瞳
俳優の黒木志人(しひと)は今日一日の撮影を終えて、テレビ局の地下駐車場に来た。人工の光が埃っぽい地下をぼんやり照らしている。時刻は深夜の二時をまわっていた。
サングラスをジャケットから取り出し、それを手にぶらさげながら、次にタバコを探る。足は自分の車の元へ、まるで機械のように動いていた。疲れているので全体の動作が自分の自然から来るものでない気がした。
志人の車は黒い車なので黒光りが目立つ。しかしこの駐車場だと、地下に潜む怪物のように思えて、志人は気持ち悪いなあと、若干嫌な気分に陥る。
まあ全ては疲れのせいだろうと思って処理する。今日は、いつもと変わらないくらいの仕事量だ。しかし、ここのところ疲れが溜まっている気がするのは、仕事仲間や共演者や、芸能界の友達と飲みに行ってないからだろうか、と思うと最近自分を取り巻き始めた疲労を孤独と思い憂鬱に感じた。そこで初めて気付く。
黒い車体の傍に、なにか白いものがいる。
それは人の形で、白いワンピースを着た五歳児くらいの子供であることが近づくにつれわかってきた。
志人は深夜二時の誰もいない地下の駐車場に不自然な子供の姿に全身の鳥肌が立った。
体をどきどきさせながら車体にうつむいて寄り添っている子供――髪が長くワンピースを着ているところから女だろう――少女に声をかける。
「お嬢ちゃん。どうしたの、こんな遅くに」
志人にしては気色悪いくらい優しい声で訊いてしまう。
うつむいていた彼女は顔をあげた。口を真一文字に結んで、眉根を寄せていた。目元は腫れていた。泣いていたのだろうか。
「おとうさん」
そう言って少女は抱きついた。
志人はそのリアルな重みと少女の言葉に動揺せずにいられなかった。
「おとうさん!」
「ちょ、おいおいおい! 何だよ、何だよ!」
優しい声はどこへやら、声を荒げて志人は少女を振り払おうとするが少女は離れない。おとうさんおとうさんと顔をうずめて何回も言う。志人の腹の辺りに声がびりびり響いた。
志人は父親役をやるにはまだ若いので演じた覚えはないし、今までいろんな女性と関係を持ってきたがこんな子供をこしらえた覚えもないし、そんなに深い関係ではなかった。
もしかしたら幽霊かもしれないが、こんな温かく、声が響き、重みのある幽霊はいるのだろうかと冷や汗を流しながら思う。疲れていたため、人間でも幽霊でもどちらにしろ志人はひたすら不快だった。
複数の足音がどこかで聞こえた。志人の冷や汗が更に多く流れる。
局の者でも共演者でも誰でも、俳優である自分がどこかの少女とこんな風にじゃれあっているところを見られるのは何かと迷惑でかつ面倒なものだ。だからといって手荒に少女を地下から追い出すのも、少女暴行と見られてしまうおそれがある。おとうさんという言葉を聞かれては隠し子かとも思われるかもしれない。
更に、たまっている疲労が彼を追い詰めてきた。
とにかく志人は舌打ちをして少女を自分から無理やり引き剥がして後部座席に放り込み、彼は運転席につくとスピードをいつもより上げて自宅マンションに向かった。
少女は車の中では驚くほど静かになった。志人もラジオをつけうるさいラジオDJの声に集中して、少女のことを考えないようにした。