私に出された条件。
 それは、一週間の内に本気で人を好きになり告白し、成功させ、かつその人に自分が幽霊であると告白しても受け入れてくれること。
 何度も反芻しながら周りの状況を確認する。
 悲しい繰り返しの中で、自分の死に気付かず駆けのぼった坂に、私は立っている。上を見上げても桜色と空色のコントラストはない。かわりに瑞々しく、青が深くなった空と、新鮮な酸素に満ち満ちた緑が煌めいている。木漏れ日も眩しい。
 季節は夏。蝉は鳴いていないから、まだ本格的ではない。そこで私の制服が半袖になっているのに気がつく。
「おはよー宝子。なに、ぼけっとつっ立っちゃって」
 隣には――どうも「友達」らしい女の子が私の顔を怪訝そうに覗きこんでいた。
「お、おはよう……」
「おはよ。どったの? しゃきっとしないとー、最近急に暑くなってきたし。でも夏バテするのには、まだ早いよー?」
 おはよう、宝子、真由美、と「友達」の女の子は後ろからもやってくる。
「おっはよん、カノ、ミカ。じゃあ行きますかー」
 私を除いた三人は、昨日見たテレビや音楽や、他愛もないお喋りをしながら坂を登り学校へ向う。私は突然降ってわいた、私の為にこしらえてくれた(のだろうか?)現実にいまいち対処しきれず、もたもたしていた。
 早くおいでよと真由美ちゃんが呼ぶ。彼女はこの四人の中でリーダー格なのだろう。あの元気の良さは、さっき私がアサイくんに向けてたもの。 ……ぐずぐずしている場合じゃないんだ。
(……よし)
 今行く、と爽やかな笑顔を浮かべたつもりで、私は坂道をもう一度、生きている足で駆けのぼった。




 一年四組は、女子が若干多いくらいの、ごくごく平均的な男女比率を持つクラスだった。
 私は授業そっちのけで、きょろきょろと周りの男子を見ていた。遊んでいそうな子、真面目そうな子、独特の趣味を持っていそうな子、スポーツマンな子、ちょっと不良という感じの子……いろいろいる。個性が溢れているんだ。
 何も、このクラスの子に限定しなくてもいいけど、もしかしたら私の運命の恋人は、今ここにいるかもしれないと思うと、無性に緊張が体を走った。
 まずは、じっくり様子を見た方がいいのかもしれない。
 お昼ごはんは私を含めた真由美ちゃん、美佳ちゃん、香乃ちゃんの四人グループでとった。どうもこのグループで行動することが多いみたい。こじんまりとしていて、無理に神経使わなくていい。
 私は購買で買ったパンをもそもそと食べる。アサイくんだろうか、いつの間にか可愛いお財布――お金まで用意されていた。ここまでしてくれるんだから、何としても条件はクリアしなきゃ、と私は密かに気合を入れた。
「ねえ、みんなは好きな子とかいる?」
 直球過ぎるかも知れないけど、私には時間がない。これも「様子見」の一つ。
「えー? なになに? 急に」
「びっくりした」
「どしたの宝子ちゃん」
 案の上、みんな場の雰囲気に合わせてよと言わんばかりの目つきで私を見た。さすがに唐突過ぎたみたい。……たった四人でもやっぱり気を遣わなきゃ駄目、ということなんだろう。人間社会はそう甘くないぞ、と誰かに言われているような気がしなくもない。恋って、デリケートな話題ってことね。
「あ……あはは、ごめんごめん。ちょっとぼけてみた」
「でさ、それでその後……」
 みんながするお喋りは、色恋沙汰なんてとんでもなく遠い方にあるような、可愛い話題ばかりだった。
 別に恋に逃げているわけじゃなく、今は興味がない、と押し売りをやんわりと断るのに近い。彼女達から男の子を紹介してもらうとか、情報を引き出すとか、そういうのは難しそうだ。これは困った。
 やっぱり、私独りで動かなくちゃいけない、ということだろうか。彼女達にばれないように、教室全体に目を配ってみる。
 男子と女子が会話して一緒にお弁当をとっているグループもあれば、男子達は男子達で集まっているグループもある。お昼休みの教室に、クラス全員がいるというわけでもない。体育館や運動場にスポーツしに行っている男子もいるだろうし、もう彼女がいる男子もいないとは限らない。屋上とかで二人っきりというシチュエーションもある。
 私は――急に不安になる。
 アサイくんの前ではあんなに大見栄切ったのに、私から動くことが出来ない。
 だって急に男子に話しかけることなんて、出来る? 私は自分に、そしてクラスの人達に心中で問いかけた。四月で、友達募集中な頃ならまだしも、今は七月くらいで、真由美ちゃん達や他の子みたいにクラスにそれぞれグループも出来上がっている。
 でも私、幽霊なんだし、そんなこと気にしなくても。いや、でも、そんな、男の子に声かけるなんて――などと、一人の空しい、問答とも言えない言葉の投げ合いが続く。
 仕方なく皆の話に付き合う私はきっと、疲れた笑いを浮かべていたんだろう。




「やっぱり、条件が厳しすぎる……」
 下校時、真由美ちゃん達と別れると私はまた真っ暗闇の世界に戻ってきた。そこで何年も暮らしているように、完全に寛いだ顔をしたアサイくんが待っていた。私が何を思っていたか解っているようで、つまらなさそうな顔をしている。
「ううん、条件とか、それも確かにそうだけど、でもそういうのじゃなくて、その前提にあることが――」
 以前はあんなにアサイくんに対してああだこうだ言っていたくせに、そして太陽や桜に当たり前のように恋をすると誓ってみせたくせに、あんなに恋や青春にこだわっていたのに、あまりに積極性がない。もし私が男子だったら、気軽に声をかけられただろうか。
「そう言うと思ってた。さすがに厳しすぎるよね」
 アサイくんは最後まで聞かない。つまり「条件が厳しすぎる」それだけを聞いた。
「え、ちょっと待って! こ、これで終わり? そんなの」
 途端に慌てる私。やっぱり、嫌だった。
 ――浅ましいって自分でも十分わかっている。それで三十年もこの世にとどまっていたんだから。でも、それでも私は、「夢」を見ていた。
 いつか、物語にも負けないくらいの恋が出来ると。
 恋をすると。

 そして、恋をするとはどういうことか、教えてあげるんだ。

(え?)
 思考の流れに、新しく忍び込んだその想いを捉えて繰り返す。
 誰に? 教えるってどういうこと?
「条件を変えよう。あと六日以内で、誰か一人にでも、本気で恋をするんだ。これ以上無いってくらいの、究極の恋をね。君なら出来るだろう?」
 まだ話は終わってなかったらしい。ふってわいた新しい想いも気になるが、アサイくんに気付かれないよう慌てて私は返事をする。
「……告白しなくてもいいの?」
「ん? まあそういうことだろうね」
 それなら、出来る。私は息をのんだ。
 誰もが一度は経験する、片想い。私には過去の記憶が残念ながら無いからよく解らないけど、きっと中学時代は片想いばっかりだった。とすると片想いが得意ということだ。
 よく考えたら、人に自慢できるようなことじゃない。でも、人魚姫だって、王子様に片想いしていた。人魚姫以外に、世界の神話やお伽話には、片想いは一杯あるはずだ。だって恋は、神話の時代から、ううん、この世界に二つの違うものが出来たその瞬間から、存在しているんだから。
(なんて、言い過ぎだけど)
 だけどこれくらい意気込まないと、生き返れない。
「よし。今度こそ、頑張る!」
 その意気だよ、と初めてアサイくんはにっこり笑ってくれた。
 ――結局、誰に、どういうわけで、「恋をすること」を教えなくてはいけないのか。
 新しい条件の提示が強すぎて、そのことを私はすっかり意識の隅に追いやってしまっていた。

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