学生達は皆悲しんだ。悲報は一気に広まり、玉水の為の葬式がにわかに始まったようだった。穴を掘ってもいい場所に体躯の良い日に焼けた、およそ人文系から程遠いような体育会系の学生が穴を掘り、玉水は埋められた。
 あっという間だった。男から玉水を暴力的に奪っていくように、埋葬という厳かな時間はあまりに速く流れてしまった。男はそれに呆然としていた。その呆然が収まると、次にようやく、玉水はもういないのだという厳然なる事実に体と魂が分離されるかという程の悲しみと絶望が彼を襲った。








 学生達は皆悲しんでいた。確かに悲しんでいた。しかし季節はもう夏で、夏休みも玉水の死から間もなく始まった。生き物の生を寿ぐような強い日差しと、瑞々しい木々の緑と道に落ちる木漏れ日とむせ返る陽気と楽しさに、皆悲しさという重たい毛皮を放り投げ、過酷だが美しく躍動感に満ちた現実に還っていった。





 ただ一人、男だけがその毛皮を被って部屋や研究室に閉じこもっていた。
 彼は独りだった。玉水がいなくなって、独りの時間に本当に独りになってしまった。見るもの聞くものすべてに意味がなく、日が昇ればひょっこり玉水が帰ってくると半ば信じていた。そんな、物語によく描かれるような、ありふれた奇跡を信じていた。
 彼の日常から玉水がいなくなることはあまりにも異常である種滑稽だった。男は衰弱していた玉水に対しあまりに何も出来なかった。


 何も出来ない人間から何かを無惨に取り上げることは、運命や宿命やとにかくそういった人間や世界を超越した何かに与えられた能力の中で一番似つかわしい。


 悲しみに体中が停止している一方で、冷静にこの状況を俯瞰してそう思ってもいた。







 それではいけないと思う程度に何とか復活を遂げた男は、玉水の死の静かなる慟哭から逃れる為に研究に身を入れようと思い立った。
 前出の通り男の専門は日本中世文学で、その中には能楽――謡曲もあった。この夏、山の麓のある大きな神社で薪能が行われるのだ。それでも見に行こう、気を紛らわそう、そう思い謡曲集を開き、研究書にペンを走らせた。
 男は久々のやる気が体中に漲るのを感じて、他の学生と同じく自分も何とか悲しみから立ち直れそうだ、死から立ち直ること、そんなことは何でもないことなんだ、と嬉しく思いすらした。



 最初は順調だった。しかし、どうしたことかページを捲る速度がどんどん落ちていき、終いには書物を閉じて机に突っ伏した。疲れたのでも、眠いのでもなかった。
 やがて誰もいない研究室で、男のか細いが確かな泣き声が低く流れてきた。


 研究にがんと打ち込める程、彼はまだ玉水の死から立ち直れてはいなかった。
 どうしてもあの鳴き声と衰弱した様子と元気だった時の様子が入れ替わり立ち替わりシャボン玉が浮かんでは消えるように男の思考の片隅にちらついて、とても詞章を、幽玄が織りなす奇跡を追うことなど出来はしなかった。いや、出来てはいたが研究のメスが入らなかった。
 それは深い悲しみでと言うよりも――尋常ならざる怒りで動きが止められたと言った方がいいだろう。


 詞章や文章に表される現象の多くは奇跡だった。母親が生き別れた子供と再会する、幽霊が出てくる、あるいは神や精霊が現れる。どれもこれも、現実では起こりえないものだった。しかしおそらくは、この文章を読み、舞台を見た読者と観客は、奇跡を信じたのだ。当時の宗教の信仰の厚さを考えてみれば、奇跡を信じることなど容易いだろう。
 だが、男が生きてこの文章を読んでいる今は科学が全てを征服せんとする現代であった。
 そんな奇跡がありもしないこと、まやかしだということは誰に言われなくともわかっている。それが中世では、もっともっと昔には、物語に描かれる程度には確実に信じられていた。信じるだけで救われていたのだ。


 男には、それが腹立たしかった。


 どんなに奇跡を望んでも、この現代ではもう起こるに足る余地が残されていないのだ。そしてそれと同じ熱量で昔を羨んだ。そして、玉水が死ぬ前の自分にも同じように腹立たしさと羨ましさを感じていた。
 何も出来なかったこと、助けてやることが出来なかったこと、何かが――それこそ奇跡が――起こることをどこかで信じていたこと、そして玉水が生きて彼の傍にいたこと、それらが彼の涙をただ痛く、ただ無情に流させていた。


 奇跡など起きない。
 もう奇跡など望んではいけない。
 もう夢を見てはいけない。


 どんなに望んだところで玉水は帰ってこない。もういないのだ。
 奇跡は、こんな世界で、意味を失った世界で、奇跡は起こるはずがないのだ。







 2  
novel top

inserted by FC2 system