東の空が瑠璃色から桃色へと表情を変えていく頃にカーレンは目覚めた。まだ深く眠っている様子の李白、チルチル、シュリを起こさないように、潮の香りがする外へ出た。
 静かだった。微かな波の音だけが聞こえ、その音すら静かなる世界の規律を乱しているかのようだった。
 そんな世界の中で、カーレンはスピカを見つけた。
「おはよう」
 カーレンはまだ夜の余韻が残る中、朗らかに笑う。スピカは少し頬を染めたようで、小さくおはようと返す。
 ――結局オーレと別れてからスピカは少し眠ったが、カーレンよりも少し早くに再び夢の世界から浮き上がってきた。オーレは別室できちんと眠っているようだった。眠っている者達を起こしてもどうなるわけでもないから、浜辺近くまでぶらぶら散歩していた次第である。
 自然と、二人は浜に出た。東の海なので、直に太陽がその光を海に走らせる。
 カーレンは目を伏せた。その様子をスピカは見ていた。揃った睫毛が、美しかった。
 スピカがそう感じている一方で、睫毛が作る影と目蓋が齎した闇が、カーレンに血の記憶を再び辿らせる。

 マーラの、肉体の温かさと柔らかさがカーレンの腹や胸や腕に甦る。マーラは玉梓の化身だ。怨霊だ。そんな温かさは、きっと必要ない。だけどカーレンの体に、たった一度の抱擁でそれは当り前のように入り込んできた。彼女の胸を貫いた、不快感でまみれきったカーレンに。
 その時に聞こえた言葉も生き返る。

 ――ごめんね、プレセペ。
 ――あなたを自由にできなかった母を。

 許して。

 カーレンは突然、伏せた目を大きく見開いた。
「どうした?」
 その横顔に見とれていたスピカは照れ隠しに訊く。
「忘れてたの……。お姉ちゃんの――」
 一度、お母さんと言おうとしたが、飲み込む。スピカと向かい合い彼に教えた。

「最後に、私にそう言ったの」
「……プレセペって、玉梓の子供の名前だ」

 カーレンに与えられた巨蟹宮の前に広がる野原で、火あぶりにされたとオーレから聞いたのももうどこか懐かしい。
「――お姉ちゃんは、私をプレセペとして見ていたのかな」
 悲しそうに笑って、カーレンは首を傾げる。
「マーラが……玉梓の化身だったから、あり得なくもないな」
 玉梓の子供は十二人。陽姫の子と言っても差支えないスピカ達も十二人だ。男女比も同じである。

「私は、誰なのかな」

 突然カーレンがそんなことを言ったので今度はスピカが首を傾げた。
 そして、こう言った。

「カーレンは、カーレンだろ」

 等号で繋がれた当たり前を、スピカは強めに言った。

「他の誰でもない」

 少し伏せがちだったカーレンの顔が上がる。赤い瞳や、透けるように白い肌や細い体の線が、ひどく彼女を魅力的に見せた。スピカは高鳴る胸を無視し――しかしほんの少しだけ気にしながら続けた。

「赤の姫で、この島の巫女で、蟹座の姫でもあって――とにかくカーレンはカーレンだ。僕の、僕の……」

 スピカはこの先、どんな言葉が相応しいかわからず、カーレンから目を逸らしていく。カーレンは泣きそうな顔で笑って聞いていたが、スピカの言葉の歯切れの悪さに再び首を傾げた。
「その、僕の……」
 闇だけだったスピカを、光溢れる世界に連れ出した。笑顔や言葉が棘だらけのスピカを癒し、本来あるべき形にまで変えた。それだけの力を持っている。

 カーレンはスピカにとって大切な人だ。
 好きな人だ。愛しい人だ。
 だがその一言が言えない。

 唾を飲み、もう一度、無駄な言葉を繰ろうとする。永遠に止まない時間稼ぎのような行為を愚かにも続けようとした時だ。

「にいさま――!」

 やけに明るい、チルチルの声がした。
 二人は声がした方を向く。チルチルを筆頭に、いつ目が覚めたのか、残りの十人がこちらへ向かってきていた。スピカは言葉を空しく弄ぶのをやめ、それとわからないように溜息をついて、仲間達に加わる。カーレンもそれに倣った。


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