松山先生こと坊っちゃん先生と知り合って最初の週末が来た。今のところストレイシープの襲撃は無く、穏やかな週末になりそうだった。とは言え、こう思ってる今は土曜日。今日の夜辺りに警報ランプが灯ったら、さすがにちょっとだるいかも。でも平日に比べたら翌日が休みな分いいか。いやいや、出来れば平穏な週末であって欲しいものだ。
 なんて一人頭の中であれこれ繰りながら、俺は進学校の一高校生として真面目に勉学に励んでいた。先生の授業はやはりおおむね評判が良い。いや、他の女性教師の授業の方に、与次郎達の言うオアシスだのなんだのが移っただけで、坊っちゃんの授業には特に興味がない、とも取れるけれど――その真偽は置いといて、生徒の質問にも親切丁寧に当たっているらしい。そんな彼の正体は昼間学校の敷地内で堂々と煙草を吸う魔法使いなんだぜ、なんて言っても誰も信じなさそうだった。でも、あの先生のことだからその内本性が現れてくるんじゃないかと思う。――その見当は外れじゃなかったことを、後々知ることになる。
 宿題も終わり、復習も予習もあらかた終わってしまった。さすがに余暇の全てを勉強につぎ込むわけがない。想像しただけでもげっそりするし、与次郎達じゃなくとも騒ぎたくなってしまう。
(腹、減ったな)
 昼飯はささっとラーメンを食べただけ。時計を見れば三時を回る頃。おやつのベストタイムじゃん、と俺は居間へと階段を下りていく。美禰子が何かつまんでいるだろうし、何てことない話をしながらだらだら過ごすのも、贅沢な時間の使い方だ。
 今の彼女と、過ごせるということ。
 俺だけ、と言うわけじゃないけど、その特別感に嬉しくなる。
 結構単純。けれど、幸せだ。
 と思ったのもつかの間、居間で美禰子はストレイシープと並んで眠りこけていた。照明はついていないけれど、テレビがつけっぱなしで勿体ないことこの上ない。刑事二人組が事件を解決する人気ドラマシリーズの再放送を見ていたらしい。今度始まった新しいシリーズもチェックするんだ、とかテレビ雑誌を買って意気込んでいたっけな、と思い出して微笑する。ホームシックなんてさらさらなく、Fにすっかり馴染んでしまっているらしい。
 fには面白い娯楽が少ないんだろうか。俺と違って暇を持て余しまくっている美禰子はテレビドラマであろうが子供向けのアニメであろうが図書館で借りる本であろうが、いろんなものを目一杯に楽しんでいた。単にやることがないだけで、かも知れない。けれどそんな美禰子を見るのはとても楽しかった。
 でも、今は寝てる。テレビは消しておいた。今度、DVDを借りてきて一から美禰子と見てみようか。
 美禰子の服に違和感を覚えてよく見てみると、いつも着ている飾り気のない、いかにも魔女、と言った風の黒のワンピースではなく、春らしい花柄のワンピースだった。きっと近所のショッピングセンターで買ったんだろう。生活費は多く貰ってるから無駄遣いしない程度に使ってもいいのだけど、皺になっちまうぞ、と微笑しつつ俺はそっとタオルケットを掛けた。
 あどけない唇は花の蕾のようで可愛らしい。眠りの呼吸に合わせて、ゆっくり上下している。つやつやとしていて、ぷっくりとしている。
 どれくらい柔らかくて、どれくらい、繊細なんだろう。
(って! 何を考えてんだ俺は!)
 けれどごくり、と唾を飲んでしまった自分を否定出来ない。ばかばか、阿呆! と言葉なく髪を掻きむしる。胸はいやにドキドキしていて、ここにいたらとんでもないことをしでかしてしまいそうになる。思わず二、三歩後ずさった。
(今更だけど、与次郎達この家に呼べねえなあ)
 どうしたものか。天井をつい、と見上げる。ただでさえ学校であんな騒動が起きた矢先でもある。もし遊びに行きたい、としつこく言われたら、美禰子には悪いけどその時はどこかへ行ってもらわないといけない。
(俺達の関係をいい感じに誤魔化せる魔法とか、あればいいのにな)
 そう言うのって難しいのかな。思いながら美禰子を起こさないように居間を後にする。
 関係。浮かんだ言葉に、足が止まる。廊下はひんやりと冷たく、足元から俺の感情を変えていく気がした。
(どういう関係って、思われたいんだろ。俺)
 せいぜい兄と妹か、従兄弟同士とかが無難だろうか。でもそう言われるとある種の虚しさで俺はきっとやり切れなくなる気がした。
 それなら、家の責任者と居候。あるいは魔法使いとその弟子。あるいはストレイシープを捕まえる仲間同士。今更だけど、明確な名前のある関係じゃないのかと思うと、ほんの少し気が重くなる。
 どんな関係で言い表せば、一番しっくり来るんだろうか。
 どんな関係を、俺は望んでいるんだろう。
(……コンビニでも行くか)
 自己の追及を避けて、そんなことを思う。もとはと言えば小腹が空いていたんだ。パーカーを引っ掛け財布と携帯電話をポケットに突っ込み、なるべく何も考えないで俺は玄関を出た。


 玄関を出て数歩の所で、伸びをしているワガハイを見つけた。これから日向ぼっこするとは思えない。
「散歩?」
「お前の方もサボリか」
 人聞きの悪いことを。俺は唇を尖らせる。
「俺は、もう勉強終わったし」
「魔法の方じゃ」
 う、と今度は口も尖らない。先生と話したあの日から魔法を頑張ろうとは思ったものの、指南がないから結局何も出来ないでいたのだ。図星を突いたわりには戸惑う俺を小気味いいとも思わない様子で、ワガハイはすたすたどこかへ行こうとする。屋敷の敷地を出るつもりだ。
「どこ行くんだ? おい」
 訊いても答えない。尻尾も振らない。あんまり話しかけてご近所に怪しまれてもいけないから、家から距離が出来るにつれて言葉も掛けられなくなってくる。無言で追いかける形になる。
(ついていっちゃおう、かな)
 見たところ背後の俺の存在を煩わしいとは思ってなさそうだった。本当に嫌だったらついてくるなと先に言うだろうし、いかにも猫らしく、邪魔者はさっさと撒いてしまうだろう。
 普段こいつがどこを歩いているのか。ワガハイでなくとも、猫の散歩と言うものには興味がある。テレビでも猫の目線で猫の生活や散歩の様子を撮っていく番組は人気で、よく再放送がある。俺も美禰子もたまに見ては自然体の猫達に和んでいた。ワガハイはどう思っていたか知らないけれど。
 それにワガハイはただの猫じゃない。何せ、魔法使いの猫なのだ。普通の猫のそれより、それなりに面白いに違いない。


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