志人は自分のマンションではなく友人の須藤光也のマンションへ車を走らせた。志人のマンションから近く、光也は小さい頃から付き合いがある、いわゆる幼馴染であるし、気が置けなく、更に彼は保育士として働いている。少女の扱いも出来るだろうと思ったからだ。
 車を停め、少女をひっぱり出し、口を塞いだ。誘拐じみて、あまり気持ちのいいことではない。とにかく急いで志人は光也の部屋番号を叩く。光也は深夜二時過ぎなのに起きていた。
 ドアを開くなり志人は言う。


「よお不良保育士」
「誰が不良や」


 少し関西なまりを持つ光也である。
「深夜二時なのに起きてるじゃねーか、保父さんは忙しいんじゃねえのかよ」
「偶然起きとっただけやあ。なんやその子。隠し子か? 誘拐したんか?」
 それを聞き志人は何も言わず部屋に入り込み急いでドアを閉めた。まるで何かから逃げるようだった。
 そこそこ売れている俳優の彼は、どこかで自分を捕らえようとするカメラを意識していたのだろう。そしてぐったりと玄関に腰を下ろす。疲れがどっと出てきた。

「よくわかんね。たださっきからずっとこう、へばりついてよ」
「ファンじゃないん?」
「ガキがか?」
「嫌がらせかもしれん」
「おとうさん」

 光也の部屋にきてようやく口が自由になった彼女は喋り出し、同じ単語を繰り返した。そして首に手を巻きつけまた抱きついた。嫌過ぎる嫌がらせだ。もう抵抗する気が失せている志人は光也の顔を、目を歪ませて億劫そうに見ると、何が起こったかわからない、テンポのずれた顔をしていた。

「やっぱ隠し子かあ?」
「ちがーう!」
 忌々しげに言う。
「な、お姉ちゃん名前何ていうん?」

 光也はそれと対照的に、少女と同じ目線になって訊いた。光也の声は優しかった。志人の優しい声より優しかった。志人は彼並の優しさを演技で素早く出せなかったことを疲れに薄れながらぼんやり思った。

「……わかんない」
 別の言葉で聞いた彼女の声はやはり子供らしい、何かがつぶれたような声だった。
「ほしたらなんて呼んで欲しい?」
 名前がわからないという不思議な状況にも光也は慌てない。少女はぶんぶん頭をふる。
「わかんない」
「じゃあお姉ちゃんは隠し子やからかくれ子や」
「隠し子ちゃうてえ」

 志人も少し関西なまりがうつった。共演者や友達に関西出身が多いことも影響している。
 かくれ子と命名された少女は志人には見えない大きな笑窪を浮かべ笑った。

「かくれこ、かくれこ」
「うん、お姉ちゃんはかくれ子や」
「違うっつの。あーつっかれたぁ」

 志人の疲れは服の隙間や口から耳の穴からしゅうと吹き出て、しかし消えずにぐるぐる志人の体のまわりをまわって、志人はそのまま玄関で眠ってしまいそうだった。

「上がり。シャワー使っていいでー」
「あんがと。ついでに寝させてくれ。疲れて疲れて家帰る気ない」
「おとうさん」

 志人は重い足取りをとめ振り返りかくれ子を睨んだ。

「あのな、俺はお前のお父さんじゃ、ねーって! わかったか?」

 かくれ子はそびえ立つ自分より巨大な志人と大声に恐怖を感じ、光也の後ろにまわった。
 志人はちょっと経ってからふんと鼻を鳴らして浴室へ向かう。
 服を脱ぎ始めたときに光也が訊く。光也はかくれ子と手を繋いでいて、かくれ子はまた口をきゅっと閉め不細工につぶれた顔をしていた。

「なんか本当に心当たりあれへんの?」
「知らん」
「付きあっとる人おるん?」
「……別にいない。ちょっと前から」
「なんやのつまらん。そのうちしかられるで」
「誰からだよ」

 話はそれきりになった。シャワーを浴びながら、かくれ子の見た目の年齢から逆算して考えていた。
 ……すると一人しか出てこなかった。
 体は細く、色白で、可憐な、少女に近い、そして病弱な女性であった。その女性は志人が愛することをやめてしまった女性であった。しかし彼が彼として今を貫き通せる原点であった。


 二人の最後からもう数年が経ったことを、志人は不思議に思った。

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