「帰りたくないのは、志摩子、本当は、お前なんじゃないのか?」
 そして俯いた顔を元に戻した。睨むようにミツの目はまっすぐ志摩子さんに向いていた。
「な! そうじゃろ。本当は帰りたくないんじゃろ? 今までの言葉、ぜーんぶ嘘じゃろ!」
「……な、おミツ様……」
「嘘うそウソっぱちじゃ! 志摩子も本当は楽しみたくってしょうがなくって、わしだけ楽しんでずるいーって思ってるからそんなこと言うんじゃろ! じゃろ!」
 なんという呆れた論理だ。そんな子供みたいな思考、志摩子さんが持つわけがない。だが志摩子さんは何も言い返さない。少し、頭を掻く。
「まったく……」
 うんざりした口調だが、――そのくせ全く嫌そうな顔を、彼女は浮かべていなかった。ミツのことを話していた時と同じ幸せな苦笑が、そこにはあった。


「殿には、敵いませんね」


 そして苦笑ではなく、微笑んだ。こうなることは決まっていたことだから諦めようとその笑顔は物語る。手のかかる息子だ――そう彼女は、彼を評していた。ああ、まったくその通り。
「やったのじゃ! そうと決まれば急ぐのじゃ! ほれ美佐、案内をせい」
 思わず音宮さんの方を向く。
「え、ええ? わ、私?」
「そうじゃ。なんせわしらはここの土地勘もない上、通貨も持っておらぬ。これでは到底この馬鹿騒ぎを楽しむことは出来ないのじゃ。というわけでひとつ頼む」
(な!)
 このガキ。金を出せなんて明らかに音宮さんを強請ってるじゃねえか!
「殿! それが恩人に対してものを頼む――」
「俺が」
 だからつい、宣言してしまう。
「俺が払う。俺も一緒に行く。一緒に、一緒に、文化祭回ろう、音宮さん!」
 言えた。やっと言えた。初めて彼女と出逢った日のように、口から言葉が溢れ出た。俺の言葉全てが彼女の為にあるのだ、この時を待っていたと言わんばかりに饒舌になる。
「俺のクラスの店とか、音宮さんのクラスのとか、俺の友達のとか、音宮さんの友達の部活とか同好会とか。金は全然気にしなくていいから! ほら、パンフとかに割引券やサービス券ついてきたりしてるしそれも使って! あ、音宮さんが行きたいところ優先的に回ろう、だから――」
「な、鳴滝、くん」
 その勢いに押されたのか彼女は一歩後ろへ下がってしまう。あ、と自分の暴走に気付くと一挙に言葉の勢いはああ、とかうう、とか、とてつもなくしどろもどろになった。あははとミツがけたたましく笑った。静まっていた周囲の喧噪が一気に、戻ってきた気がした。
「だ、笑うなよ!」
「何故じゃ? おかしいものを笑って何が悪いのじゃ、あはは」
「こんの……ガキ……」
 家来を持つ身なら、少しは礼儀を知って欲しいものだ。はあ、と志摩子さんの疲労に満ちた溜め息が横から流れた。きっと彼女もずっと同じ考えなのだろう。
「まあこれで軍資金の心配は無くなったのじゃ。あとは兵糧じゃな! 志摩子、あっちの方に「わたあめ」なる菓子があっての!」
 言いながらミツは一目散にダッシュする。「お待ちください、また逸れますよ!」と追いかける志摩子さんは今度は母ではなく一人の子供を預かる保育士さん、といったところだろうか。そういえば、わがままな殿様に翻弄される家臣、というのもよくあるパターンだから、あながちあの二人の主従関係は間違ったものではないのかもしれない。


 気付けば――残っているのは俺と音宮さんだけになっている。


 そのことに気付くまで体を弛緩させきっていた。気付いた途端、急激に石の如く固まっていく体、かと思えば緊張の酸素を運ぶ血流の熱いこと。
「あの……私も、勿論お金ありますから、そんな無理……」
「いや! 大丈夫だから!」
 清山の文化祭はどの生徒の金も、赤点を取ったテスト用紙ばりに飛んでいくものと相場が決まっているのだ。盗難などの被害が多く、その取り締まりも厳しい。それはいいとして、俺には今、通常の三倍以上の現金が財布にある。音宮さんの為に使おうと思っていたから、全然平気なのだ。
「でも、それじゃあ私が嫌で……。あの、半分ずつはどうですか?」
「あ――う、うん」
 彼女の意向を全く無視するのも印象としてどうだろう。ここは素直に折れ、前方にいる二人を目指して、歩き出す。
 ……何だか夢みたいだった。逢えたらいいと思っていたが、こんな形で逢うことになるとは。何か騒ぎに巻き込まれれば、と願ったのが本当になって一人笑った。彼女の傍で歩いていると、一歩一歩天に近づいているような心地よい高揚感が湧く。何か話そうと思ったが、何も話さなくていいくらい満足していた。
 そして彼女からこんな話が出た。

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