いくつか掃除を手伝って、ふと間が空いたように手持無沙汰になった。気がつくと周りには机や本棚に一時的に置かれた、同じ本の束。本というよりも、資料だ。おそらく台本か設定集か何かだろう。一時的とはいえ相当な量だった。俺は暇なのをいいことに適当に取って、軽い気持ちで読んでみた。
 それは一ページ捲るごとに眼前に広がる――鮮やかなまでに幻想が描かれている台本だった。軽い気持ちで読んだのを少し後悔すると同時に、清山演劇部のクオリティの高さに舌を巻いた。
 セリフとトガキと、必要最低限の情報しか書かれていない。なのに、いつのまにか周りにはおかしなことが広がっているのだ。まるで夢の中のように、最初は不自然でいても次第に現実に溶かされていく。種明かしは徐々になされ、最後にはこじんまりとした終わりになる。俺は掃除に参加することも忘れて夢中で入り込んでいた。


 そう、本の中に入り込むように。昔、マンガに出てきた、あの靴を履いてしまったように。その為この台本は反南堂派のものであると、すぐに気付けなかった。


「あ……あの」
 か細い声がして、つと台本から目を逸らす。
 ある女の子が、困ったような、恥ずかしそうな表情を浮かべて俺の前に立っていた。一瞬誰かわからず、掃除の邪魔かなと、台本をしまってさっさと出て行こうと気まずいながら思った時に、ぽろりと脳から名前が出た。
 音宮さんだ。
「おっ、おと、おと、音宮さん?」
「え? あ、あの……はい、そうです、けど……?」
 伏し目がちに、遠慮するように彼女は答えた。――その大人しいと言うよりは怯えた仕草は、魅力を引き出すという意味でものすごく彼女に似合っている。
南堂との会話を思い出す。……彼女がファンタジー党のトップというが、俄かには信じられ難い。誰か、主張はしたいけど表には出たくないような奴に持ち上げられたんじゃないか。
「あの、いきなりごめんなさい。……助っ人の、人ですか?」
「ああ、うん、そうそう。南堂の友達で、鳴滝和彦っす」
「南堂君の……」
 彼女は何故か、苦笑に近い表情を浮かべた。俺も南堂のようなリアリスト過ぎる人間に見られているのかと思い、まずかったかな、と内心焦った。
「あの、そこの本とか……いらないのだから、処分しなくちゃいけなくて」
「持っていくの?」
「あ、はい」
 と、俺は周りに積み上げられたり、所によってはページがばらばらになっている台本や、資料集を眺めてみる。よく見ると黄ばんでいたり汚れていたり、明らかに何年も前のものや、全く使われていないようなものも多くある。多分、そのまま古紙回収行きだろう。右手に持ったままでいる台本を眺める。少し惜しいな。面白かったのに……。
「これ……もしかして音宮さんが書いたの?」
「えっ?」
 何気なく聞いたつもりだが、彼女は大きな、驚きを帯びた声を出した。しゃっくりのようにも聞こえた。
「どうして……わかったんですか? あれ? もしかして、後ろの方に……名前、書いてあったのかな……。え、でも、そんな……やだ……どうしよ……」
 いや、直感、と俺は頭を振りつつ、やや混乱したように見える音宮さんをカバーした。しつつも、こんなに恥ずかしがる子がよく演劇なんているなあ、と南堂とはまた違う意味で感心してしまう。
「あの、すごく、面白かった!」
 そう素直に伝えた。図らずも語気が強めになってしまい、怯えさせたかと思ったが、彼女は目を白黒させていた。指を組んだり解いたりもしている。何を言われたか、頭の処理が追い付いていないのだろう。
「あ、ありがとう、ございます……!」
 控えめな、しかしはっきりとした答えが返ってきたのは、おそらく一分くらい間を開けてからだろう。ちらと、視線を感じさせないように彼女の表情を見ると、思った通り紅潮していた。あまりにベタな対応なのでこっちまで恥ずかしくなってきてしまった。さっきの南堂の謝辞とは違う。


 もうこの時点で、いや、彼女を一目見た時から、好きになっていたのだろう。そう思う。

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