短冊にはあらわせない



 最初に見た風景を思い出す。黄昏時、緩い風がカーテンをそよがせる窓際。男の子とも女の子ともつかない、それでも一応女子の制服を着ているその子が、椅子に座り片膝を抱えながら、右手で気だるげに、星座早見盤をくるくる回転させている。天空を意のままに操る神様みたい。穏やかな微笑すら浮かべていた。けれども、一つとんと揺らしたらその子は眠ってしまいそうで、その時間が終わってしまいそうで、私は多分息を詰めて見つめていたんだろう。もはや覚えていないことだから、想像の域を出ないけれど、多分そう。私はそうするし、そうなる。それは本能的とも言えることだ。
 一つの完成され切った絵を見つめて、深い感動に体の奥が震えてしまうのと同じ。私はその絵をずっとずっとその場に留めておきたかったのだろう。壮大な瀑布やそびえ立つ霊峰のような自然が今もなお存在し続けているのと同じくらい確かに。あるいは、永遠なんかよりもずっとずっと、意味のあるものとして。
 そして私も、その場にいたかったのだ。


 彼と出会ったのは私が天文部の部室を訪れた時だった。静かに輝く一枚絵も、その時に見たものだ。
 天文部に入ろうと思ったのに特別な理由はこれといってなかった。放課後、気ままな一人の時間を持つ為に何か部活に身を寄せようと思っただけ。この学校には、部活には何でもいいから最低一年、必ず一つ在籍しなくてはいけない、というやや時代錯誤も甚だしい校則があった。多分由緒正しい歴史ある進学校だからだろう。ついでに立地条件的にも隔世の感があるからかもしれない。わりと、山奥。当然、バス通学の人ばかりで、寮も無いから余計にそうなる。
 どうせ入らなくてはならないのなら自分の為に時間が使えるものにしよう。多分私のようなことを考える幽霊部員志望者は多いだろうし、そしてどんなルールにも例外があるように抜け道もあるのだろう。賑やかで真新しい新部活棟から離れた旧部活棟は、ぼろぼろの見た目からしてすこぶる無法地帯の雰囲気を醸し出していた。活動している部活もあるようだけど、ここにいる部活のどれくらいが機能しているのか誰の目にも怪しい。
 別に、ここで部活を探さなくてもよかったのかもしれない。無難なところで、新部活棟に部室を構える文芸部辺りにしておけばよかったのだ。私は主に読書の為に時間を得たかったのだから。そして登録するだけして、あとは人と交わることをせず、幽霊部員、帰宅部としてすぐ下校すればよかったのかもしれない。けど下校時のバスは混むし、図書館までは乗り換える必要もある。なら、学校の図書室でいいじゃないかと思われるだろう。でも私は自分の時間の他に、自分の身の置ける場所、自由に居られる場所を学校内に作ろうとも密かに計画していたのだ。でもありていに言ってしまえば、そんなのは言い訳でただ単に、夫婦仲の悪い家に帰りたくなかっただけなのかもしれない。どこか息苦しさを感じる部屋に引き籠ることもしたくなかったんだろう。互いに浮気していては口論に至る両親を見たくなかったのかもしれない。
 旧部活棟は、見た目に反して新入生の加入を待ちわびているようだった。入口の掲示板には色とりどり個性豊かな勧誘ポスター、チラシがひしめき合っている。そのギャップに少々ぽかんとしてしまったくらいだ。耳をすませば微かなメロディすら聞こえる。何か音楽系の部活が活動しているのだろう。私は少しだけ微笑した。
 けれども、ひとしきり部室の扉を眺めるだけで部室に入ることは無かった。活動している部はあるもののやっぱり人気が少なく、勧誘されることも無かった。何となく、我関せず我が道を行くと部活棟自体が語っているようなものだ。まあいいか、やっぱり文芸部にでも入ろう。そう思いながら来た道を引き返していた時だ。
 風に揺れる、ぼろぼろのチラシを見つけた。階段の壁に、まるでそこにある傷を隠す為だけに申し訳程度に貼られた感じのお粗末なものだ。ところどころ虫食いされている。明朝体で天文部、とあった。望遠鏡のクリップアートが片隅に描かれ、部員募集中! と小さな文字で添えてある。部室の場所も書いてある。
 カラフルでない。モノクロだ。それに色褪せていて、あげく風雨に曝された感じもよく見てとれる。ポスターとしては及第点以下の代物だろう。それでも私はそれが妙に気になって、部室を目指した。
 長屋のように他の部活と共同で使っている細長い部屋がいくつかあった。天文部は一番左端の、一番奥のスペースにあった。

 そこで私は、その絵を見たのだ。
 いや。絵ではない。その少年と出会ったのだ。

「入部希望?」
 一枚絵が、現在と交わる。当然生きている存在のその少年はじっと見つめていた私に気付き、問いかけてきた。
少年。少年だった。けれども私は、女の子だと思っていた。だって、女子の制服を着ていたのだから。だけど声は、相当に微妙な判断基準だったけれど僅かな差で男の子のものだった。面食らっていたのだろう私を見て、彼はきょとんとして一つ微笑んだ。
「男子なの」
 第一声がそれだった。ああ、と彼はまた笑う。スカートを抓んでこれね、と更に目を細める。放課後はね、と首を傾げ笑った。何が放課後はね、だ、とボケに軽く突っ込む感じで毒づいてた私もいたし、女装癖? と単純にびっくりしていた私もいた。でも嫌悪を感じた私はどこにもいなかった。いろいろ思ったのだろうけどその末に、なんか変な子、と肩を竦めていた。彼は微笑を崩さないでいた。
 他に部員もいないようだ。彼は星座盤を回すだけで特に何も、活動内容の紹介や部活の方向性などを説明する気配を見せない。何をしたらいいのか当然所在無げな私は彼をただ観察するように見つめることしか出来ない。それを察したのか、座って本でも読んでていいよと彼は笑った。まるで私の部活探しの魂胆を見抜かれているかのようだった。何となく恥ずかしくなったけれど、その場は素直に頷いて近くの椅子に腰掛けた。不思議と引き返す気もなかった。きっと美しい光景を目にしたからだろう。
 彼は男の子だと言うのに(その前提も偏見だろうけど)とても綺麗な顔立ちをしていた。少なくとも女子か男子かはっきりしない程度には美しく、彼が星座盤をいじっていることもあるけれど、どことなく星の神話を思わせた。古代ギリシアの香りを身に纏っていたと言われても不思議ではない。
 そんなことを思いながらじっと見つめていた所為だろう。
「読書、進まない?」
「え?」
「ずっとこっち見てるから」
 とん、と星座盤を立てて鳴らす。
「僕、邪魔なのかなって」
 きっと彼の自然が、そうさせるんだろう。困ったような微笑。それもまたどこか愛おしく、懐かしささえ呼び起こす。邪魔だなんてそんな、全然そんなことは無いのに。もどかしさに違うわと首を振る。
「むしろ、私の方が邪魔じゃない? 突然入りこんできたのはこっちだし」
「そんなことはないよ」
 だって、僕も何もしていなかったし。言いながらまた星座盤を机に寝かせた。
「君は、入部希望者だから」
 そしてそっと星座を撫でる。手元がよく見えなかったから何と言う星座かはわからなかった。けれどもその星座は、光って見えたような気がした。

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