「柳沢さんは柳沢さんなんです。ひとりの人間なんです。感情も、柳沢さんだけの大切なものなんです。――もしそれを壊しているようだったなら、悲しいと、私は思います」
「だって、関係が崩れるのは嫌じゃないか」
 俺は思わず声に出していた。そう、間も置かず、条件反射のように、自問自答していたように。
「……逃げてるだけかな、俺は」
 驚かせてしまったかもしれない。うつむいて、弁護するようにそう言った。
「あの……すみません、そんな、重大なことじゃないと思って――ごめんなさい」
 いいんだ。俺は手を振った。何でもないことだから、大丈夫だからと彼女に伝える。俺もパスタをフォークに絡めた。こみ上げてくる想いがあったら、それを何とか体の内に押し込めようと食事を進めていく。
「ほんとに――変なこと言っちゃって――」
「いいんだって。……むしろ、ありがとう」
 確かにそう感じた。
 都築さんは俺のことを一人の人間として見ている。何をそんな当たり前のことをと笑うかもしれない。いや、当たり前じゃないのかもしれないな、不特定多数と括られる今の世の中では。その上、俺はいつでも暮葉の隣にいたから、暮葉の存在が俺の存在を……こう言っては悪いが、蝕んでいたのだ。その関係に甘んじていはいたけれど――都築さんのようにはっきり、俺を認めてくれた人が今までどれくらいいただろう。
 パスタを食べながらそう思っていると、急に胸が熱くなってきた。
 俺は――俺という人間なんだ。
 暮葉との関係とか、家とか、身分とか、そういうもの以前に。
 確かに暮葉との関係は居心地がいいだろう。でもそこに確かな俺はいただろうか。俺の今までの想いや言葉は、どこへ捨てられていったのだろう。
 香織さんへの想い。
 今なら掴めた。さっき、甦らせたばかりだから。
 掴んで、彼女に晒すなら今がチャンスだ。暮葉からの連絡は何もないし、関係はあってもなくても同じくらい、未だかつてないくらいに薄まっている。
 もう、壊れてるんだ。もう、何もないんだ。まやかしだった。香織さんへの感情に気付いた時から、もうあってもなくても同じもの。
 俺達はもう腐れ縁という言葉にしがみ付くほど子供じゃない。
 暮葉のものには手を出さない。そのルールを捨てたわけじゃない。ただ、俺は俺の想いを――捨てるんじゃなくて、伝えたい。俺のものにするなんておこがましい。ただ想いを、彼女に受け取ってほしい。
 それが更なる破滅への第一歩だとしたって、もう動き出している。
「ありがとう」
 もう一度、都築さんに言う。都築さんはどこか、困った表情をしながら、食事を再開した。

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