ファイアーテール


 幼い頃から火を見るのが好きだった。
 バースデーケーキに並ぶ蝋燭の火。噴射される夏の花火。石油ストーブの金網の向こうで揺らめく火。母が料理をしている、そのキッチンのガスの青白くも家庭的な火。外食に出かけた時、焼肉店の軒先に見えるかがり火。ゆらゆら踊るように揺れて周りの景色を歪ませるそれに私は惹かれていた。
 炎だけではなくただ煙を眺めるのも好きだった。私の家は田舎で、家が並ぶ一帯を出るとすぐそこ一面に田園風景が広がっている。夏にはたわわに実った稲達が力強い黄緑に輝き、秋には刈り取られているが、根元に残る黄金色の底光で一種壮大に見える、何も無いけれど自慢したくなる絵画の世界。その田園風景で、季節に必ず一回は目にするのが、何かを燃やしている様子。私の家は農家じゃないので、一体何を燃やしているのか、燃やして肥料にでもするのか、よくわからないが……白い白い煙が天に昇るのにしばし見とれている思い出が、少なくとも三回はある。何かが燃えるのが好きなのだろう。
だけどやっぱり、煙よりも、燃えかすよりも、咆哮するように雄々しい炎に強く強く恋い焦がれた。触れることは出来ないが、感じることが出来るエレメントの存在に私はどこか神を見ていたのかもしれない。
 文明の栄えたこの世界で、火を「利用」しているのは私達人間だ。しかし油断をすると、忽ち彼らは私達を恐ろしいまでに包み込み飲み込んでいき、慈悲も何もなく、何もかもを消滅させてしまう。飼い犬に手を噛まれるという比喩どころではない。無へ至る絶対の経路だ。――が、私はそう思うだけで脊髄に悦楽がすいっと通っていく。人に話せば危険な奴と思われるだろう。しかし薄々、気付かれているかもしれない。ガスバーナーやアルコールランプの火を灯すのはいつも私だ。率先してやる。燐寸を擦るのがたまらない。ガスバーナーの調節も私がやる。理科の実験で様々な色の炎を見ることが楽しみだった。私の理科、とりわけ化学の成績がいいのはその為だろうか。




 そんな私でも――恋をすることがある。火にではない。人間にだ。
 思春期だから誰もかれも猫も杓子も恋だ愛だと騒いでいた。早熟な子はもう大人の世界の話をひそひそと、あるいは堂々としていたし、当時私達が読む雑誌にもそのような特集は当然のようになされていた。そこまで行かないにしても、私だって――風潮に動かされたものではあるが――恋をした。
 何ということではない、それほどぱっとしない男子だった。体育の時間や合同授業や移動教室で見かけるたび、いいな、と思うだけ。すれ違った野花の香りを想う程度に過ぎなかった。それがどうだろう。少し喋りすぎな友人の一人に喋ったしまったところ、そんな安物の想いはまるで高価な宝石をもてはやすように女子の間で急激に広まってしまった。困惑した。男子に伝わるのも時間の問題である。

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