家に着いたら燐寸箱と要らない大量の新聞紙を持って河原に出掛けた。不審火の範囲外から遠く離れた場所へ、自転車に乗って、逃げるように向った。夜は更けていった。さすがに補導されるくらいの時間になったが、私の自転車さばきと運の強さで警察官や補導員の目をするりと抜けていけた。寒くて手が震える。そして私は名も知らぬ河原に辿り着く。
 水辺で私は我を忘れて新聞紙に火を灯した。最初はおどおどするように炎は新聞紙に馴染んでいく。喩えはおかしいが、やがて氷解するように新聞紙は火の妖精になる。火の魔物になる。そして踊る。力強い橙と真紅と漆黒が混ざり合う、そんな儀式を想わせる。水辺は小さな火の祭になった。――寒くて震える私をただ、暖めた。
 アンデルセンの童話に素晴らしい話がある。マッチ売りの少女だ。私はこの物語の存在をここに来るまで失念していた。火を灯すごとに希望が浮かぶのだ。私はばらばらと燐寸を燃やしていった。しかし――当たり前のことだが、幻は浮かんでこなかった。涙で滲んで、何も見えなかった。
 私の心には、希望すら、その片鱗を見せていない。
 最後の一本を、私は擦った。火は弱弱しく生まれる。そして放り投げた。
 誰かを想うことも、希望を持つことも、出来ない。


 こんな世界、燃えてしまえ。
 こんな世界を燃やしつくせと願うように。


 ……世界は燃えなかった。水辺でひっそりと、しかし私の中ではそれなりに意味を持っていた火の祭典は燃料がなくなり燃え尽きようとしていた。私は頭が段々現実的になってくるのを冷静に感じていた。冷静と書いたが、それには多分に焦りが含まれていた――これはやばい、父も母も探しているだろうな、こんな所を見られでもしたらもう情状酌量の余地もないな、放火少女の誕生だ、どうしようかと思っていた時だった。
 最後の最後に残った、小さな灯がぼわっと爆発したように大きくなった――ように見えた。
 私は目をこれでもかと丸くした。
 火の中に世界が見える。映し出されているのだ、炎に。
 それは私があの男子生徒と、何かのきっかけでぎこちなく話している様子。友達とお弁当をつつき合い談笑する様子。先生と廊下ですれ違い勉強の話をする様子。ストーブの火をじっと見つめる様子。アロマキャンドルに火をどきどきさせながら灯す様子。料理をする私の様子。そんな私の危ない手つきを見守る母の様子と、ちょっかいをかける父の様子。
 様々な私の姿を火は鏡のように映し出す。
 それは――私の希望ではない。
 しかし、火に魅入られた私だが、普通の人間として暮らす世界が見える。
 手を伸ばせば届きそうで、実際私が手にしていた世界だ。
 希望でも何でもなかったその世界が、燃やしてしまいたかった世界が、ただ愛しい。
 胸が、ぎゅうっと締まる。
 呆然と水辺に立って、その火が尽きるまで、食い入るように見つめていた。

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