鳴ったような声が聞こえた。人の声ではなく猫の声だと思ったのは、敷地の入り口に一匹の猫が佇んでいたからである。三毛猫だった。夕暮れの橙色の中、黒と白と茶色、それぞれの毛皮が調和し、その存在を包んでいる。思わず、息を飲んだ。赤い首輪と、それにつく金の鈴も可愛らしい。
(美人、だな)
 猫なので美猫と言えばいいんだろうか。猫の見た目の良し悪しなんか素人の俺にはわからないことだけど、何の知識にも邪魔されず素直に美しいと思えるのならやっぱりそれは美しいと言うこと。人であろうと猫であろうと建造物であろうと変わらない。
「三毛子、ごきげんよう」
「ごきげんよう、こんにちは」
 じゃなくて、もうこんばんはかしら、と首を傾げ微笑む三毛子ちゃん。三毛子とは美人にあるまじきめちゃくちゃ適当なネーミングである。猫の仲間内だけのあだ名か? と俺も首を傾げたが、三毛子ちゃんの三毛はすごく綺麗だった。名前になっててもいいかと思わせる。
 俺の目にも美人と見えているのなら当然ワガハイにだってそう見えているに違いない。さっきまで集会に行っておっての、と俺について説明することなく話を進めていた。
「もうすぐお師匠さんが帰ってくるから、あたくし今日は行かなかったの」
「行かん方がいい。あんな愚かな奴らと戯れておったらせっかくの毛並みも気品も損なわれるからのう」
「あらやだ先生、あたくし皆さんのことをそんな風に思ってなくてよ」
 言葉遣いがお嬢様らしさを感じさせる三毛子ちゃんはころころ笑っている。こんなお屋敷で可愛がられているくらいだし、完全イエネコなんだろうとばっかり思っていて外に出ているのが意外だった。今も外に出てるけど。
「またご一緒しましょうね」
 ごきげんよう、とワガハイに言って、そして俺の方を見てにゃあ、と鳴いた。魔法の効果が切れたわけでなく、今のは鳴き声としての鳴き声なんだろう。どう返すものか、俺は会釈しか出来なかった。
 三毛子ちゃんの家を後にして、ようやく俺とワガハイの足は牛込家に向かう。
「なあなあ、今の子、何? ワガハイの彼女?」
「馬鹿を抜かすでない」
 思いっきりからかってやろうかと思ってたのに、なんだ。俺はちえ、と形だけ唇を尖らせた。でもワガハイみたいな無愛想が他の猫にデレデレするとは想像もつかない。
「お師匠さんって言ってたけど、あそこの家の人、何かの先生?」
「三味線の師匠が住んでおるんじゃ。昔からな」
 昔。小さく呟いて、足を止めた。ワガハイもちょっと進んで止まる。
「もしかして……ずっとずっと昔、から?」
 俺が言う昔がいつ頃のことか、この猫は聡いからわかっているだろう。
 俺の知らない昔。俺の知らないこと。ワガハイがここに、fに来てから俺と出逢うまで。
 一体どれくらいの年月が流れているんだろう。
 ワガハイは沈黙を答えとした。
「まさか、その時から三毛子ちゃん、いたりして。なんて」
 まさかなあ、と首を掻いた時だ。
「ああ」
 いたぞ、と言う答えが俺の動きを止めた。
「えっ、ええっ、えええっ!」
 確か猫又と言う妖怪がいたはずだ。何百年も生きている化け猫で、尻尾が二股になっている。でも三毛子ちゃんの尻尾はそのままジャパニーズボブテイルの見本に出来そうな、可愛らしい短い尻尾だった。勿論一本の。
「騒ぐでない。さっきの三毛子ではないわ」
「だ、だよな」
 そうそうワガハイレベルの長生き猫があちこちにいられては困る。
「昔も三毛猫が飼われておって、その子も三毛子と言ったんじゃ」
 適当な名前だけど、案外あの家では伝統のある名前なんだろうか。今の三毛子ちゃんは二代目か三代目くらいなのかも知れない。ふうん、と頷く。
「その子とも、仲、良かったりしたのか」
「まあまあじゃな」
「その子、とは」
 口を開いてしまったものの、どう続けるべきだろうか。どういう関係だったの。ただの友達? それとも、恋人?
「えっと、その」
 でも、こんなこと訊いてしまってもいいんだろうか。訊いたところで、こいつは答えてくれるんだろうか。
 自分のことは、ほとんど何も話してくれない。
 せっかく、人の言葉を喋れる猫なのに。
 魔法使い、なのに。
「死んだ」
 至極当たり前の答えだった。今の三毛子ちゃんは昔の三毛子ちゃんじゃない。昔にいて今はいないと言うのなら、簡単なこと。もう生きてない。もう、死んでしまっている。もう、ここにはいない。きっと昔の三毛子ちゃんのことは、ワガハイだけが知っている。
 長生きをすると言うことは、周りに先立たれてしまうと言うことでもある。それは、子供の俺には想像もつかない程の孤独だ。
 ワガハイはその孤独を誰にも打ち明けないまま、のらりくらりと日々を過ごしてきたんだろうか。
「その時の三毛子の飼い主達は、吾輩の所為じゃと言っておった」
「え……」
 俺達は立ち止まる。夕餉の時間が近い時間、往来を歩く人も走る車も少ない。人と猫が話していても、誰も気付かない。
「お前、何かした……わけ、ないよな」
「当然。単に、みすぼらしい猫と自慢の美人猫が仲良くしとるのが面白くなかったんじゃろう」
 逆恨みと言うやつか。俺はやるせなく口を噤んだ。
「吾輩も」
 ゆらり、と尻尾が揺らめく。
「もしかしたら、とは思う」
 何が、もしかしたら?
 三毛子ちゃんを死なせたこと? もしかしたらって、つまり。
 隠された言葉を、沈黙の中で俺は紐解いていく。
「魔法使いでも、病気を治したり、死んだ者の命を甦らせることは出来ん」
 魔法にも出来ることと出来ないことがある。決して万能じゃないのはどんなものでもそうだろうし、逆に魔法に苦しめられることも、命を落としてしまうこともあるとは、こないだ美禰子から話を聞いたばかりだ。
「無力じゃな」
 俺の目は、ゆっくり見開いていく。まさかワガハイの口から、そんな言葉を聞くとは思わなかった。まだまだ謎の多い過去について少しでも話してくれるなんて、期待こそすれ全然思っていなかった。
 だから、隣に佇む老猫は、俺の見たことのない猫だった。人の言葉を喋れる猫でもないし、偉そうな魔法使いでもない。
 死にゆく女の子を救えなかったと言う後悔を背負い続ける、一人の男だ。
 ワガハイはそんな自分自身と、三毛子ちゃんを救えなかった事実、疫病神として見られてしまった現実を受け入れ続けてきた。

 たった一匹で、きっと、俺に今話してくれるまで。
 独りで、ずっと。気の遠くなるほど、長い間。

「でも」

 荷が重すぎる。そうあの先生は言っていた。
 受け入れるには重過ぎるものだってある。

「でも、ワガハイの所為じゃねえよ」
 ワガハイはもうすっかり受け入れていて、今更泣き言を言うでもないわけだけど、誰にも言わなかったであろうその過去に、凝り固まったそれに少し穴を開けることくらい、突然現れた俺には許されている。
 そう勝手に解釈させてくれ。
「可哀想だけど、三毛子ちゃんが亡くなったのは病気か何か、だろ?」
 ワガハイは目を丸くしていた。普通の猫のような驚きの顔だった。こう来られることは、あっちにしても予想外なんだろう。
「どのくらい前の話か知らないけど、昔の話だし、コロッといっちゃうってのは、そう変な話でもないじゃん」
 珍しい顔、といつもならからかうところだけど、俺は言葉を続けた。
「責任、感じたがるのはわかるけど、そんなにしょい込むなよ。どんくらい長い間ずるずる引き摺ってたかは、知らないけどさ」
「別に引き摺ってなどは」
 口籠ったような声も初めてだった。ワガハイより優位に立てるなんて、これも初めてだ。
「自分のこと、嫌いかもしんないけど」
 少し屈んで、目線を同じくする。
「俺は好きだぜ。近所の猫から先生って呼ばれてるお前」
 そう言って笑って、ぐい、と頭を撫でた。されるがままのワガハイ。長毛種だから、撫で心地はふわふわとして気持ちがいい。
「ずっと気にしてるなんて、猫のくせに似合わねえの」
「猫を馬鹿にするでない。お前達人間よりよほど情け深く出来ておるわ」
「じゃあ、そんなお猫様にお願い」
 身は屈めたまま、顔を顰めたままのワガハイに俺は笑う。
「俺の先生にもなってくれ。魔法使いのさ」
 二度三度、猫は瞬く。ほう、と尻尾を動かした。
「現実、ようやく受け入れたか」
 ん、とだけ返事して俺は立ち上がった。
「修行、厳しいぞ」
「おおよ」
 そりゃあ魔法使いなんてものなんだからさ、と俺は腕を振る。
「覚悟してるさ、それなりに」
 ワガハイは返事もなく、俺の前に出て道を歩き始めた。空は次第に藍色の気配を帯びていく。何の連絡もしていないから、ひょっとすると美禰子は怒っているかも知れない。お菓子これじゃ足りねえかも、と危ぶみながら、今日の食卓に想いを馳せた。俺と美禰子の何気ない日常の一コマが、先を行く老猫の孤独な心を少しでも癒せばいい。そう感じる。
 ワガハイにはまだまだ知らない過去がある。今日話してくれた三毛子ちゃんのことはほんの一部でしかないに違いない。いつ頃からFにいるのか、どうして魔法が使えるのか、どうしてずっと同じ所にいたのか。訊いてみてもきっと頑として口を開かないはずだ。何となくそう思う。何せ魔法使いである前に、マイペースな猫なんだから。
 いつか、自然にでいい。第一あんまり沢山の情報が入ってくると、ますます俺は処理し切れない。今はまだ、魔法使いの猫で、俺の先生である猫。それだけでいい。
(あの坊っちゃん先生も)
 もう一人、先生にして魔法使いがいた。まだまだ話し足りない人ではあるけれど、だからこそこう思う。
(あんな風に達観出来るだけの過去が、あったんだろうな)
 実際のところ、なかったりしてとも思わなくもない。でも誰にだって過去はあるのだ。
「なあ」
 例えば今日知ったワガハイの過去の一つは、ひどく人間臭く感じるもので。

「お前、三毛子ちゃんのこと、好きだったんじゃね?」

 ワガハイは何も言わなかった。その横顔から何かを読み取ることも出来なかったけど、俺には何となくわかる。恋に関しても、こいつは先輩で、先生だった。
 叶わなかった恋を、俺とワガハイ、一人と一匹は抱えていく。
 そうして今日も明日も生きていく。


   4
せんせいのまほう 6に続く

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