混沌としながらも静寂に守られていた二人の空間は消え去った。それも砂の城が波で崩れるように繊細にではない。例えるなら、ラジオのチューニングを間違えた時に、ひどいノイズを聞いてしまったように突然で、意外なものだった。ただ、不思議と不快ではない。それは俺も美禰子も感じられる力の気配だった。
 魔力と、そう人は言うだろう。
「ストレイシープかっ?」
「ううん、違う、杖も反応しないし、これは純粋に魔力だよ!」
 勢いよく立ちあがったはいいものの、誰もいない屋上はただ広いだけで何も情報はない。
「誰だ? またfから誰か来たとか?」
「かもしんないけど……多分、この学校の裏の方だよ、魔力の発信元は」
 裏と言ってもいろいろある。裏庭、校舎の影、体育館近くの部室棟の横など、大体が人目につかない場所だ。魔法を使っている可能性が高い。わざわざ、こんな場所で魔法を使う必要性は? fの奴が何の用だ?
(まさか、美禰子が狙いか?)
その閃きは何故か、冴えている気がした。ついさっき考えていたことにも繋がるからだろう。しかし、行ったとしても、無力な俺に何が出来る? ありがちな躊躇が俺の身を固くした。
だが、俺の手は既に美禰子に掴まれていた。もう一方の肩に弁当箱などを入れた鞄を下げ、その魔力を追う気満々と見た。でも。
「待てよ! 校内行ったら、また」
 また騒ぎになる――でもそんなことにかまけている状況ではない。しかしそういう状況だからこそ、とんちんかんなことを口走ってしまうのはよくあること。美禰子は意外にも、そうだね、と止まる。しかし手首を放してはくれない。
 杖を出す。びゅんと勢いよく空を切り、俺が近頃よく目にする白っぽい光が生み出される。光はすぐさま俺と美禰子を包む。それはいいのだが問題はその後だ。
「おい……まさか美禰子!」
 美禰子は返事もなしに勢いよくフェンスに向かって駆け出し――飛翔した。俺もその動きに、強制的にシンクロさせられる。フェンスの向こう側は、地上十何メートルの虚空。
 高校生活がスタートしたばかりだというのに、まさか、屋上から飛び降りることになるとは思わなかった。いや、本当に。
 しかし自殺者はこんなにジャンプ出来ないし、絶望の世界に風景がこんなにも色鮮やかに映ることもない。時が止まった感覚は、共通するものだろうけど、その先にあるのが死か生かで、心持が全く違う。
 が、とにかく今は――自分が落ちていくことにただただ、驚いてものも言えなかった。言ったら舌を噛みそうだ。そりゃ少しは飛行魔法に慣れたとはいえ、誰が屋上から自殺するよろしく飛ぶ羽目になると思うのか。つい最近入学したばっかりなのに。
 美禰子は途中で方向を変えその魔力の気配を辿っている。教室の窓側を上手く避け、人気のないところをきちんと選択している。飛び降りるという衝撃も大きかったが、誰かに見られやしないかも気が気でなかったので、ここは美禰子に感謝しなければ。彼女は気をつける時には気をつける奴なのだ。多分。
 ようやっと地上に足がつく。ふうとつく安堵のため息がまるで、誰もいない闇の中で知り合いを見つけた時のように、やけに心強く思えたのがおかしくてならない。
見渡してみるが、どこだかすぐに見当がつかない。まだこの学校に来てからそんなに経っていないから、あてずっぽうでも答えにくいが、とにかく人目につかない場所であるのは確実だ。
「三四郎! あれ!」
 美禰子が指さす方を見ると、地面が赤く光っている。曲線が何本か引かれていて、その線が発光しているようだ。そしてその光から感じるのが、例の魔力だ。
 俺の中でおぼろげな記憶が甦る。つい先日、俺の周りにも青い、あれに似た何かが現れた。そういえば、魔法を使うワガハイの周りにも、銀色のあれが広がっていた。
 あれは、魔法陣。
 俺と美禰子は急ぐ。その中心にいる人物こそ、今、魔法を行使している張本人だからだ。魔法を使っているのなら、こっちも魔法使いだから、隠すことはない。ただ相手にそれはわからないから、逃げるかもしれない。
 だがその人物は逃げなかった。
(fの人間、か?)
 男だった。制服を着ていないし、身体的に言ってもとっくに成人している風だ。彼はスーツを着ていて、少し俯いていた。左手をポケットに突っ込んでいて、右手はだらりと下げている。
 その右手の指先から、炎が生まれる。彼は、顔を上げた。
 遠くから見ても凛々しい顔立ちで、前をまっすぐ見つめている様が伺えた。その視線は揺るがない。ずっとずっとまっすぐなまま、と顔が語っている。口には煙草らしきものがくわえられていた。
 炎が揺らめく指先は煙草の先端に向かう。そして煙草に火が灯る。指先の炎はそこで消え、魔法陣も消えた。俺も美禰子もそれまでその見知らぬ人物をじっと見ているだけで、微動だにしなかった。それがそのまま続いて、先に声を発したのはその人物だった。
「何だ?」
 吸っていた煙草を口から離し、そう彼は問いかけたけれど。
 何だと言われても。
(何……なんだろう)
 何も言うことが出来ない俺は何をしたかというと――ただ黙って彼の容姿を瞬時に観察し、正体に一応の検討をつけた。
 魔法を使った彼の正体は。

「まだ昼休みは終わってないぞ」

 きっと先生――教師に違いない。


  3
せんせいのまほう 3に続く

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