光也と島岸の間に帰ろうかというムードが漂ってくる。かくれ子は離れがたそうに志人を見ていた。
 志人はそのかくれ子の物足りなさそうな瞳と都会の空に吊るされた星とを交互に眺めながらただぼんやりしていた。

「志人、あした朝早くからスタジオだし、早めに帰って寝ないと」
「ああ、うん……」

 びゅっと見えざる大きな手に、高速で捕まえられたように、志人は仕事の前に出されてしまう。
 今日出演した作品以外にも何本か撮影があるのだった。

「なあ、みっちゃん。うち来るか?」

 しかし志人は煩わしいそれらのことばかり考えるほど、疲れはこびりついていなかったようだった。光也はきょとんと志人を見、聞き返したが、かくれ子がわあいと喜びを声に出しウサギのように跳ねた。そして二人は、あははと確かめるように軽く笑いあった。かくれ子は志人のもとに行けるのが嬉しくてたまらないのか、光也の足にべたべたくっつきながらにやにや笑っていた。





 志人のマンションの部屋は最上階に近かった。景色がいい。
 夜景が続くパノラマの窓をかくれ子が息を飲んで見つめていた。身を乗り出し、窓の近くに寄って見ているのだからあぶなっかしいなと志人は思った。
 それから光也が冷蔵庫から適当に食べられる食品を出してきて三人でクッキングを楽しむ。ダイニングをばたばた小さい体が走り、何でも見たり触ったりするので今度は光也もあぶなっかしいなと思っていた。かくれ子の楽しむ声はきいきい高くて近所迷惑だと志人は怒鳴ってはいたが、それは初対面の頃から比べると大分丸みを帯びた怒鳴り声だった。

 かくれ子は志人を父と呼んだ。志人はもう否定しなかった。否定する元気が無いわけでなかった。

 食事が終わると志人はシャワーを浴びに行く。光也はかくれ子とテレビを見ていて、志人が上がった頃にはかくれ子はソファで心地いい呼吸をしながら眠りこけていた。
 そして志人は自分の右手の五本指をまじまじ見つめた。そうしていると手は自分のものでない気がして、グローブをはめさせられているのではないかと思ってしまうほど不細工に見えた。

「五年か」
 志人の独り言に光也はテレビを消す。
「五年って?」
「俺が売れ出してから五年経ったのか、って」

 ある女性を愛することを止めてから、走り続けて五年がたち、気がつけばそこそこ名の通っている俳優になっていた。
 その五年間、女を求めなかったことは勿論ないが、志人は、自分は誰かを愛することを捨てていたと思っている。
 人とのふれあいは女性を愛することだけで得られるものではない。その証拠に光也との仲や島岸との信頼関係、仕事仲間たちとの笑顔がある。
 志人は愛することに関して、五年前のまま止まっているも同じだった。言うならば悲しくむなしく儚く惨めな過去を忘れるのに必死で、やはり止まったまま、更に捨てたも同然かもしれない。ある女性との別れが志人をここまで押し出した。


 かくれ子の瞳と同じ色をした、ある女性との別れからが始まりだった。


「へェーそうやったっけ」
「そうだって。もう少し詳しくなっとけっての」
 そんなん無理やわ、キョーミない、と光也はかくれ子の隣でうんと伸びをする。
「五年ちゅーたら俺がここに来てからも大体五年やで」
「あ、そうなの?」
「もう少し詳しくなっといてや」
「無理」
 志人は髪を掻くようにタオルでふき、冷蔵庫を開けた。モーターの音と一緒に光也の声が聞こえる。

「二十一世紀が始まってからもう五年やな」
「あそーか」
「人ばっか死んどるな」
「多いからな」
「子供もよーさん死んどるな」
「少ないのにな」

 光也はそれからため息をついた。保育士という、子供と関わることの多い仕事に就いている彼にとって、子供の命が失われる、危機に晒される事件が絶えない現在、より一層、心の底からの責任を負わせられているのだろう。かくれ子に関して志人のことをからかってはいるものの、心のどこかで彼は志人に、小さな命を守る、愛する人間として最低持つべき心の機能を喚起させようとしているのかもしれない。

 アイスコーヒーを男二人で飲む。かくれ子はぐうぐう寝ている。

「今度のオフの日今日のところこいつ連れてこうと思うんだけど」
 親指でかくれ子を指す志人。
「やっぱお父さんやな、いいとこあるう」
「違うっつの」
「俺も行っていー? 二人で行ったらそれこそ隠し子扱いされるで」
「まーそれもそうだな。行ってもいいけど仕事は」
「何とかなるやろー」

 というような仕事ではないくせに、と志人は肩をすくめた。あとで確認してみると、ばっちり二人の休みは重なっていた。かくれ子はその時くすくすと無邪気に笑っていた。

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