ペンと未来




 いつものように仕事を終えファミレスに行くと、詩穂は死体を分解していた。
「死体とは人聞きの悪い」
 訂正しよう。シャープペンシルを分解していた。ちょっと聞いてよかんちゃんと詩穂は泣き笑いのような表情を浮かべた。向かい側に座る僕に両腕を伸ばし、そのままテーブルに突っ伏した。ネームを書き散らしているノートがまるで波に流されたように窓際に寄っていく。
「これね、ずっと使ってたシャーペンなの」
「知ってる」
 ウェイトレスにドリンクバーをさらりと注文し、同じ具合に詩穂の言葉もかわす。
「ずっとずっと……新人賞取った時も使ってたシャーペンなの」
「知ってる」
 立ち上がり、コーラをなみなみと注いで戻ってきたら、さすがに僕の態度に不満を覚えたのか、感情の感じられない目――であるにも関わらず憎悪のオーラを後ろに背負いながら僕をじっと見つめてきた。はいはい、と僕は肩をこれ見よがしに竦めた。
「もう! 確かに、かんちゃんには関係ないことかもしれないけどさ」
「大切にしていたシャーペンが壊れてしまって、ショック状態。ネタが出ない。ネームが続かない。つまり原稿がいつまで立っても出来上がらない」
 コーラの味は、まるで時間の立ち過ぎたコーヒーのように苦く感じられる。
「もう常連客だけどここにあまり長居すると客からも従業員からも白けた目を向けられる。ネタ切れだと思われる。力のない漫画家だと思われてしまう」
「目を背けている現実を改めて言葉に出されるととてもしんどい。私をいじめにきたのね」
 かんちゃんはとっても意地悪だ、と詩穂は顎をテーブルに載せ、上目遣いで睨んでくる。
「とんでもない。僕は君の心情を理解しようと努力して現在の状況を把握していただけだ」
 口では何とでも言えるわ、と詩穂は分解したシャープペンシルの部品を愛おしそうに眺め、口では言えない想いを眼差しに込めていく。そして最後には全部を恭しくペーパータオルの上に置いていった。
 もうノックしても芯が出ない。芯を押し出すところが何か詰まっているのだろう。直したり、掃除したりしようとと思えば出来なくもないだろうが、中途半端に短く芯が出てしまっている状態で押し戻すのは非常に難儀に思えた。それから、大切に使っていただけ年季が入っている。ありていに言ってしまえばやたら汚い。
 漫画を描く彼女が使うにしては、絵も柄も何も入っていないシンプルすぎるそのペンは天寿を全うしたのであろう。
「そこで新しいペンを買いに行きたいのです!」
 どん、とまるで議決を取る議長のようにテーブルを鳴らした。具体的な店名を挙げる彼女は嬉しそうだ。夕方の今からでも十分間に合うだろう。となると僕の注文したドリンクバーはこのコーラ一杯で終わりらしい。別にいいのだけど。
「どうせなら高いペンを買おう。創作意欲が高まりそうな気がするんだよね」
「その方が大切に使うしね」
「まるで私が大切に使ってこなかったかのような言い回しだ!」
 ひどいひどい、そう言い詩穂はぽかすか僕の肩を叩くのだが、それは何かに縋る少女のようでもあった。しかし少女は堂々と、自分がいた何時間分のメニューと、僕がいた数分間分のドリンク、つまりコーラー一杯の料金を支払うのである。レジにいた若いウェイトレスと楽しげに談笑までしていたりする。このファミレスはすっかり彼女の籠城となっているようだ。彼女が楽しそうな分だけ、仕事が進んでいないことにもなる気がしたが。――何せネーム以外、原稿を描く作業は家でしか出来ないのだ。
 それでも何だか、十分僕よりも遠い世界にいるように思えた。これが疎外感と言うものか。どこか他人事のように思って、肩を竦めるかわりに小さく鼻息を漏らした。


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