俺の隣にいた志摩子さんは駆け寄ってくるミツ少年に自分も走り寄り、ぎゅうっと小さな彼を抱きしめた。というよりミツ少年が抱きついた。
「しまこぉ、逢いたかったのじゃあ!」
「殿……ご無事で何よりです」
 肩に顔を埋める少年のふさふさした頭を優しく撫でる。その志摩子さんは母親のようだった。年の離れた姉と弟とも見れる。俺が予想していたよりもミツ少年はずっと小さかったので、その様子を見ながら彼を主君と呼べる志摩子さんに何か尊敬を感じてしまうのだった。
「美佐がここまで連れて来てくれたのじゃ、おーい、美佐、何をしておるのじゃ」
 美佐、という名前に背筋を伸ばす。何故か音宮さんの方も驚いたようで俺と同じように居住いを正していた。彼女は俺を見て、ぺこりと頭を下げた。心なしか少し顔が赤かった気がするが――俺の自惚れだろう、というか俺の方が顔が赤いはず。妙に火照っている。緊張が主に頬全体に走っていくのを痛いほど自覚していた。
「あ、あの……鳴滝君」
「お、音宮さん! あの……」
「み? この男は誰じゃ?」
 俺と音宮さんの間にミツ少年は堂々と入ってきたのでうわあ、と俺は数歩引く。その様子にミツは笑った。なんだか小馬鹿にされたようで小腹が立つ。せっかく彼女に挨拶しようと思っていたのに。軽くねめつけたが全然気にしていない様子だ。
「鳴滝和彦殿です。志摩子に案内をしてくださいました」
「おお、そうか。大儀であったな、えーと、えと、なる……なるひこ?」
「なるたきかずひこ、殿です。殿、失礼でしょう」
「ああ、別にナルヒコでも構わないですよ」
 俺の友人からよく呼ばれるあだ名だ。鳴滝和彦を縮めてナルヒコ。なんだかナルシストみたいで嫌だなあと常々思っていたが、十分浸透してしまっている所為で結構気に入っている。
「そっか、鳴滝君が……」
「あ、あの、音宮さんが、ミツ君を?」
「え……はい、そうなんです。偶然……志摩子さんのことを訊かれて」
 それで今までずっと志摩子さんのことを探していたという。ちょっと苦笑気味なのは、多分このミツ少年に振り回されていたのだろう。ちらとミツの顔を見てみると、いかにも子供っぽく生意気そうで、その上変に賢そうな目の輝きと顔立ちだから、きっといろいろ厄介だったんだろうなあ、と音宮さんを全力で労わりたくなる。そういえば志摩子さんも彼について潔癖症で頑固で、とか言っていた。
 志摩子さんの主君である為だろうか、ミツ少年は彼女よりよほど変人だった。第一言葉遣いが志摩子さんのそれよりおかしい、というか更に時代がかっているし、狐色のふさふさした髪の毛はそれなりに愛くるしいのだが耳のように見える角のようなものがぴくぴくと自然に動く時点で怪しい。そして見たままなのだが少年過ぎる。志摩子さんが仕えるにはいくらなんでも若すぎるだろう……。
「そうそう、探している間、美佐と一緒にいろんなものを食べたのじゃ。どれも美味でのう、志摩子にも食わせてやりたいと思っていたところで――」
「殿」
 志摩子さんの声は少々、低い。うきうき報告するミツを少し窘めた、と空気が伝えてくる。みっ、と小動物が鳴くような声を漏らすと耳のような髪はしゅんと垂れ下がった。
 しかし、いきなり何故だろう? ミツ少年は確かにこ憎たらしいが、今は別に、これといった過失は犯していない。


「もう、この方々にも、この学校という場所にも、迷惑はかけられません」
 ミツは俯いてただ沈黙していた。
「それに私達がどういう状況にいたか、まさか、忘れているわけではございませんでしょう?」
 志摩子さんは厳しい何かに耐えるように顔を顰め、深刻そうに呟く。
「あなたが仕掛けた、一世一代の大博打なのですから」
「博打を打っているのは狸の方じゃろ。わしがああして、事態がああなっているのは、当然の運びじゃ」
「なら尚更、ここにいてはいけないことを理解なさっているはずです。……私達は「帰らないと」いけないのですよ」


 隠した言葉を、俺は即座に理解した。「私達の世界」「あちら」「向こう側」という、今まで散々聞いてきたあれだ。――彼女達は何と、向き合っているのだろう。
 志摩子さんはミツに背を向け、俺と音宮さんに頭を礼儀良く下げた。
「鳴滝殿、美佐殿、この度のご厚意、感謝いたします。
 またお逢いすることは――おそらく無いでしょうが、もしお逢いできれば、その時はまた、この祭を案内していただけると嬉しいです」
 俺も音宮さんも黙ってしまい、辺りの喧噪も不思議と静まっていくように感じた。
 志摩子さんの目的はミツを見つけることで、ミツの目的は志摩子さんを見つけることだった。それに付き合った俺達の役目は確かにここでお終いだし、俺は音宮さんと出逢えた奇跡を無碍にできないから今すぐ彼女を誘ってどこかへ行くべきだが、何故だろう。この二人を放ってはおけない気がするのだ。
もう少し、ここにいればいいのに。長い一日は、まだまだ始まったばかりだ。
 ちらりと音宮さんの方を見る。不意に目が合い、慌てて離してしまうが――彼女も俺と同じことを思っていそうな顔をしていた。何かが通じ合ったようで、不思議だった。
 だけど志摩子さんは行ってしまうという。俯いたままの上司と目を合わせようと、彼女は屈む。まるで跪くように。
「さあ、殿……帰りま」
「帰りたくないのは」
 妙に意地を張った声で、ミツは言う。

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