うちの茶道部も来てな、という言葉とふんわりした笑みを残し千尋ちゃんはお店の当番に戻っていった。彼女の接客は人気と相まってかとても評判がいい。その代わり他の女子からは、その男子受けする性格と言うか、ぶりっ子しているところは、あんまり好かれていないのだけど……今は、彼女の容姿や性格や、いぶきちゃんが言うような積極性が羨ましい。
 他の友達は、部活の発表やサークルの展示に行っていたり、他校の友達と合流していたり、男の子と一緒に回ったり、いろいろだった。私は独りで何もすることがなく、何となく玄関に来てみる。行きたいところが沢山あって、逆に何から行けばいいのかわからない。特に清山のような、遊園地じみた文化祭では尚更だった。
 一杯いろんな人が出たり入ったりとせわしない。まるで都会のスクランブル交差点のようだ。そんな中で私は、鳴滝君と出会えないかな、と思う。思うというより、願うに近かった。
 彼の言葉を、まだ覚えている。


 すごく、面白かった。すごく気に入った。
 誰だってそういうの、一度は夢見るから。


 ――私の脚本が、受け入れられなかったわけではない。好いてくれる人はいたし、南堂君も練習用には採用してくれたし、時にはアドバイスもくれた。だけど、あんなにはっきりと、まるで直接心に伝えるように言ってくれたのは、鳴滝君が初めてだった。
 あんなに誰か、知らない男子と話したことも、一緒に時を過ごしたのも、初めてだった。自分の一挙一動にすごく注意を払うようになったのも初めてで、もとからぎくしゃくしている私は更に、ぎくしゃくした。まるで操り人形だった。
 私が彼が好きだということは、火を見るより明らかなのだ。
 なのに、声をかけることは出来ない。初対面の時は私から声をかけたのに、不思議だ。いつも、私は「待ち」の姿勢だ。だけど、今日を逃すと危ないことは、わかっている。考えたくないけど受験勉強がある。大学に行って、まだ演劇を、脚本を続けたい。今度は、ファンタジーばっかりじゃなくて、もっと現実的なものを――。
 そこでまた、鳴滝君のことを思い出す。好きだと言ってくれたことを。じゅうっと、脳の表面が焼かれたように。私は、息をのむ。
(だけど、だけどそれは、私のことじゃなくて、私の台本のこと、だから――)
 それに、と私は思う。たとえ今、仲良くなっても、私達は受験勉強があって、とても順調に、仲が続くとは思えない。――私は背負い込みやすいタイプだから、知らないうちに苛立ちや勉強に対する不満が溜まって、それを制御しきれず、不必要に彼を傷つけることがあるかもしれない。そういう風に、お互いが傷付くのは、嫌だった。
 始まりを大切にしたければ、尚更。
 私は彼のあの、夏がきらめいたような笑顔を、切ない気持ちで思い出したくない。
(終わりが来るなら、始まらない方がいい)
 そうして思い出は埋没していく。時の砂にその身は隠される。たまに時空嵐の突風が吹いて、きらりと光り、私を、あらゆる人間を懐古の蜜に溺れさせる。――身を切るような切なさを伴って。
 なんだか、悲しい。
 周りはこんなに、お祭り騒ぎなのに。高校最後のハレの日という個人的な意味合いも、それを強めている。そう、最後の日だ。
 どうしようもなくて、私は目を閉じた。そうして何かが、零れた。


 彼に、最後でもいい、逢いたい。
 奇跡が起こるならば、どうか――。




「どうしたのじゃ?」
 可愛い声が、足元からする。
「何で、泣いておるのじゃ?」
 変な口調……まず思ったのはそれで、目を開いて声の主を眺めた。
 小さい少年だった。狐色の髪をしていて、毛の量は多くて、一部獣の耳のようになっている。目はくりくりとしていて大きく、困ったような、どこか呆けたような色を浮かばせている。私服か、サスペンダーで吊った半ズボンなど、小等部の制服に似ていなくもないけど、この辺りでは見かけたことはない。
「み……どこか痛いのか?」
「え?」
「泣いておるではないか」
 そこで初めて泣いている、それも人前でということを理解し慌てて眼鏡を取り、涙を拭いた。大丈夫だよ、と言うと男の子はよかった、と太陽のような笑顔になった。
「きみ、どうしたの? 迷子?」
 保護者同伴か、清山小等部児童でないと、子供は文化祭に入れない。大方、ご両親と逸れてしまったのだろう。私は男の子と目線を合わせようと思い屈んだ。男の子はううんと唸り、笑顔を崩し、眉を面白い程に八の字に曲げ、いかにも困り顔という表情で私を見て、こう尋ねた。


「志摩子を……志摩子を、見なかったか?」



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