志摩子を見なかったか? と訊いた男の子は尚も懇願するように私を見つめている。ぱっと咲いた笑顔はどこへやら、今にも泣きそうだった。シマコ。多分、女性の名前だろう。
「志摩子さん、ね? きみのお姉さんかな?」
「みい、志摩子はわしの家来じゃ」
 姉でもなく、保護者でもなく、ましてやお母さんでもなく、出た関係名はそれだった。浮かべた笑顔が崩せないくらい、意外だった。
「……? 家来? ええと、お手伝いさんとか、かな?」
「みー、お手伝いさん? 女中とか小姓のことか? 確かにわしの屋敷に勤めてはおったが、志摩子はそんなので留まる女じゃないぞ。女中にしておくなんてもったいないのじゃ! わしの唯一無二の家来じゃ!」
 泣き顔寸前の顔は怒りの方向に転換し、彼は鋭くわめいたが、この喧噪の中では大した騒音にならない。ただ子供がごねついているだけ、見たままだ。
 だけど、「わし」という一人称や、じゃ、とかなのじゃ、とか、女中とかお小姓さんとか、時代劇から語彙だけ移植されたみたいでとにかく不思議で、もし誰か立ち止まって何だろうと見ていく人がいるなら、みんなこの言葉遣いに反応してだろう。
 それから、髪の毛の量が多いことで獣の耳のように見える部分が、ぴょこぴょこ動くのも――どういう仕掛けになっているのか、とりあえず引っ張ってみたくてうずうずする。これは、可愛いもの好きの女の子だったらみんな触りたくなる、きっとそうだ。
「み。聞いておるのか、その方は?」
「ひゃっ」
 しゃっくりみたいな声を上げてしまった。ひそかに頭を撫でようとしていたので、構えた右手が行き先なしに宙に浮かんで酷く不格好だ。みい? と子猫が鳴くような声で首を傾げ――多分、みい、とか言うのは彼の口癖なのだろう――ただ私を見ていた。その大きな目をぱちぱちさせながら。
 仕切り直すように、こほんと咳払いをした。ひどく大人ぶった仕草だ。
「とにかく、わしの家来の志摩子と、逸れてしもうたのじゃ。その方、名は何と申す?」
「私……? 音宮美佐って言いますけど……」
「ふむ。ミサか。何と書く?」
「え? 美しいに、ええと、補佐、とかの――」
 そうか、と合点したように男の子は笑った。よく見ると、その目は澄んでいて聡い輝きをしている。サワヤマのサじゃな、と嬉しそうだった。
「良い名じゃ。気に入った」
「きみは、何ていうの?」
 するとたちまち男の子は表情を曇らせた。獣耳の髪はしゅんと項垂れる。
「あ――その、不必要に名は明かすな、と志摩子に言われておるのじゃ。殿、でよい」
「との……?」
 とのって、あの字だろうか。何とか殿とか殿方とか本殿とか清涼殿とかのトノ。確かめるまでもなく二人称としてはめっきり用いられなくなってる。何だか本当に時代劇でもしているみたい。そういえば演劇部で時代劇ってやったことないなあ。
「みい……さすがに不服か? ここは「わしらの世界」と、あまりに違い過ぎる。……だったら、さき……いや、ミツ、でよい」
「ミツ君、ね」
 み、と笑った顔は生意気に見えるけどとても可愛らしい。私もついついつられて微笑んでしまう。
「ほんとは、あんまり呼ばれたくない名なのだがな。左近も志摩子も吉継も、わしを子供扱いしてからかう時にそう言うのじゃ。まったく、わしは子供じゃないと言うておるのに」
 腕を組んで少し頬を膨らます。これのどこが子供じゃないんだろう。
「どうして、その志摩子さんと逸れちゃったのかな?」
「みー、わしらは、何故か知らぬが「こちらの世界」に偶然来てしまったのじゃ。何しろ不案内にも程があるし、「元の世界」にいつ帰れるかも知れぬでな、志摩子がちょっと偵察に出て――」
 こちらの世界? 元の世界? そういえばさっきは、「わしらの世界」とも言っていたけれど。
「で――その――みい……」
 ミツ君の視線が右往左往した。周りに溢れるのは、いかにも子供受けしそうな模擬店・イベントのポスターや客引きだった。賑やかさは途切れることなく、お昼に向けてますます上昇していくのだろう。
「ふふ、ついふらふらしちゃったんだ」
「だ、断じて遊びたかったからではないぞ! そもそも、「この世界」でこんなことをしている場合では、「あっち」ではいく――っと。……とにかくその、まあ、逸れてしまったのじゃ! わ、笑うでないぞ美佐っ」
 強がって大人ぶろうとしている子供ほど、可愛いものはないんだなあ、と私は込み上げる笑いを堪えながら思った。何だか頭にひっかかる変な言葉もあるけれど、旅は道づれ世は情け、と思いながら、とりあえず私はミツ君のため、その志摩子さんを探すことにした。

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