清山の文化祭は小等部・中等部・高等部全体、日にちは同じである。金・土・日をもって開催されるが内容は若干違う。高等部一日目は記念ホールが会場で、お偉い文化人や作家の講演会がある。その後に合唱部・吹奏楽部・演劇部など文化系部活の発表があり、それで一日目は終了となる。中等部も別のホールを会場にして似たような内容の一日目を行う。小等部は校内でクラスの発表と、いかにも小学生らしい。
 二日目は高等部・中等部・小等部の垣根を越えて自由に移動できる。もちろん近所の父兄の参加も可である。メインは模擬店やバザーで、高等部だと部活動未満の同好会・愛好会も含めた文化系サークルの発表やイベントがある。これで終わりではない。三日目がある。最終日だ。
 引き続き模擬店などが校内を賑わせるが、ベストカップルグランプリだとか、ミス&ミスター清山だとか、先生への主張だとか、公開告白大会だとか、飛び入りのど自慢だとか、後夜祭などで一番盛り上がる。ちょっとしたテレビ取材なんかもあったりする。これらを切り盛りする生徒会、特に会長である小池田は楽しみにしながらも、トラブルを起こさないよう、相当緊張している。
 限られた時間、清山全てを回りつくすことは出来ない。だからみんなこぞって有志の生徒が作った文化祭必勝マニュアルや完全攻略マップなどを頼り、最高の思い出を作りに駆け出すのだ。友情だけではない。カップルの生まれる率が行事内で一番高いといい、男女の組み合わせをそこら中で大変多く見かけられるだろう。
 一年や二年、中等部小等部の連中はいい。だが、高等部三年にとっては最後のハレの日だった。この祭が終わればすぐ受験の時期に突入する。そのまま清山の大学に入る奴もいるが、別大学や県外に進学を決める者も中にはいるし、就職するやつもいる。でも文化祭の時だけはそのことを忘れてぱあっと騒いでいて、得難い何かを得ようとしている。


 俺にとってはそれが、恋だった。


 クラスの模擬店の仕事は二日目の昨日に終わってしまい、今日は総務委員の仕事、朝から受付で玄関に詰めている。本当にたくさんの人が来るのだ。他校の生徒、OB、OG、父兄、保護者、昔勤めていた先生達、近所の人、業者の人――最初だったら楽かなと思ったがそうではなかった。忙しさに、目が回る。だが俺はずっと考えていた。何故、音宮さんに声をかけられないのか。何故、音宮さんと会えないのか。――彼女にも友達と回る約束があるだろうし、会えないのは互いの仕事があるからで、と言い訳がすらすら出るのが憎らしく、空しい。何だか最初から諦めているようで、嫌だった。自分のいざという時の勇気のなさにはほとほと呆れる。時々ものすごく積極的なくせに。
 何度も警鐘が響く。これを逃すと最後だ。ここが踏ん張りどきだ。天下分け目だ。なんて、言い過ぎか?
(んなこと、言ってもなあ……)
 ようやく今日の分の仕事が終わり、解放された。玄関すぐの廊下やロビーはもう人がごったがえしており、放送も途切れることが無かった。中庭から何かの司会者の元気の良過ぎる声が耳に痛い。鼻腔をつくのは沢山のクラスや同好会が営んでいる模擬店の商品の匂いだ。軽く腹が空いた。
「先輩は誰かと回んないんですかー?」
「あー……俺は」
 あ、と後輩はにやにやと下世話に笑う。
「彼女っしょー! いやあ、お熱いことで!」
「え……ちが」
 わかってますってと全くわかっていない後輩は脳天気に笑った。――しょっちゅう、俺は音宮さんを目で追っていた。小池田でなくても気付けるくらい露骨だったのかもしれない。いやしかしまさか。彼女の名前を口に出したことはない。
「俺のクラス射的やってんで、是非是非。女子向けの景品も多いっスよ!」
 じゃそういうことでと後輩は走り去っていった。途中で立ち止まりきょろきょろと周りを見て、やがて別方向へ走っていった。視線を追うと、やっぱりだ。一年生らしき女子と手を繋いで歩き出していった。けっ、と俺は吐き出してしまう。
(面白くねえの。そっちがお熱いじゃねえか)
 壁に凭れて、しばし思案する。音宮さんはどこにいるのだろう。この広い清山の敷地内で彼女と巡り逢えるだろうか? 彼女のクラスへ行ってそれとなく聞き出してみようか。ああ――時間が惜しい。それでなくとも気になる展示やステージや店はあるのに。
 賑やかな廊下の中で、急激に孤独を感じる。時間はとうとうと流れている。無常に、もう戻らないそれに、ただただ流され、そして人間としての皮が剥がれてしまう。なんて、三途の川じゃなかったっけ、それ。確かこの前の古典の時間だったかに先生が話していたなあ、とわけのわからない白昼夢は霧散する。
 じっとしてはいられないけれど、孤独の次に途方もない疲労感が俺を埋め尽くす。思案するのも動くのも無意味だ。ここでじっと待っていれば彼女が来ることもあるだろう。玄関も近いのだ。いやしかし、これだけ往来がごったがえす中、俺は独りで好きに飛び出してしまいそうだ。
(ああ――)
 体を伸ばすと、ぽきぽきと小気味いい音がなった。軽く眩暈を感じた。あの、音宮さんと一緒に歩いた木漏れ日と似ていて、ふと思い出す。


 彼女がささやかに願った空想。物語が現実に、現実が物語に。それは、奇跡だった。
 そう、奇跡。


(音宮さんが言う奇跡でも起こって、何かの騒動に巻き込まれない限り、巡り逢うことは出来ないんじゃねえのかな)
 ものすごく他力本願だった。そうでもしないと立ち直れなかった。一度目を閉じる。そのまま眠ってしまいそうだった。

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