「……え」


 翔ちゃんは勢い良く息を吸い――二回、三回、四回で吹き消した。
 辺りに闇が生まれる。あらゆる光が現実に反旗を翻したような漆黒だ。


「あ……ああ……」


 胸を甘く締め付ける鼓動が一瞬にして色を変えた。
 色々と言っていたが、お前が本当に感じていたのは「これ」以外の何物ではないのだと。見えない何かが肌を逆撫で、毛穴という毛穴がぎゅっと締まって、現実と自分を分ける境界がぐねぐねと歪み始めた気分に陥った。
 私は――あらゆる感情を、想いを手放してしまった。それほどまでにとりつかれた。




 怖い。怖い。
 どうして。なんで。こんなに怖く思うの。
 隣に、この闇の何処かに、翔ちゃんがいるのに!
 怖い。こわい。コワイ――!




「怖がらないで」




 とりとめない感情の奔流が、止む。
 神経を圧迫せず、すうっと吸収される。その優しい声に。


「しょお……ちゃ……」
「だいじょうぶ」


 ああ、彼は目の前にいる。不気味に暑くない、心地よくて暖かい彼の鼓動がそこにある。

 小さな時から家で、学校で、公園で、あらゆるところで身近に感じて、だけど最近は恥ずかしくて、感じようにも出来なかった――彼の、魂の鼓動。
 そして、唇に何かが触れた。柔らかくて、夏の優しい風のようにぬるくて、決して嫌なものではないもの。神様に祝福されたもののように、暗闇の私は感じた。ただ、何であるか考えないで、暖かな、自分を守るそれに身を、まかせた。


 しばらくしてその温もりは私を離れ、暗幕は引きはがされた。
 眩しい光。関を切ったように聞こえる蝉の声。それらを背に、翔ちゃんが立っていた。
 いつものように、笑って。だけど、ひどく赤くなった顔で。


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