あれからまた何回か蝶々に会い、その時がきた。
私の髪飾りが、ようやく完成した。
私の手の内に、幼い頃に見たものとほとんど変わらない髪飾りがのっている。遥かな時空を超えてここまで来た様だった。羽根はキラキラとピンク色に輝き、小さな部品の光沢にもうっとりしてしまう。
どこにもない、私だけのものがここに甦った。
私はしかし、表情は嬉しさで一杯ではなかった。幼い頃からずっと想っていた髪飾りなのに。追い求めてきたものなのに。
蝶々とこうして逢うきっかけだったのに。
逢うきっかけが、別れをもたらしている。皮肉とは、こういうことなのかもしれない。
「おめでとう」
隣の蝶々は言った。私は隣を見ることが出来なかったが、彼に言葉を言うことはできた。
「ありがとう。蝶々のお陰よ」
なんだか、薄っぺらい言葉だった。
私が本当に言いたいことはこんなことじゃないと、心の奥で叫んでいた。
「蝶々の髪飾りが無かったら、これを作ることは出来なかったし」
だけど、私の口からはそんなお礼の言葉しか出てこなかった。
蝶々はいつもの様に――でもおそらくこれが最後――立ち上がった。
蝶々の話を聞いたあの日以降、彼が消えるために立ち上がることほど寂しくて悲しいことは無かった。その寂しさや悲しさは、今まで私が感じてきたそれらを軽く超えた。
そして今日の寂しさ、悲しさは、おそらくいつものそれに勝っている。
もうこれで、最後なんだ。
「じゃあ、握手をしてさよならとしようか」
やけに蝶々は明るかった。彼は私に会うのにきっと疲れていて、今日でそれが終わるのにせいせいしているんだ、と思ってしまう。
私はそれを否定したいがために、口を開く。
本心が飛び出す気がした。
「蝶々!」
私でも意外なほど大きな声だった。びっくりしたのか、彼は私を見て形のよい目を瞬かせた。
「……あの……蝶々は……」
もうこれで、存在自体が消えてなくなってしまうの? と、私は訊いてしまいそうになった。
いや、それが言いたいことの全てであるような気がした。段々、私はうつむいていく。
「……蝶々は……」
私の口は、わなわなと動くだけで次の言葉がつげられない。
沈黙が訪れた。二人にとっては慣れた沈黙が、私に重くのしかかってきた。
「羽音」
その沈黙を、蝶々が消し去る。私は一度瞬きをした。涙がぼろっと頬を伝う。大粒の涙は一瞬、宝石のように思えた。
「――僕はもう、きっと会いにこれない。なぜかわかるんだ。
どうして、僕みたいな存在が出来たのか、そして、終わりまでわかるのか全く僕にはわからない。
この世界の欠陥のようだ」
私はずっとうつむいていたから、彼の顔がどんな風だったかはわからない。
「……ちょっとの間だけだったけど、君といられてよかった」
もしその言葉が本当なら、彼の顔はきっと悲しみに、寂しさに満ちた顔になっていただろう。それでも絶対綺麗な顔なんだろう、不細工になんか見えないだろう……私はそんなことばかり思って、肝心の、自分の本心に、自分から気付かないように意地を張った。気付いたら最後、悲しみが私を乗っ取ってしまう。世界をきっと塗り替えてしまう。
水色と桃色を混ぜた、あらゆる境界が見えなくなる、薄紫の世界に。
彼が手を差し出した。これで、もう終わりだというサイン。最後の握手が私を待っていた。
私は目をこすり、涙を乱暴に拭う。そして腫れた目で蝶々を見た。彼は少し困ったような顔をして、でも、別れを悲しいものにしたくないのか、無理をしているように笑っていた。
彼の水色の髪に止まるようについている、水色の、蝶々の髪飾りが、きらりと光る。
「蝶々」
私はその髪飾りを見て、ようやく本心に……気付かないでいようとした本心を口にした。
「私は、……蝶々のことが、好き」
その言葉で彼の笑みが消えることはなかった。
「……ありがとう」
蝶々はそう言うだけで、私のことを好きだとも嫌いだとも何とも言わなかった。私は続けた。
「本気よ。この先、何があるかわかんないけど、蝶々が消えちゃっても、好きよ、本当に」
私は机の上に置いてあった、完成した自分の髪飾りを持ってきた。そして、初めて出会った時のように、彼の――蝶々の髪飾りにふれて、掴んで、奪い取った。蝶々が消えるようなことは無かった。ただいきなりの私の行動に驚いていた。
そして私は手作りの髪飾りを蝶々の水色の髪にとめた。水色の世界に、ピンクが鮮やかに輝く。蝶が止まったのではなく、そこに、花が咲いたようだった。
「何、してるんだ……?」
蝶々は私に対して目を白黒させている。私は蝶々のつけていた髪飾りを大事に手のひらで包む。
「蝶々。わがままばっかりで、ごめん。最後に一つだけ」
私は言った。顔をあげ、彼の目を見つめ、願いを込めて声を出す。
「奇跡が起きて……
いつか、いつか蝶々が人間になったら、もしなったら。
わたしのその髪飾りと蝶々のこの髪飾りを、交換して、元に戻そう。
どうしようもなくわがままだけど……」
目を閉じる。少しうつむいた。涙がまぶたを越えてきそうでうんと堪えた。
でもやはりにじみ出て、下睫毛を濡らす。私は下唇を噛んだ。
「髪飾りが無いと帰れないなんて、嘘だから」
蝶々が言った。
「どうしても、僕は消えてしまうよ」
私のことを、哀れんでいるような声だった。でも、私は肩に蝶々の手の熱を感じた。頭の上にも彼の手の熱を感じる。彼は優しく私の髪を撫でる。
再び顔を上げた。私は目を開け、涙を垂れ流す。
「それでもいい。ずっと待ってるから」
「奇跡は起こるかな」
「起こるよ。絶対起こるよ。起こらないと私、せっかくつくったのに、髪飾りが」
――本当は髪飾りなんか、もうどうでもよかった。
髪飾りの先にある、蝶々を求めていた。
合計でたった十数日間にしかならない。合計で何時間にも満たない。
私たちの重ねてきた時間も会話も、誰もが二人の関係を最初から否定してしまうくらい短いし、ほとんど無いも同然だ。
だけど好きには――好きという気持ちには、それらの否定理由は少なくとも私の場合、意味がなかった。
私は好きという――後から考えてみればあやふやで頼りない、見えない気持ちを信じた。
ただ、信じた。
蝶々は優しげに笑っていた。奇跡が起こるとも限らないのに。だけど私を抱きしめた。私が蝶々に対する気持ちに気付いた日のように。
そして私達は最後に、そっとふれあうような口づけを交わした。
私が気付いたときには教室内は真っ暗で、私独りだった。
でも、手の中には確かに、蝶々の髪飾りがあった。