後ろはあえて振り返らずに、俺と美禰子は帰り道をもくもくと歩いた。
「絶対あれはボコッてるよ……こわ」
 足取りはゆったりとしていて言葉も少なかった。全体的に疲れてる所為だ。軽い傷ばかりだったから美禰子の魔法で治してもらったけれど、だるさは取れない。飛んで帰るのもいいけれど、一人で戦っていた美禰子に悪い気がして言えなかった。
「三四郎」
 でも美禰子がなかなか口を開かなかったのも、何となく察せられる。
 立ち止まって俺を呼ぶ美禰子は、戦いが終わったと言うのに曇った表情を浮かべていた。
「何があったの?」
 私が戦っている間に。心配そうな目はそう言っている。うん、と頷いたはいいけれど、うーんとすぐに唸ってしまう。
「うまく伝えられないんだけどさ」
 また歩き出して、言葉を探すように天を仰いだ。星がぽつぽつ灯っていて言葉の先を見守っている。
「夢の中のような、そうでないような……もしかしたら死後の世界一歩手前だったような」
「死後っ? し、死んでたのっ? 二人とも!」
「あ、いや、あくまで比喩表現でさ」
 身を乗り出してくる美禰子に落ち着け、と手を振る。第一、よく話に聞くような臨死体験とは全然違っていた。
「とにかく変な所だよ。そんなところに意識を飛ばされた、って言うか、意識がどろどろになって流れていったって言うか……」
 何を伝えても正しくない気がする。一番近いのは夢だと思う。夢だけど、でも、夢じゃなかった。
「正直ヤバかったけど」
 以前にも聞いた謎の声、悪魔みたいなものに唆されていたことも思い出す。巨大な力と引き換えに、俺が俺でなくなる。それこそ本当に悪魔に魂を売り渡すようにして。そんな未来だってあったかもしれない。
「でも何とかなったよ」
 心配そうな表情は大分和らいではいたけど、それでも神妙な顔つきで俺を見つめている美禰子に微笑した。
「何とかなったからこうしてここにいるんだし」
 そうなったきっかけは誰だったか。俺自身でもなければ、坊っちゃんですらない。
「美禰子のお蔭」
 ふえ? と言葉なく目を丸くし、口も丸くする美禰子。特別な意味で聞こえていたら美禰子は戸惑うかも知れない。そんなこと考えすらしないかも知れないけど、でも、保険として俺は笑ってこう言った。
「いや、美禰子っていうか、皆のお蔭。ワガハイも清さんも坊っちゃんも」
 美禰子は特別な意味で好きだ。でも、好きや大切と言う気持ちなら、一つ屋根の下で暮らす皆だって、すごくすごく好きだ。
(もしかしたら)
 こんなことを思うのは烏滸がましくて、全く見当違いなのかも知れない。
 まるっきり間違いかも知れないけど、でも、思うだけなら。
(家族だからなのかもな)
 血なんか勿論繋がってない。つい最近まで赤の他人同士だった集まり。でも、秘密があって一緒に暮らしてる。一緒に笑ったり怒ったり楽しんだり食事をしたり眠ったりして、同じ時間を過ごしてる。
 俺がずっとずっと持っていなかったもの。
 それがなかったから、俺はずっとずっと独りだった。
 いるといないのとでは、大違い。世界が全然違うもの。
 美禰子は瞬きをして、下唇辺りを触った。俺と坊っちゃんが陥った現象に、もしかして何か心当たりでもあるんだろうか。魔法はまだまだわからないことが多いとか言う話だし、これはもしかして俺と坊っちゃんは研究所送りにされてしまうかもわからない。いろいろ調べられたりとか、解剖されたりとか?
「そっか。なら、よかった」
 なんて、モルモットになるかも知れない未来を想像していたら美禰子が心底安心したようにへにゃっと相好を崩すから、まあ別にいいか深く考えないで、とそんなくだらない想像はすぐに捨てた。
「て言うかゴメンな、お前一人にして」
「ううん? いいよ全然。それよりへっとへと、お風呂入ったばっかなのに」
「帰ったら清さんにお風呂入れてもらおうぜ」
「ワガハイに突っ込まれそうだよね、銭湯行ってきたんじゃないのかーって」
 違いない、と顔を見合わせて笑った。
「坊っちゃんのことなんだけどさ」
 見覚えのある風景が少し見えてきた。美禰子は乏しい星を見上げながら口を開く。
「ぼこぼこになんかしないよ、多分」
「まあ、そうだろうけどさ」
 自分からぼこぼこにしないと宣言していた。良識のある大人なら別に宣言しないでもやらないけど。良識。坊っちゃんが一番持ち合わせていなさそうなもの。
「あの人達、何があったのか事情は全然わかんないけど、坊っちゃんに嫌がらせみたいなことしてたんでしょ? 噂流したのも、あの人達じゃない?」
 多分と頷き返す。なら怒る権利あるよ、と美禰子はちょっと膨れ面を作る。
「本当はあんな目に遭って坊っちゃん内心スカッとしてるんじゃないかな?」
「いやー一歩間違えたら命やばかったぜ? 俺さすがにトラウマなんだけど」
 人死んだらどうすんだよ、とちょっと凄んで言うとごめん、と美禰子は縮こまる。もーあんなストレイシープごめんだー、そう溜息交じりに言って俺はううんと伸びた。
「でも」
 美禰子は腕を伸ばす俺を覗き込んで、ちょっと悪戯っぽく笑う。
「本当は三四郎だってちょっと思ってるでしょ。ざまーみろって」
「ま……天罰ってやつかな、とは」
 ちょっと思ってるよ、と腕を振り下ろした。
「元通りになるかな、坊っちゃん」
「うん。なるよ絶対」
 こんなこと言うと逆に不吉なことになりそうだな、と言ったそばから思ったけど、美禰子の明るい返事が支えてくれる。前向きな気持ちが俺にも美禰子にも満ちていた。そしてお互い口には出さないけど、坊っちゃんに何があったかは、どうしてこんなことになったのか、別にちゃんと説明してくれなくてもいい。そう思っていた。
「一人で帰れるかな」
「大丈夫大丈夫」
 だって、と美禰子は少し駆け出した。へとへとだとか言っていたわりに、軽やかな足取り。
「坊っちゃん、子供じゃないんだし」
 思っていた通りの答えに、だよな、と俺は笑った。

  3
せんせいのまほう 14につづく

ワガマホトップ
小説トップ

inserted by FC2 system