三四郎は何か夢を見ていた。
 夢でないと思い出さないようなことが、実に生々しく、まるでずっと同じことを繰り返しているように、色褪せず、彼の目の前で展開されていた。記憶は揺らめいて現前する。




 目の前には幾分老けた男女が座っていた。三四郎も座っていた。その三四郎は幼く、男女を見上げる。三四郎には、目の前の二人が保護者であることが解っていた。
「あなたのお母さんは誰?」
 三四郎は目の前の女性を指す。女性は笑う。三四郎も笑う。
「あなたのお父さんは誰?」
 三四郎は目の前の男性を刺す。男性は笑う。三四郎も笑う。
「じゃあ、本当のお母さんとお父さんは、誰?」
 そこで三四郎は戸惑う。首を傾げながら二人のことを指さす。しかし二人は笑ってくれない。何度も指をさす。指は男女の前を一定のリズムで動いた。何かを選んでいるようだった。三四郎には選択肢などないというのに――二人は、特に女性は段々三四郎に対して憎々しげな顔を表していった。





 三人の場面は水に滲むように消えていった。ほら、やっぱり夢だ――三四郎は思う。あの指を動かす記憶は三四郎にとって辛いものでしかない。


 次に現れたのは食卓だった。
 何の彩りも飾りもない。白いテーブルクロスだけが嫌に眩しい。
 三四郎はそこで食事をとっていた。父、兄達と一緒に。――母はいない。
 三四郎は末弟だった。更に養子に出されていた。本来食卓にいるべき存在ではない。そもそも三四郎がこの家にとっていらない。捨てられた子だった。捨てられた先でも捨てられた。
 どうしてこんなところにいたんだろう。
 三四郎は水のような夢の中で思う。
 こんな何も暖かくなく、何も味わえず、ただただ、自分が尊厳のある人間で無いように感じるこんな場所に。





 場面は変わる。周囲の闇から一気に色が溢れ、三四郎は万華鏡の中に放り出されたような気分に陥った。色は三四郎の目のつくところ全てに飛び散り、明滅し、回転し、好き勝手な場所へと還元されていってはまた爆発して――そうしている内に一つの場所に収斂していく。

 森だった。

 あんなに鮮やかに色が踊っていたのに、今三四郎の周囲には、それが色の馬鹿騒ぎだったとしか思えない程――ひっそりと息づくような寒色ばかりで構成された木立が並び、茂っていた。
 三四郎の目線の先には――女がいた。
 少しだけ、三四郎から顔を背けるようにうなじ辺りを見せている。髪は短く、黒い服を着ていた。二人の間には距離があり、物の大きさがはっきり解らないが、その女は小さかった。少女のようだった。

 女が動いた――顔が、見えた。


 しかし三四郎の記憶に留まる程女は顔を見せなかった――のではない、急に明るい色がそちらからぐんぐん迫ってきたのだ。
 明るい色ではない。光だった。光は、金色の光は――三四郎を攻撃するように三四郎の目を閉じさせた。


 だから三四郎は知らない。森の女の顔を。




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