果たして、何発か人形の脇を掠めて、最後の一撃が人形の唯一の狙いどころだった広い腹に見事当たり、ころんとタヌキは転がっていった。
「やったのじゃあ! さっすが志摩子なのじゃ、偉い偉い。これで我らの勝利間違いなしじゃ」
「はいはい、お褒めに預かりまして光栄ですから、もう少し落ち着いてください」
 少しは嬉しそうに頬を緩ませていたが、やはり志摩子さんは至って冷静に興奮するミツを宥めるのだった。そんなミツに係の子がどうぞと愛想のいい笑みを浮かべながら、景品のタヌキ人形を持たせる。少しミツはそれを見つめてぼうっとしていたが、次の瞬間驚くべき行動に出たのだった。
 その人形を、まるで忌々しいもののように、床に投げ捨てた。


「こんなもの、いらないのじゃ!」


 なのに、憎たらしく聞こえなかった。悲痛な叫びだった。
「な、お前……」
「ミツ君……」
「……殿!」
 志摩子さんは屈んで、ミツと目を合わせた――かどうかも判別がつかないくらいの速さで、彼の頬を叩いた。ぱあんと、それは、悠々と空を漂っていた風船が突然一生を終えたような、そんな物悲しい破裂音だった。
「な……何するのじゃ! 志摩子! いくら志摩子とは言え主君の頬を叩くなど――!」
「無礼は承知の上です! 殿があそばされた無礼に比べれば、蚊程でもありますまい!」
 ミツは何か言いたげに志摩子さんを睨みつけていた。その睨み顔は今まで見てきたミツの顔の中で一番、怒りに狂いそうで、おかしくなりそうな顔だった。体も手も、ぷるぷる震えている。
「ここにおられるのは、殿と鳴滝殿と美佐殿と私だけではありませぬ。この学校の関係者や、こちらの催し物の責任者も、関係のない庶民も沢山おられるのですよ。人形を捨てた殿の無礼は、そういった人々の気を悪くさせ、徒に不満を抱かせたことと、たとえ憎きタヌキであろうと、この人形を作った者の心を蔑ろにしたことです。
よくお考えくださいませ。志摩子は、何か間違ったことを申しておりますか?」
「み……」
「あなたは、もう少し他人のことを考えるべきです。
 ――そんな横柄な性格だから、上様が可愛がっていた方々から執拗に嫌われて、伏見から追い出され、あんなことになっているのですよ」
 ミツは次第に俯いていき、何も言わなくなった。
「最初にも申しましたが、こんな人形程度に我を忘れるようでは、
 ……いつまで経っても内府になんか、勝てっこありませんよ。あなたは……」
 説教する志摩子さんは真剣な表情を崩さずにいたのだが、段々と悲しげに眉を曲げていき、そこにきて深く顔を落とした。しかし、疑問に思う暇もなく、顔を上げ、主君であるミツに一喝する。


「あなたは所詮、落ちぶれた小大名でしか無いのですから!」


「そんなの、そんなのわかっておるのじゃ!」
 泣き出すように、ミツは叫ぶ。
「黙れ黙れ! こんなところで、全然関係ないこの夢のような世界で、そんなこと、そんな屈辱的なこと、聞きとうないわ!」
 志摩子さんは、鬼の面を被ったような顔でむっつりと、主君の命令通り黙りこんだ。そうしていくらかの沈黙が過ぎた。やがて、ごめん、と掠れた声がする。そしてミツは志摩子さんの制服の袖の部分を、申し訳なさそうに摘まんだ。
「すまなかった……」
 その謝罪は苦しそうで、本当は謝りたくないのだが、謝らなければという苦悩をそのまま表している。そんな気がした。
 志摩子さんは厳しい顔を緩ませて、ミツを抱き寄せ二回、頭を撫でた。そして落ちたままのタヌキの人形を取り、お騒がせして申し訳ありませんと係の子達に深く一礼して立ち上がった。ようやくそこでミツは顔を上げた。泣いてはいなかったが、眉は下がっていた。

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