「誰とも関わりを持たずに過ごすには、独りになるしかありません。お昼休み、私は屋上で昼食を取っていました。生徒に開放され、整っているわりには不思議と人気のない屋上です。誰が世話をしているかはわかりませんが、片隅には庭園がありました。
 私は私自身の力を否定しながらも、現実にあるのだから認めざるを得ず、結果自己矛盾を抱え苦しんだことはお話した通りです。否定したいのなら、認めたくない――見たくないのなら力を使わなければいい、力なんか見なければいいのに、私はその庭園でほんのささやかですが力をこっそり行使していました」
 また彼女は指先を見る。私は想像する。触れられた植物がゆっくりと茎を伸ばし、葉を広げ、蕾を膨らまし、花をほころばせる様子を。
「私は、この力を誰かに見てもらいたかったのかも知れません」
 だからわざと、人目につくかもしれないところで力を使っていたのだろうか。
「誰かに暴いて欲しかった、私の力を。私ではなく、家族でもない、何も知らない他者に否定して欲しかった。私自身は否定し続けることに疲れたし、その否定は、現実の前では何の力もない。むしろ、厳然で冷酷な現実の前で、かえって否定される方になります」
 そう、と彼女は一つ頷いた。
「否定ではなく、認めて欲しかったのです。ありのままを肯定して欲しかった」
 でも、とその頷きを打ち消すように頭を振る。
「この力を肯定的に捉えてくれる人は、きっと希少です。人と言うのは、自分達とは違うモノを、理屈ではなくどうしても排除する傾向があるようですから」
 自分にも当てはまるところがあると、私は頷いた。
「ですからSと出逢った時、Sが笑って、純粋に喜んで、私の力をありのままに認めてくれた時、こんな幸せはないと思いました。それが初恋だから余計に」
 浮かべた微笑は、けれども苦笑の趣が見えていた。
「どのようなものであろうとも、おおむね初恋とはあらゆるものを狂わせる破壊力のあるものですから。初恋に限らず、誰だって恋をすれば、自分はこの人と出逢う為に生まれてきたのだと興奮する瞬間が少なからずあるはずです。異能を持ち、心を閉ざし孤独を強いられ続けてきた私の場合は、それこそ常人と程度があまりにも異なるときめきを彼に感じたのです」
 その出逢いが。そう一度言葉を切った彼女の顔に再び浮かぶものは、微かな嘲笑だった。
「不幸でしかないものとも、知らずに」
 しばらく、沈黙がお互いの間にそっと降りてくる。先を促すことはしなかった。ややあって彼女は、いえ、と息をつくように言う。
「結果だけ見るなら、さして不幸ではなかったかもしれません」
 掌を見て、しばらくの後に私を見た。
「お気付きかも知れませんが、結論から言うと私の力はもう失われて久しいです。十年くらいになります」
「それは、そのSとの出逢いによって?」
「そうです」
 柔らかい空気を包むように、彼女はその右手を握る。
「力を喜んでくれる人なんていなかった。過去にも未来にも現れることはないと思っていた。夢にも見ませんでした。万が一も考えませんでした。全生涯を孤独に塗り潰し、孤独に死んでいくこと。それが力と言う原罪を背負った私の贖罪だと思っていましたし、そう考える方が楽でした。最初から絶望していれば、希望に裏切られることもないですから」
 けれども、彼女のその予定は狂ったのだ。
「ですが、Sと出逢いました。夢にも見なかった第三者。求めていなかったはずで、でも――実際は希求し続けていた存在。まるでパンドラの箱に残っている希望のように。きっと生涯で、ただ一人の運命の人。
 そんな唯一の人が学年一の秀才で、ハンサムで皆から慕われる人だった。厄介なもの一つ持っていて他は何も持っていない私とは正反対の人。本来ならその性質の違いに忌避すべき人なのかもしれませんが、十代の孤独な少女がころっと心を奪われてしまうのに、あまりに好条件過ぎました。人を傷つけまいと大切に持っていたはすの警戒心さえ、私はぽいと捨ててしまったのです。
 ですが、彼は恐ろしい魔物でした」
 魔物。私は小さく呟いた。彼女は頷く。
「私は、それを見抜けませんでした。私の「力」自身でさえも、油断していました」
 掌を開けば、そこには何もない。
「Sは、私の「支配」を求めていました」
 支配。また反復するように呟く。彼女は頷こうとして、しかしいえ、と首を振った。
「私ではありません。私は、所詮「入れ物」に過ぎない」
 Sは、と彼女は右手を胸に当てた。
「私の能力の支配を求めていたのです」
 再び沈黙が下りる。店主が流し始めたジャズ音楽が小さく聴こえてきた。支配? 先刻とは違い疑問を込めて呟く。彼女は頷き、再び語り始めた。
「勉強を教わる為、数回彼の自室を訪れたことがあります。彼は理科の先生を目指していると言うこともあり、本棚には専門書や難しそうな理系の参考書がいくつも並んでいました。ですが本棚の別の一角には、そんな彼のイメージとはそぐわないものも並んでいたのです。一般に、オカルトと呼ばれる分野の書物でした」
 オカルト。最初に訊いたような超能力や魔法のようなもの全般を指していると捉えてよいだろう。ふむ、と私は一つ頷く。
「超能力、霊能力、霊界、呪術……そう言ったいかにも怪しげなものです。Sが信仰しているものは科学であるはずなのに、超自然のそれらは科学と昔から対立する、相容れないものなのに、何故か平然と本棚に納まっていたのです。まるで敵と味方が同じ舟に乗り合わせるように。
 そのことについて触れることもなければ、深入りもしませんでした。それこそ私の力がそうであったように、オカルトに興味があると言うこと自体、彼の秘密なのかもしれません。私とは違って暴かれたくない、認められたくないような、そんな秘密」
 そこで一度口を閉じた。やや下を向き、何か考える間を置いた。
「これは私の推測です。彼に何もかも訊く前に関係が終わってしまったので、全く的外れの可能性もあります。でもきっと限りなく真実に近いことだと思います」
 一つ、瞬きをして。
「彼の目的は、神秘の支配でした」
 両手の指先をそっと折りたたみ、彼女は続けた。
「あらゆる超常や神秘、一般に「ふしぎなもの」と呼ばれるもの全てを、彼は支配したかったのではないか、と。さながら近代科学によって、魔法や神秘、奇跡と近代以前に謳われたものが、どこか闇の世界へ葬られたように。近代科学が、世界を遍く照らし出したように。不思議と呼ばれるものに隠されている、あらゆる仕掛けを暴いたように」
 その構図は、彼女の力がSに見つかったことと似ていた。
「科学では説明のつかないことに無理矢理説明をつけるのではなく、かといって科学が超自然に負けを認めるのではなく、ただ純粋に征服するのです。さながら戦争で領地を奪い合うように。
 それは、不思議の強奪。神秘への、侵略です」
 一つ息をつく彼女。柔く下唇を噛んだようだ。
「それを、彼個人も成し遂げたかったのではないかと思います。あくまで一人の人間が出来るレベルで、最大限に」
「それが、あなたにしたことでしょうか?」
 ええ、と頷いた。
「言ってみれば、異能を持つ者を標本にするのです。蒐集と言うよりは、標本」
 標本。少年の頃に見た蝶のそれが頭に浮かぶ。私が頷く前に何かを考えていたようで、彼女はいいえ、と否定した。
「標本の蝶や昆虫の方が、まだましかもしれません。少なくとも、そこには対象への愛やそれに根差す探究心が、いくらかは存在しているはずです」
 ですが彼は違います、とまた頭を振った。
「愛や敬意や慈しみ。彼には、そうした人間への尊厳と言うものがないのです。彼にとって私のような対象は一概に利用されるべきもので、それ以上でも以下でもないのです。
 つまり、彼は私を愛してはいませんでした。恋と言う特別な気持ちを抱いているのは私だけで、彼にあるのは、意味が全く異なっている「特別」だったのです」
 少し彼女は目を伏せた。思い返しているであろう少女の頃の自分に、嘲笑を浮かべることはなかった。
「恋する少女だった私の瞳に宿っていた光。それが彼の目には、全く宿っていませんでした。あの時は私の方が夢中だったから光っているように見えましたが、それは錯覚で幻想でした。あれは私の目がSの方に映っていただけだったのだと後で気付くのです。気付いた時にはもう何もかも終わってしまっていましたが」
 ひょっとすると全ての恋がそうなのかもしれませんが、と挟んだ。ややあって、ところで、と再び話し始める。

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