力の遺言



 伯楽という言葉がある。古代中国の名馬を見分ける名人のことを指すが、転じて人物を見抜き、その能力を引き出し育てる名人のことも指す。能力を引き出し育てることはないが、私はちょうどその伯楽のようなものではないかと思う。
 人とは異なる力を持つ人を見たり、その気配を察したりすることが、私は常人より多かった。言うなれば、本や空想の中でしか描かれない非日常に、私は常に隣接していたのだろう。しかしながら私はそちら側に行くことはなかった。少なくとも、物語が編み出せないくらいには至極つまらない平々凡々な人生を送ってきたし、これからもそうするつもりだった。否、そうするつもりである。私は「力」を持つ人を多く見てしまうだけであって、それ以外はあくまで一般人なのだから。あくまで、私は私としてそれらに関わりなく生きていく。
 それでも、彼女が手掛けたフラワーアレンジメントの作品を見て、彼女と連絡を取りたいと友人に持ちかけたのは私の方だった。それは彼女の作品のどこかに微かに存在した、今でも残る特殊な力の気配と言うものに、つい動かされてしまったのだろう。あるいは力の方はずっと私のような人物を探し求めていたのかもしれない。誰かに彼女のことを伝えたいと思ったのかもしれない。彼女の抱える秘密を。彼女と言う存在を。たとえその力が現在では消えていたとしても、息絶えていたとしても。それは言うなれば、力の遺言のようなものだった。


 彼女と話をつけてくれた友人(女性である)はカップル成立かとにやにやしていたが、彼女の方は(おそらくは本能的に)私がどんな人間――異能を認識できる種類の人間――であるかを理解しているようだった。そういう、当人同士でしかわからない響き合いと言うものがどんなものにもある。幾分彼女は怯えているようだったが、下唇を柔く噛みながら私の目をじっと見た。それから二言三言話をして、誤解から来る怯えだと理解し、気持ちを落ち着かせたようである。けれども最初から最後まで彼女は一定のラインを常に引いていた。電車が常に白線を伴っているように。
 何度か会い、軽いデートのようなものを重ねることで彼女は心の準備を整えたようだった。それまではこじんまりとして落ち着いている喫茶店での会話だったが、その話をする時は路地裏にある、より一層落ち着いたバーに私を導いた。寡黙そうな店主と会釈していたのを見ると常連のようだったし、勝手知ったるスマートな足取りで店の奥の席へと向かっていた。そのバー自体も彼女が向かった奥まった場所も秘密の話をするのに似つかわしいところだったし、いくらか酒の力も彼女には必要だったのだろう。しかし彼女が注文したのは品のいい柔らかな色の、それほど強くはなさそうなカクテルが一杯だけだった。そしてそれには二、三回しか口をつけなかった。
「大した話ではないんです」
 ここまで勿体ぶってすまないと言う意味が込められていたように感じられた。
「今更敢えて言うのもおかしいですが」
 そう。今まで私達はあえて彼女の持つ異能を話題に上げることはなかった。避けて通ることにより空洞が出来、不在を否応にも意識することになるが、私達の今まではその空洞づくりのようなものだった。その奥底にあるものについて、今ようやく明かされる。
「私は、人とは違う特殊な力を持っていました」
 幾分目を伏せて、彼女は空洞からそれを掬い上げていく。一つ一つ。彼女がおそらくは、誰にも話さないでいたことを。特殊な力。超能力や魔法のようなものか。それとなく訊くとそれでいいのではないでしょうかと頷いた。
「私の家系では、古くから私のような者が数十年に一人の確率で生まれるそうなのです。これが昔のことならどこか遠い地へ引き離すことも、場合によっては人知れず間引くことも出来ますが、現代ではそう簡単にはいきません」
 彼女はある裕福な家庭の末の娘として生まれた。兄が一人、姉が二人、そして彼女。世の中の末子というと、甘やかされ、皆に愛される子とそうでない子のどちらかだが、彼女は後者だった。その上、迫害されるに足る力を有しているのだから、多くの人が平気で持つ親族からの愛や情が、彼女にはあらかじめ不足していたと言える。しかし彼女が私に語りたいことは、肉親からの愛に飢えた可哀想な子供としての自分についてではなかった。
「小さな頃は制御が出来ず、毎日周りをぼろぼろにしていました。子供のいたずらの延長と言う言い訳なんてほとんど通用しませんから、私は誰も何も傷つけないよう、引きこもらざるを得ませんでした」
 友達なんて勿論一人もいませんでした。そう言う彼女の瞳にはいくらかの哀しみがあったが、もはや遠く過ぎ去ったものでもあるようだった。
「私の持つ力の中で一番穏やかなものが、植物を成長させることでした。正直、他の攻撃的な力など、ほとんどおまけにしか過ぎません。おまけと言うのも語弊があります。それらは例えるなら、ちょうどラジオのチューニングを合わせる時にどうしても入ってしまう雑多なノイズや邪魔な電波に近いでしょう」
 みどりのゆびと言うのでしょうか、と彼女は自分の親指を見た。爪は別にマニキュアを塗っているわけでもなかったが、清潔感のある艶やかさに満ちていた。
「異能を持つとは言え、私が他人とテレパシーなど出来ないように、植物の考えていることもわかりません。そのような器官が植物にあるにしろないにしろ。ですが言葉に出来ない想いのようなものを感じることは、かなり朧気でしたが出来ました。それが今でも出来ているとは言えませんが、今の自分の作品づくりに少なからず役立っていると言えるかもしれません。それに、花自体は好きなものです。花に罪はありません。私の力が、たとえ原罪であっても」
 掌を見つめて彼女は目を伏せた。
「一人きりの部屋で、人気のない河川敷で、いくつもの植木鉢に花を咲かせてきました。種を芽吹かせ、蕾を開かせました。勿論、どんな美しい花を咲かせたところで、それが奇妙な力であるのには変わりません。むしろ私は何も知らずに楽しげに開く花を見る度に苛立ちが募りました。どうして余計な力まで付随してしまったのだろうと。どうして花はこんなに美しく咲くのに、私は醜い力を持ってしまったのだろう。花はこんなに楽しそうなのに、どうして私は微笑み一つ、浮かべられないのだろう」
 そう言う彼女は、遠い昔から既に憎み疲れた眼差しを浮かべていた。
「思春期を迎えてもなお、力は不安定でした」
 少女の頃から、そんな枯れた瞳でいたのだろう。
「私は自分を憎みました。そして否定し続けました。家族もそうでした。父は厳格で奇妙なものを徹底して認めず、母は世間体を気にする心配性な人で、兄も姉も腫れ物に触れるように扱います。そうですよね。いつどこで周りのものを破壊するかもわからないし、血が流れることもあるかもしれない。皆、その力を否定しました。あえて存在を認め続けませんでした。だからこそ私も否定せざるを得ませんでした。
 でも、そんな物騒な力を持っている以外は、私は普通の中学生、高校生です。まだまだ親に依存しないと生きていけません。尤も、子供が一人暮らし出来る程度には我が家は裕福でしたし、私もそうした方がいいのではと思っていましたが、それを決断する程の度胸は、私にはありませんでした。その時も孤独でしたが、それ以上孤独になりたくなかったのかも知れません。その孤独が更なる破壊を招くかもしれませんし、世間体を気にする一家だから、何かやらかしてしまう前に、目の届く場所に私を閉じこめておく、その方がずっといい」
 それは檻とどう違うのか。言葉にしなかった私の想いを読んだように、彼女は一つだけ頷く。けれどそれだけだった。
「私の力だけでなく、世界に眠るあらゆる不思議を存在しないと否定し続けても、私には無力が募り、ますます追いつめられていきました。
 自分は現実主義者のつもりでした。ですが現実主義者ならば、どのような現実であっても現実を認めるのが是となるはず。それなら、どんな不可思議なことがあってもそれが現実である以上認めなければなりません。だから私は、自分の忌まわしい力を否定しながらも、見ない振りをしながらも、結局は認めなくてはいけなかったのです。
 私の思春期の日々は、同世代の子のそれとは程度があまりにも違う、激しい自己矛盾の日々でしかありませんでした。Sと出会うまでは」
「Sとは」
 私の、とすぐ彼女は言葉を継いだが、その先を続けるのを少し躊躇っていた。三秒程の間を置く。出た言葉は、やや意を決したように聞こえた。
「初恋の人です」
 そこで言葉を一度切り、軽く息をついた。私の方は急かすつもりはなく、ウィスキーのロックを一口飲む。少しだけアルコールの香りが立った時に再び話が始まった。

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