「……本当に、元気なことで。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございません」
「い、いいえ! 私も、楽しいです」
「……あんなに元気で我儘な殿を見るのは……何か月ぶりでしょう」
 志摩子さんは優雅に微笑んだあと、そう呟いて少し陰りを見せた。あのミツ君でも、元気がないことがあったんだ、と私は内心舌を巻いていた。いろいろ訊いてみたかったが、辛いことを思い出させそうだったから、やめておく。
 やっぱり号外の新聞や放送部のゲリラ放送? のおかげもあってか、道行く人は足を止めて綺麗だね、身長高いな、と囁き合ったり、彼女の美貌に息を飲んでいくようだった。
 彼女もいくらか疲れているはずなのに、背筋をピンと伸ばして、姿勢を崩していない。髪はその真っ直ぐな背に墨を流したように広がって、艶々している。……私は猫背だし、髪の毛も結構癖っ毛だから、もう羨ましくて今すぐ交換して欲しいなあ、と暗に訴えるような視線を送っていた。
 そう――背が高く胸も豊満で、顔立ちも整って鼻も筋が通っていて唇は健康的に紅で、全く文句のつけどころがない。清廉な印象のはずなのに仄かな色気さえ漂ってきそうで、同じ女性なのにくらくらしてしまいそう。


 こんな美しい人と、鳴滝君はずっといたんだ……。


 そう思うと、ぽっかり空いていた胸に何かを無理矢理詰めこんだように苦しい。……私みたいな普通の、何の取り柄もない子が、何もかも完璧な志摩子さんに敵うわけがない。志摩子さんにその気はなくても、どうしても自分は格下だと思わざるを得ないし、鳴滝君とずっといたことが少し、妬ましいと思う。
(――最低だな、私。志摩子さんはそんな下心なんて絶対、無いのに……)
「どうされました? 私の顔に何かついておりますか?」
「ひゃっ、あ、あの、なんでも、何でもないです!」
 見惚れていました、そしてあなたに少し嫉妬していました、なんてとても言えない。私はすぐ縮こまる。……演劇部でも、私は南堂くん達の書く台本やシナリオに、こんなに上手に書けて羨ましいなあと、そう思いながら、身をひっこめていたっけなあ……。
 背筋がピンと通って、真っ直ぐ前を見つめる志摩子さんは、嫌なことがあっても俯くことは絶対しなさそう。本当に、羨ましい。よく出来た女性だ。
 ふふ、と彼女の微笑んだ声が聞こえた。
「安心してください」
「え……?」
 何にだろう。思わず顔を上げて彼女と向き合う。


「私、男性の方は、おミツ様しか見えておりませんので」


「ひいっ?」
 今日で四回目位のしゃっくり声。その中でも一番の驚きだろう。
 志摩子さんは大胆な発言にも関わらずけろりとした顔をしていた。驚いた私にどうしたのです? と首を傾げてみたりもした。
「――好きなのですね、鳴滝殿のことが」
 ふ、と微笑んだ彼女が、まるで長年私の面倒を見てくれている先輩や、姉のような存在に見えた。私は返事が出来なかった。ただ、顔を赤くした。それが何よりの返事になると思う。
 だけど志摩子さんはその後何も言わなかった。鳴滝君との沈黙は幸せを感じられるから良かったけど、私はこの沈黙には焦りを感じて、愚にもつかぬ質問をした。
「志摩子さんはその――誰か、好きな人は……いるん、ですか?」
 さあ? と彼女には珍しくおどけた返事を風に流した。
「私は、義父の跡を継ぐと――」
 そして、空を見上げる。私も見た。
 雲一つない青空で、天に吸い込まれていきそう。


「あの方に仕えようと決めた時から、女であることは捨てていますので」


 彼女の声は澄んでいた。その決意に曇りがないことを、それは示している。私はそれを素晴らしいと思ったし、同時に切ないとも感じた。彼女は、私が鳴滝君に抱いているような恋心を持つことは、その言葉を信じるならどうも一生、ないようだから。
 報われないことが多いけれど、ほんの少しのことで幸せになれるこの厄介な心を、志摩子さんは最初から捨てている。
(でも……それだったら勿体ないなあ、そのプロポーション……)
 しんみりしたのに一気に思考が俗っぽくなってしまった。その自分のないものねだりに呆れた。
「そろそろ私達も行きましょうか、殿と鳴滝殿のところへ」
「あ、はい」
「……上手くいくといいですね。
 いっそのこと今すぐにでも想いを打ち明けなさったらよろしいのに」
「ひっ!」
 からかうように、しかし半ば本気のようにそう言った志摩子さんはくすくすと笑いを堪えながら、彼女が仕えている小さな主君の元へ足を進めた。私は呆気に取られてただ口をぱくぱくさせていた。

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