蛍原先輩の横顔はとても楽しそうに見えた。微笑が愛しさに溢れていて、友達が話すどんな恋の話よりも私はうっとりして聞いていた。
(って、これ別に恋の話じゃないのに! そんな前提ないのに。でもどう考えても先輩……)
 平助のこと、好きな気がする。彼に褒められるのが何より好きだった、と言っていた。彼の魅力をいくつも語っては笑っていた。
 沢山喋ってごめんね、ともう空になったジュースを持ちゴミ箱の元へ行く。その動作でさえも絵になる。改めて見ると、蛍原先輩は女子の目から見ても綺麗な人だった。
 平助に恋をしているのかな。
「でも……」
 私もゴミ箱に容器を捨てる。その音が空しく響いた。先輩の声はそれと同時に起こる。今までの口調とは打って変わった深刻な雰囲気で、彼女は私を見つめた。

「でも、平助に会うの、今日で終わりにしようと思うの。
 ……居藤さんにインタビューしてもらって、やっと、決心がついた」
「え? ……今日で、って、終わりって」

 先輩は階段へと向かった。物置教室がある方の棟へ続く、どこか寂れた雰囲気のそこを登っていく先輩を、私は追いかけた。











「幽霊の欠陥ってどういうことかわかる?」
「え……? 成仏出来ないとかですか?」
「うん。……私にはよくわからないけど、幽霊は成仏出来なくて現れているんだって」
 全部平助の受け売りね、と先輩は一旦足を止めてこちらをちらりと振り返る。
「普通、死んだら死後の世界にそのまま行くけど、些細なことが原因で、もしくは心残りがある場合、そうならないのが幽霊になる。
 けれど更に、その心残りや原因がよくわからない存在がいる。それが平助のような幽霊」
「……悪霊と、言い換えてもいいんでしょうか」
 悪か、と何故か先輩は苦笑した。歩むのを惜しむように踊り場で立ち止まる。
「平助は昔、詐欺や強請、強盗……人殺し以外の悪をやりつくしたんだって。
 ……悪党なら、悪霊になっちゃうのも当然かも」
「そ、そんな悪人なんですか!」
「本人は悪『党』って言い張ってるけど」
 同じことよねと笑った。
「先輩は、一緒にいて大丈夫なんですか?」
「うん。悪党なんて言うけど、嘘だと思う。思い返してみれば、嘘はよくつかれてたし」
 再び彼女は歩き出す。私は後ろではなく、隣に並んだ。それに気付き先輩は微笑する。
「欠陥が直ったら……成仏するんですか?」
「そうね……成仏しても、彼曰く『悪党』だから極楽とか天国には行けないかもね。
 もともと自殺したの、彼。私からしたら、ちょっと信じられないけど……死んだら極楽に行けるから自殺したんだって。でも、悪党なんだしって、今言ったようなことを指摘したら、閻魔を騙して極楽に行ってやるって」
 無茶苦茶だなあ、と緊張して聞いていた私もさすがに笑った。馬鹿みたいでしょ、と笑い返す先輩はやはり楽しそうだった。
「でも……欠陥があるってことは」
「心残りが何なのか、わからない。けど……」
 そこで何故か先輩は口を噤む。どこか、悲しみが見えた。もう会わないと言った理由が何となく見えてくる。
成仏する。それはつまり、私達からすれば死別と同じ。――それが迫っている?

「さっきは話さなかったけど……。
 平助にはとてつもない力があるの」

 突然、そんなことを言う。先輩の表情が一層深刻な色を見せた。
「……力?」
「才能を――人に、力を与える能力」
 一段一段、ゆっくり階段を上がっていく。

「私にね、力なんてないの」
 どこか突き放すように先輩は言った。
「絵を描く力。全部……平助がくれた才能。
 実際、とても無理だって言われた賞をいくつも取った。平助が力を与えてくれたから」

 教室までの距離を一歩一歩惜しむように歩いていく。そんなことを言うのが信じられなくて、私はいつの間にか彼女に遅れをとっていた。だけど――私は彼女についていく。信じられないからこそ。

 もう、教室の扉は目前に迫っていた。

「噂を流した人はきっとその力のことを、どういうわけか、知っていたんだと思う。
 だから私は――平助から離れなきゃいけない。
 もう三年だし、卒業すれば学校には来なくなるんだから……今までに得た評価が下がっても、自分の力で描いていかなくちゃ」
「先輩……」
 少し打ち合わせをして、絵を見せてもらって、取材しただけ。けれど彼女の絵は、誰かに全て依存したとか、あるいは彼女でない誰かが描いたようには決して見えなかった。全て、彼女が持つ力で描かれていた。絵に詳しくない私でも、そう断言できる。
 力がどうとかではなく、先輩はただ、平助という存在から、無理やり逃げているような気がする。――それが私には、不自然だった。

(……平助が消えてしまうから?)

 でも、だったらどうして私を連れてきたの。どうして先輩の方から逃げていこうとするの。
 離れたくないなら、なんで?

「なんで、そんなこと言うんですか」

 自嘲するように、どこか悲しげな笑みを浮かべ、彼女は物置教室へそっと入っていった。



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