中学の頃入った手芸部は、部長が一から作りだしたものだった。
 小規模だったからかとても仲の良い部活で、活動も面白かったし、合同刺繍は文化祭やコンテストで注目を集めたりした。それより何より、私は部活の皆と真面目に頑張ったり、時には笑って過ごす日々が、皆との思い出が大好きだった。そして手芸部を作り上げた部長を心から尊敬した。
 いつか私も、部長のように新しい部活を作って、誰かと思い出を作りたい。そして出来るなら――そこで過ごした思い出や育んだ感情を、私のように誰かに愛おしんでもらいたい。それが私の願いだった。
 だから私はこの高校に入り、部活が作れる二年生になってから早速部活作りに奔走した。なるべくお金のかからないもの、楽器なども必要なくて、大きな部屋を使わなくても出来ること。そこで出来たのが「音声演劇愛好会」だった。主な活動は、声を使って、好きな物語を朗読したりお芝居をすること。これなら、多少音質は悪くてもパソコンやレコーダーがあれば出来るし、脚本は沢山あるし、声に気をつけて演技力を高めていけば大丈夫だったからだ。
 似たような部活動は沢山あった。だけど、私は手芸部でない、新しいことをやりたい、そう思って作ったのだ。
 だから、簡単に手放したくなかった。私の、皆の、大切な部活になるはずだったのだ。
(皆、あんまり部活が好きな感じじゃないけど)
 道すがら私はこっそりと苦笑した。本当は苦笑程度で済まされるものじゃないとわかっている。
 自然と私はこれまでのことを思い出していた。新入生を呼び込むために宣伝ポスターを貼ったけれど、他の部活のポスターにすぐ埋もれたこと。何日も経って全然部員が集まらず困っていたところに、その様子を見かねたのか、通りすがりの愁君が入部すると言ってきて、それを見た瑠美ちゃんが私も私もと入ってきたこと。その後、二年生の本多君が何故か埋もれたポスターを見つけて入ってくれたこと。そこまでの流れは、全て奇跡じゃないかと思った。けれど、そこまでだ。
 集まっても一年生二人は喋ってばかりで、本多君はむっつりと黙りながら本を読んでいただけだ。私の提案の声は聞こえていないようで空しかった。発声練習をしようとしたら、いきなり瑠美ちゃんがそれならカラオケに行こうと言いだした。四人で行ったけれど、歌っていたのは一年生だけ。
 夏休みに集まって、文化祭に出すドラマCDの収録練習したけど、瑠美ちゃんと愁君はほとんど何もしないで、うちわを忙しく動かしながら携帯をいじっていたり、それはまだ良い方で、来なかった日も多々あった。放送部に迷惑をかけながら、少し良い機材で録音させてもらったけど、でもその録音する演劇がとても聴いていられないものだったこと、本多君の演技だけが唯一秀でていた所為か、逆に恥ずかしかった。
 そうやって録ったドラマCDもさっぱり売れなくて、私の友達が何人か律儀に買って、その他は瑠美ちゃんと愁君の友達がタダ同然で持っていったくらいだった。本多君は落研の友達もクラスの友達も来なかった。けれど別に、彼はちっとも気にしていないようだった。

 まるでごっこ遊びだった。部活ごっこ。

 会議室に辿りつき、呼ばれるまで廊下で待つ。正義の味方同好会だの、清山歌劇団だの、清山緊急報道クラブだの、名前も知らなかった部活、いや同好会未満のような団体がすごすごと引き下がっていくのを目の当たりにして、まだ面談も始まっていないのに肩を落とした。
 手持無沙汰だったのでスカートのポケットを探る。レース編みのハンカチが出てきた。中学の頃作ったものだ。デザインが気に入っていて、今でも愛用している。
(部長……)
 クラスで嫌なことがあったり、テストで悪い点を取ったり、作品が上手くいかなかった時、部長はいつでも私達の悩みを聞いてくれた。その度的確な答えを私達に示してくれた。そしてその後は皆と話しあったり、笑い合ったりした。それは、ただ単に部活とは言い難い世界だった。
 家族の風景。それに一番近い。
 瑠美ちゃんや愁君はいつも両親の悪口や、先生やクラスメイトの陰口を叩いていた。あんまり聞いていて楽しいものじゃなかったけど、誰かに話したいのなら、部長のように私が聞いてあげたかった。
 二人は校則違反だってお手の物だった。成績だって悪かった。もしそこに何らかの悩みがあるなら、それだって聞きたかった。そして部活を、二人にとって居心地のいいものにしたかった。もし今がそうでないなら、何とかしたい。今からでも、それは遅くないんじゃないか。
 そんなことを思う。もう私の順番は、次に迫っていた。




 会議室、コの字型に並べられたテーブルにはずらっと理事会、生徒会の面々が並んでいた。私はコの字の中心に座らされた。
 待っている間に考えたことと想いが――その場に入っただけでがちがちに緊張してしまい、一気に吹っ飛んでしまった。どうやって中心に辿りついたかすらわからない。それほど彼らの視線は私にざくざく突き刺さった。そして私の影を床に、乱暴に留めてしまう。いくつものプリントを捲る音が忍び寄ってくる魔物のように思えて、ぞっと鳥肌が立った。
「音声演劇愛好会会長の――二年三組、国木田美里さんですね」
「は、はい」
 生徒会会長の声は同じ女子の私でも惚れ惚れしてしまうくらい理知的だった。つい最近選挙で選ばれた二年生の新会長だ。前は生徒会の副会長だったか会計をしていたはず。雰囲気もまるで大人で、私と同い年ということが信じられなかった。
 しばらく資料に目を落としていたけど、すっと顔を上げる。切れ長の目と整った柳眉はとても涼しく見え、どんな困難が襲ってきても軽く処理して流してしまいそうだ、と勝手に思った。
「発足から一年経ってませんね……まず作った目的を教えていただけますか」
「え、ええと……」
 理事会の方は何も言わず、時折ペンを動かしたりお茶を飲んだりしていた。生徒会も資料を読んだりする程度で、会長だけが私に質問を飛ばした。
 収めた成績はどのようなものですか。文化祭では何を成し遂げたのでしょう。冬の間は何か発表会などに出場予定ですか。新入生歓迎会では何をするつもりですか。今後、愛好会をどのように発展させていくつもりですか――。
 私は、そのどれもに、しどろもどろにしか答えられず、その都度返ってきた新たな質問にも同じように拙く答え、また黙ったりしてしまった。このままじゃいけない、と思った時、リンとベルが鳴る。時間を区切っているんだ。とんとん、と資料をまとめ、会長はもういいですよ、とさほど興味がなかったように退室を促した。――実際、彼女にとっては私の部活なんてどうでもいいんだ。
「あ、あの、ちょっと待ってください」
「何ですか」
 私は思わずパイプ椅子から立ち上がる。そしてぎゅっと拳を丸めた。願いと祈りを、ポケットの中のハンカチに、かつての自分や部長に飛ばした。
「私……中学の時に、新しく作られた部活に入ったんです。手芸部でした」
 はい、と会長さんは頷く。聞いてくれているんだ、と嬉しくなって、途端に言葉は飛び出していく。堅くなっていた分それは余計に生き生きしていた。
 手芸部での活動の思い出。皆と過ごした日々。部長の存在。家庭のようだった部活を作りたかった。
「悩みがあるなら聞いてあげたい。ただの部活じゃなくて、居心地のいいものにしたい。その為に、この学校に進学を決めたんです。だから――」
 リンリン、とベルが鳴る。鳴らしているのはつまらなさそうな顔をした、おそらく一年生の女子生徒会員。わかりました、と会長はため息とともに言う。
「あなたの言ったこと――それは別に、その部長さんの真似をして新しい部活を作らなくても、この学校にある手芸部でも、その他の部活でも、出来たことではないですか?」
 そう返ってくるとは思わなかった。意表を突かれて、悪寒のようなものまで走る。すぐに返事が出来なかった私を冷たく見据えながら、会長は続けた。
「新しく何かを作りだすことは立派なことだと思いますし、この高校の特徴だと思います。しかしながら、既存の形を変えていって思い出を作ることは、新しいものを作り出す以上の喜びがあり、そして勿論苦悩もあります。
 ですがそういう部活こそが――栄光の成績を収めていくものであり、高校生活の思い出となるものではないでしょうか」
 本多君と同じだ。会長は正論を言っている。言い返したところで、それは屁理屈だし、わがままにしかならない。口は凍ったように開かない。
「あなたの熱意は伝わりました。ですが、類似部活も多く、これといった成績もないようですので、おそらく廃部になるかと思われます」
 何てことないようにさらりと会長は告げた。どこか血の通っていない機械のようでぞっとした。
「そんな……」
「私が思うに――あなたは単にその部長の真似事がしたかっただけでしょう」
 冷やかに私を見る。
「そしていい気になりたかっただけではないですか? 部活を作った、ちゃんとやっていける、そう自分一人で思っているだけ。そうなのでは?」
 会長は視線を外し手元の資料を見つめる。それでも私は依然として凍りついていた。
「部員一年の相澤瑠美と常川愁。この二人は成績も素行も良くないようですね。あなたが先程言ったような手芸部の部長さんのようであるなら、二人の更生が出来ていたはずですが?
 二年の本多隆道。一年時は第一落研でもホープとして期待されていましたが――優秀な落語を出来る部員が多く辞め、あるいは別の落研を作った、落研の分裂騒動に大きく関わったそうです。彼は今、正式に落研に所属してはいないんですよ――その顔を見ると知らなかったようですね。部長だったら、もう少し部員の持つ背景を把握しておくべきではないでしょうか」
 会長はそこで何故かくすりと笑った。すっかり凍りついていた私に、新しく鳥肌が立つ。それは冷めた笑いだった。それなのにひどく楽しんでいるようにも見えた。リンリン、とまたベルが鳴る。鳴らす女子もまた私を見下すような笑いを浮かべていた。
 私は、会長の言ったこと全てに言い返せなかった。そしてそのまま、待っている間に見ていた部活動の人達のように肩を落としながらすごすごと会議室を後にした。

back next

novel top

inserted by FC2 system