さっそく私は、お気に入りの男の子を探し始めた。初日と同じように、授業中でも、休み時間でも、お昼ご飯を食べる時でも、移動教室へ行く時でも、目は男の子の方に行っていた。時には先生にも目が行ってしまう。
 ……恋をしようと決めたのは私で、生き返る条件でもあるけれど、まるで誰でもいいみたい。男に飢えていると言われても不思議じゃないだろう。
 またまた今更だけど、みっともない。でも、仕方がない。こうするしかないんだから。
 私の夢と目的は、恋をすること――そしてそのことを、誰にかはわからないけれど、「教える」ことなんだから。
 その人が誰なのかは、一向に浮かんでこないのが問題だけれど。とにかく、好きと思える要素をたくさん見つけることから始めよう。
 あの今井君はみんなと同じ制服を着ているのに何故か輝いて見える、言わば美男子だ。窓際の席に座る吉田君は指先がごつごつしていなくて、まるで女の人のように綺麗。
 佐伯君は英語の発音が流暢で、その後ろの席の尾崎君は朗読が上手い。だから国語の先生も朗読を彼に頼んでいた。その国語の中島先生も授業がすごく楽しい。たった一週間しかここにいられないのが寂しいと思うくらい。
 いろんな男の子の好きな要素、人とは違う良いところを見つけていったが、時間はとうに折り返し地点を過ぎていた。
 まだ私は、「本気の恋」をしていないことになる。
 気持ちばかりが焦る。
 それもそのはずだと思う。私がいいなと思った子を追いかけても、隣のクラスの女子と帰ったり、別の学校の女子と待ち合わせていたり、好きな子がいるような素振りを他の友達にしていたりしている。その好きな子が自分じゃないかと思える程、私は厚かましくないつもりだった。そもそも恋なんて興味無いよという振る舞いを見せる子もいた。
 極めつけは、告白の場面に出くわしてしまったこと。すぐ雰囲気を読んでその場から立ち去ったけど、人の想いが今まさに心から飛び出さんとする場所にかかる圧力は、私が想像していたもの以上だった。高尚だった。
 何が待っているか考えず男の子を追いかけた私の暢気さや馬鹿らしさが、とてつもなく下世話なものに見えてくる。あてどもなく、早歩きで私は逃げていく。
 何事も起こらないまま、一日が終わっていった。


 ある日の昼休み、私は真由美ちゃん達から離れて、屋上でお昼ご飯を食べることにした。すると意外なことに、そこにいたのは生徒でも先生でもなく、アサイくんだった。
 現実の風景から不自然に浮き彫りになって見える彼に思わずひっと声を上げたけど、別に傷ついた様子もない感じだった。風にでも当たっているのか、何を見ているわけでもなくただ彼はぼうっとしていた。
 せっかくなので私はアサイくんと並んで座る。私だけが購買のパンを食べる。
「お腹減らないの?」
「幽霊だからね」
「じゃあなんで私はお腹すくのかな」
「一時的に人間に戻ってるからじゃないかな」
 それ以降、アサイくんは何も喋らない。
 アサイくんは年いくつ? どうしてこんなことをしているの? 白っぽく見えるのは何で? いろいろとくだらない質問が頭に浮かんだ。けれど、彼の持つ独特の雰囲気の所為か、問いかけにくい。だけどとにかく、何も喋らないのは気まずかった。
「あのさあ、アサイくん」
 それならいっそ、疑問に思ったことを解決してもらおう。すぐに会話が終わってしまいそうだけど、何も喋らないよりはいい。
「何だい?」
「あの、すごーく浅ましいというか、恥ずかしい、ていうか今更? なことを訊くんだけど」
 アサイくんの前ではわめいたり落ち込んだり元気になったりいろいろしてきたから、そんな前提を置いたってこれもやっぱり今更かなあ、とも思う。私はパンを飲みこみ、リンゴジュースを飲んだ。
「どうして私……こんなに恋とか、恋愛とか、そういうのに執着してるのかな」
 アサイくんはもう少し私の言葉を待った。風の音すらもない。
「なんか、ただ恋とかそういうのに、ひたすらに憧れてただけなのかなあ、と思って」
 この間浮かんだ、「誰かに教えなくては」という考えは伝えないでおく。でも――その教える相手の為に私は恋をしなくてはいけないらしい、ということは、もう既に何となくわかっていた。
「……そうだね。少しくらい君の過去を話さなくちゃいけないね」
 アサイくんの答えは、それを裏付けるものになった。
「君は、春のある日、とある事故で即死してしまったんだよ。高校も入学したばかりで、可哀想なことだった。
 でもその事故の前日に……君はある男子生徒に一目惚れをしてしまった。君ならありそうなことだね。
 そして更にありそうなことに、君はその日の放課後、早速告白しに行ったんだよ。君って、生前からものすごく実行力があったんだよ」
「へ、へえ……」
 だけど、今の私の状況からは、ちょっと考えられない。その一目惚れの力は見習いたいものだ。自分のことだけど。そして出来れば告白する勇気も分けて欲しい。これもまた、自分のことだけど。
 アサイくんもそれをわかっているようで、皮肉な目をこちらに向けていた。気付かない振りをしてジュースを飲む。
「でも、彼は告白を拒否した」
 その事実に、私の心のどこかがぐにゃりと爛れた。
「誰か、ほかに好きな人がいたの……?」
「そうじゃない。彼はそもそも恋愛一般が信じられなかったんだよ」
 アサイくんは膝に顔を載せ、ふうと息をつく。
「両親が不仲でね……若干人間不信なところもあった。夢とかも描けない子だった。ありていに言ってしまえば君とは正反対の子だったんだ。
 面白いこともあるもんだね、そういう人に一目惚れしちゃうんだから、運命というのは大方おかしく出来てる」
 何だか、まるで自分のことのように言うなあ。――その時の私は、そう思うだけだった。
「ただ君の追及があまりに鬱陶しかったものだから、自分に恋をするとはどういうことか、恋愛の意味を教えてくれて、そしてそれを聞いて納得したら付き合ってあげてもいい、と返事したんだ。彼は理屈で考えるのが好きだったからね。
 君は悩んだんだと思う。確かに、恋なんて正解があるものじゃないしね。で、君は何を思ったか――誰かに恋をしてみよう、と考えた。その上で正解を導きだそう、と思ったわけだ。君はね、とにかく実践派過ぎて型破りな考え方をする子だったんだよ。
 だから君は、「恋をすること」ないしは、「恋を知ること」に執着してしまったんじゃないかな。長い年月が経ってしまったから、彼の名前も、自分のこともわからなくなったけど、――それでも、彼を想う故に、恋をすること、その目的だけが残ってしまった、というわけだね」
 それを聞いて私は、途端に変な気分になった。
 その彼に恋しているのに、別の人に恋をしようとしているなんて、とんちんかんな話だ。
「……自分のことなんだけど、その……誰かに恋しようっていうのが」
「いやまったく、馬鹿だね。どうしてそう考えたか」
「うう……言い返せない」
 私は項垂れた。それだけ、子供だったというわけだ。
 でも、いくら本や漫画で読んでも、一度の経験には敵わないということは、ままあるものだと思う。ただ私の場合は本末転倒過ぎただけ。と、自分で自分を擁護してみたところで何になるだろう。
「彼自身だって、告白を回避する為だけじゃなく、実際のところ、恋愛ってのはどういうものか知りたがってた。一応、思春期の男の子だからね。両親が不仲でも、心のどこかで恋をする男女というのにちょっとは憧れていたんだよ。
 けど――一番知りたがっていたのは、実は君だったんじゃないかなと思うよ。説明できなかったし、それに君だって興味があったと思うから。
 そして……いかに無茶苦茶でも、それを知ることが、大好きな人に近付くたった一つの手段だったんだから」
 そういう破天荒さは持っていても損じゃないよ、とアサイくんは微笑んだ。
「まあ……その手段、ということを別にしても、それでも、今でも君が一番欲しているんじゃないかなあ。恋愛をするということがどういう意味か、どういうものか、って言ういろいろなことをさ。
 ――君、まだ本気の恋が出来ていないんだろ」
 そういうのを少しでも知っていれば、確かに道は開けるのかもしれない。この数日間で、少しずつ分かってきた気がするけれど、まだ本気で辿りつけてはいない。
「アサイくんから、恋について教えてくれないの」
 無理だよ、と指でバツを作った。
「……あ、そうだ。なら私、その彼のことが気になる」
 そう。うっかり聞き流していたけれど、彼の話によれば、私にはかつて一目惚れをして、そして即日告白までしてしまった人がいるのだ。しかしアサイくんは力無く手を振った。
「だめだめ。最初に言ったでしょ。君が死んで三十年は経ってる。その人だって、いい家庭のお父さんをしている年頃だよ」
「あ……」
 そっか、と私は身を縮めた。
 もうパンは食べ終えてしまったし、ジュースも少ない。教室に帰ってもいい気がしたけれど、まだアサイくんといたかった。何故かは知らないけれど、そういう気分ならば、もっと話をするべきなのかも知れない。
「でも、そんな恋愛を信じられない人が、結婚なんかするのかな」
「結婚なんて形式的なものだからね。その彼の両親が不仲だったこともあるけど、別に情愛がなくたって男女が二人いて利害関係が一致すれば出来ると思うよ」
 政略結婚ってよく言うじゃないか、というアサイくんの目はどこか悲しげだった。彼は読書家のように見えるから、エピソードの一つや二つを思い出しているんだと思った。
「君のとこはきっと両親は仲が良かったんだろうね。名前で何となくわかるよ」
「うん……宝子の名前の由来、私、覚えてたから」
 どうしてかはわからない。ひょっとすると、私は覚えてもいないお父さんとお母さんという二人のカップルに憧れていたのかも知れない。多分、仲が良かったんだから。それも恋に憧れる理由の一つかも知れない。
 アサイくんは何かを呟いて、私を少し見つめた。聞き取れなかったけど何が続くんだろうと思った。でもアサイくんは今のはナシ、と言うように首を振った。
「まあ、ともかく、そういう過去を持っていたんだよ君は。だから、多分そのうちころっと一目惚れして、恋が始まるんじゃないかな」
 その日に告白までしたりして、と乾いた笑いを浮かべたアサイくんは、私が何か言う前に立ち上がってすうっと消えた。彼がいた余韻をかき消すように、始業五分前のチャイムがどこか遠く響いた。

  3    
novel top

inserted by FC2 system