音宮さん――音宮美佐さんに出会ったのは、それほど遠くない昔だった。


 俺の友達に南堂誠という、やけに生真面目で無愛想な、けれど先生にも後輩にも何故か評判のいい男子がいる。彼は演劇部の部長を務めていた。実直で冗談が通じない雰囲気の南堂が演劇、というと不思議な感じもするが、いまや演劇部は彼なりのカラーで染められていた。虚構の中で、現実の問題を真摯な態度で扱っている。そこに幻想――ファンタズムの入り込む隙間は無かった。
 文化祭の公演練習が始まる頃だったから、結構前だろうか、俺は友達のよしみで演劇部の大掃除に助っ人に行っていた。清山の演劇部は軽く市民劇団のように人数が多く、部室や資料室や衣装倉庫なども、規模が大きい。部員だけではとても一日で片付けることは出来ない――そう南堂が呟くのを聞いて俺も行こうかと言ったのがきっかけだった。南堂はこちらが恥ずかしくなるくらい感謝の言葉を述べ、俺を演劇部へ案内してくれた。
 そこで、どんな劇をするんだと今の演劇部の芸風を聞いた。さっきも言った通り、ずばり、現実をありのまま描く写実主義だった。今まで文化祭で目にしてきた演劇も、よく思い返してみるとそんな感じだったはず。
 南堂が入部した頃から、問題意識の強い作品をメインに公演も練習劇も重ねていたようで、それが主流となっているのは別におかしくもなんともない流れである。なるほどそう考えると南堂の生真面目さや勤勉さなどはその芸風にうってつけだ。それに加え演技にも演出にも真剣に取り組み、先輩や顧問の話もよく聞き、おまけに品行方正かつなかなかにリーダーシップもある。南堂が演劇部の部長となったのもおかしい話ではないのだった。
「音宮の書く脚本が、そうだろうな」
 そう、とは、俺が何気なく尋ねた「ファンタジー」が出てくる創作劇、のことである。
「だけど、駄目だな。全然駄目だ」
 南堂はその性格ゆえ言うことがたまに過激である。
「駄目って、ファンタジーが?」
「……まあ、そうなるな。彼女の書く台本自体、悪いわけではない。演出もなかなか妙だ」
 顎でしゃくって、彼女のいる方向を教えてくれた。俺はその時初めて彼女を目にした。
 小さな子だった。
 眼鏡をかけていて、三つ編みのお下げを結っていた。何人かの子と仲良さそうに話していて、声は控えめそうで、微笑も控えめで、でもそれは遠慮しているからという風ではなく、天性でそうなっている、とわかるものだった。
 一度見て、瞬きし、二度見て、はあと感嘆の息に近いものをついた。演劇部という部活に似合う子は俺の隣にいるくそ真面目なリアリストよりも、ああいう、詩集でも大切そうに携帯している子だ。いや、文芸部の方が似合っているか。
「表面上は仲良しこよしで見えるこの部だが、実際は派閥がある。俺を筆頭にしている党と、彼女を筆頭にしている党、に二分されている」
「あの子が大将かよ」
「なあに、派閥争いと言ってもただ単に、芸風の好き嫌いで分かれているだけだ。彼女のもとに群がるのが、幻想主義的な奴ら。が、しかし彼女は見ての通り押しの弱い子でな。今まで練習用の劇以外で台本が採用されたことはない。そんな彼女に失望して――新しい同好会を作って離縁していく部員もいる」
 清山の同好会や研究会、「部活」未満のクラブというのはごまんとあり、生徒会幹部でも把握しきれない。その中に演劇系のサークルもあるのだろう。新政党みたいなものだな、と南堂は愚痴を零すように言った。去っていた部員の中には将来有望な生徒もいたのだろう。
「……なあ、ファンタジーって、……奇跡とか神秘とか、そんなに悪いか?」
 別に、これと言った大義名分があったわけではないが、何となく思って、南堂に問う。にべもなく悪いと言い返されるかと思いきや、彼は俺の顔をまじまじ見て、何かを考えるように自分の眉間の皺を擦った。
「悪いわけではないさ。事実、戯曲には摩訶不思議なモチーフを取り扱った名作が沢山残されているのだからな」
「んじゃあ、別にやっても構わないじゃないか」
「虚構の中で」
 言って南堂は空中に丸を描いた。
「あえて『現実』を演じる。そうすることで何か見えてこないか、と先人達は考えた。
 別に、虚構だからといって、全てを不思議な話にする必要性はないはずだぜ」
 南堂はそこで話を切った。間をおかず、後輩達に呼ばれて掃除の現場に戻っていった。何てことないように南堂はさらりと言ってのけたが、俺は何だか圧倒されてしまって、ただつっ立っていた。ど素人のくせに、演劇とはそういうものなのだろうかと足りない頭を捻って考えていたが、ただそうしているのも悪いのでとりあえず衣装整理班を手伝うことにした。
 手伝いながら、何か違和感を抱く。確かに南堂の言うことは一理あると思うのだが、だとしたら、俺が今まで見てきたファンタジーのある劇や小説や映画っていうのは、全て南堂にとっては切り捨てるべきものなのだろうか。全て、と言うと言い過ぎだが。
 それはあまりにも不健康、言いかえれば息が詰まる。事実南堂と一緒にいると息が詰まる――ほど、彼がいろいろと生真面目なおせっかいを焼く――のだが、息抜く暇もないような人生は、酷く苛烈だ。


 つまりは、幻想はあってもいいと思う。そういう主義を持つなら、俺は音宮さんの側につくことになるのだろう――そう思ったのが、彼女に強く惹かれる一端となったように思う。

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