老女と少女、たった二人が住んでいた家に突然の大人数の来客は厳しいものだった。一番広い居間と、使っていない部屋二つに男八人は分かれて雑魚寝という形となった。姫四人はカーレンの部屋で眠っている。
 寝苦しくなったスピカはしばらく経てばまた眠れるだろうと、そのまま目を閉じて体を横たえていたが一向に眠気は訪れなかった。逆に体は汗ばみ不快さが増してしまう。それに苛立ち、外に出る。


 星も月も澄んでいて美しく、吹く風も昼間の熱風とは違う。スピカの火照った体をさりげなく冷まそうとする涼しい風が、髪を服を揺らしては消えていく。
 しばらく、戸口の所にぼうっと突っ立って、空を見た。群青の夜空に、白い星が強く、美しく光っているのを見つける。たとえ自分がどうなっても、カーレンがどうなっても、星空は廻り続けている。そこにあり続けるのだと、そう思う。
 少し夜風に当たり、もう一度眠る努力をするべく戻ろうとした時、オーレの姿を見つけた。
 座るのにちょうどいい石に腰かけて海の方を眺めている。月明かりでぼんやり見える彼の横顔には、姿を晦ましていたはずの切なげで、儚げで――そして苦しんでいる表情が舞い戻っていた。
 スピカに気付いて、ふと口の端を上げた。

「ご不浄かい?」
「下品ですよ」

 眉を顰めつつもスピカは彼の傍へ寄った。
 二人の間にある通り道を、すうっと風がすり抜けていく。オーレは口を閉ざしたままでスピカはどことなく決まりが悪くなった。

 彼は何を拒んでいるのだろう。彼は何に怯えているのだろう。
 彼には何が、あったのだろう。

 黙っているとオーレは懐から何かを取り出した。花火の吸っているような煙管ではない、紙煙草が入った小箱だった。一本口にくわえ、燐寸を擦る。赤い火の明るさが二人を照らした。オーレは煙草に火を灯す。
 そのまま吸って味わうのかと思えば、意外にもオーレはすぐに噎せ出した。あまりに苦しそうなその咳込みは、人が起き出すのではないかとスピカが焦ったほどだ。ひとまず長兄の背中をさすることで落ち着く。
「かっこわる」
 悪いと思いつつ、スピカは笑ってしまう。飄々としながらいつも冷静沈着で、自分より一歩も三歩も先に行ってはからかっているオーレのこんな無様な姿は見たことがない。
「吸えないもの吸うからですよ」
 スピカは地に腰を下ろした。目をやや下に落とすとオーレが捨てた煙草はまだ火を灯している。
「いいんだよ。かっこ悪くて。僕は、いつだって醜いんだよ」
 そう言って、オーレはまた黙り込んだ。
 また涼しい風が吹く。常夏の南国だというのに月光は冴え冴えとしていて、それが降り注ぐオーレの横顔は妙な冷たさを感じさせた。今だけの冷たさではない、ずっとずっとオーレが隠し持っていたようなものだった。
 だからスピカは思わず訊いてしまう。
「―― 一体、何があったんです」
 二人の間を、また風が行く。
 少しだけ、オーレはスピカの方を向いた。
「雛衣さんと……」
 ――彼には、愛する人と何かがあった。
 あの惨劇の日――もう数日前だということが信じられないくらい、今日という一日は長かったが――ばら撒かれたオーレの言葉は、おぼろげに、彼女の姿を浮かばせるものだったから。
 しかしスピカは俯いていき、オーレと顔を合わせられなかった。
「いつか話すよ」
 その言葉の後に、スピカは顔をあげた。オーレは自嘲するように笑っていた。
 マーラとのやりとりが、スピカに甦る。オーレが何をしたか知った時、自分達は彼を追放すると、マーラはそう言っていた。だがスピカはそれを否定した。
 その時と同じ気持ちが、同じように甦る。
「オーレさん。言ったでしょう」
 互いの目がようやく合ったような錯覚が、スピカに起こる。
「大切な兄だって。その……あながち嘘じゃないんですよ。恥ずかしいけど」
 髪を梳き、スピカは続ける。
「大体、あんたがあの時止めてなかったら。僕はここにいないんですからね」
 スピカは一度目を閉じた。瞼の裏に浮かんだのは、スピカが抱き締めた赤の姫の姿だった。

「――カーレンとも、出逢えなかったんですから」

 本当は感謝していると、素直に言いたい。けれども何だか癪に障る。玉響を追おうとしたスピカの手をオーレが――まるで運命が体を借りたように、強く掴んで離さなかった。それを思い出しながら、その手を抱える。

「でも、本当は、そんなの関係ないんだと思います。運命も、必然も偶然も、後付けで。
 ……こういうのは、駄目なんですかね」

 もう一度強く、スピカはオーレを見つめた。彼の眼は、虚ろではい。確かな潤いと輝き、そこから放たれる視線が、スピカに返ってきている。

「仲間です。きょうだいです」

 言い終えて、沈黙が二人の間に落ち着く。その沈黙はスピカを相手取って、スピカから湧き出てくる、大それたことを言ってしまった恥ずかしさを堂々と突き付けてきた。だからスピカはオーレから目を逸らそうとした時に、彼は言葉でスピカを捕まえる。

「そんな目で」

 スピカは止まる。

「そんな目で見るな」

 どんな目だ、とスピカは左手で左目に触れる。以前――そう、玉響を倒した時と同じことをしていると、猛烈な速さの回想がスピカを襲う。
「君はいつまでもあの時みたいな目で僕を弾劾していてくれよ」
 冷たい声だった。隠し持っていた冷たさの小刀をスピカの肌にぐいと押しつけているかのようなオーレは、未だ燃えくすぶっている煙草を踏みつけた。もうとっくに消えただろうに、何度も地面に足をめり込ませるように、どこまでもどこまでも、執拗に彼は行う。

「許すなよ、僕を――」

 その時オーレの見せた顔は――不思議なことに冷たいものではなかった。一瞬だけスピカに奇妙な優しさ――慈悲が芽吹く。
 今にも泣き出しそうな、苦しげで――全てを拒絶した顔をしているくせに、何かを望んでいる。そんな顔を、どこか少し痩せて見える彼は、朦朧と浮かばせていた。

「もう……」

 オーレはそう呻く。そして何も言わずどこか去ってしまった。



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